Quality of Life クオリティ・オブ・ライフ
「病院では、末期患者をこう見ているのですよ。あなた方はゆっくりと絶体絶命の状態に追い込まれて、そして死んでゆく人達なんだ、とね。私にだって、まだ日々の生き甲斐ってものがあるんですのにね」(サンドラ・Cさん、患者)
個人の希望が体験として達成される時、良質のクオリティ・オブ・ライフ[人生の質]が存在すると言われる。次のような質問をしてみるとよい。「もし今日、調子がよかったら、何をおやりになりたいですか?」その答えによって、二様の人生の違いがはっきりしてくる。〈あるがままの人生〉と〈こうありたい人生〉の二つである(これは病人だけでなく、健康人にも当てはまる)。
身体的な自立度のような客観的測定法と、クオリティ・オブ・ライフとは同じではない。例えば、進行性ALSでホスピスに入っているある婦人は、書くことだけはできるが、話すことはできず、嚥下困難があり、体を動かすこともできない。しかしその彼女が、「今日は気分がよいの。幸せです」と折にふれ書くのである。彼女に関する限り、その日の彼女の生活に充実感があったのである。患者が評価するクオリティ・オブ・ライフは、日々変化するのが普通である。それは、身体的な快適さを含む多くの要素に左右される。
たとえできることは少なくとも、幸福感があれば、良質のクオリティ・オブ・ライフが得られる。
医師が化学療法のような治療に反対の意見を述べる時、それは延命の有利さよりは、薬の副作用のため、患者の人生の質が大きく損なわれると考えているからかもしれない。もしも、治療が単に患者を痛めつけるだけで、治癒の機会を与えるものでない時には、医師は敢然とその治療に抵抗すべきである(〈絶対に痛めつけるな!〉の原則)。しかし、少しでも延命のチャンスがあるならば、積極的な治療を選択する患者が少しはいるであろう。彼らは質よりむしろ量を選ぶのである。患者に質問する時、患者の意向を推測することは絶対してはならない。
身体的、社会的、心理的な満足度などを指標にして、クオリティ・オブ・ライフを計測する方法がいろいろと考えられてきた。これらの評価尺度は、推測を避けるようにできている。例えばある研究では、下肢に肉腫のある患者に保存療法を行ったが(下肢温存の治療の方が、クオリティ・オブ・ライフを高めると考えて)、結果的には、下肢を切断された患者と同様にたくさんの問題を抱えることになった。
病人のクオリティ・オブ・ライフを考える時、彼らに共通する心配事や関心事について知っておくと役に立つであろう。
ある研究で、進行がんの患者250人に、次のような質問をした。「いまのあなたの最大の関心事は何ですか?」
その答え |
関心事 |
複数回答% |
健康を取り戻すこと |
45 |
宗教または人生哲学 |
22 |
配偶者への心配 |
19 |
子供への心配 |
12 |
医師への信頼 |
8 |
ケアへの不満 |
6 |
治療への不安 |
5 |
痛みの緩和 |
5 |
自立感の喪失 |
5 |
帰宅 |
4 |
人を助けたい |
4 |
身体機能不全 |
3 |
治療の効果 |
3 |
死にゆくこと |
2 |
平穏裡に死ぬこと |
2 |
|
また、次のような質問もした。「将来に向けて、何か計画をお持ちですか?」この質問は、人生が生きるに値すると感じているかどうかということとも関連している。
その答え |
計画 |
複数回答% |
旅行 |
15 |
残された時をできるだけ活用 |
8 |
帰宅 |
7 |
身辺整理 |
7 |
仕事への復帰 |
5 |
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クオリティ・オブ・ライフは外からでは評価できない。主観的なものだからである。要求や関心は高度に個人的なものであり、日々変化しうる。また、クオリティ・オブ・ライフは、主として、その人がいま置かれている状況に、どの程度に折り合っていけるかによって決定される、とする証拠もある。
それは次のような質問によって明らかにできることがある:
●人生は生きるに値すると感じていますか?
●将来を楽しみにしていますか?
●気分が落ち込んでいますか?
●恐ろしいと感じていますか?
●あなたの信念が役立っていますか?
●教会からの支えがありますか?
その他の重要な問題:
症状:
●痛み
●食欲不振
●吐き気
●腸管の働き
●呼吸
●眠気
●病気あるいは治療に関する知識
●支え
配偶者ないし家族への心配:
●愛情を示す機会
●必要とされているという感じ
●自分以外の誰かと感情を共有できること
●現実的な支え
●家族以外の人達との接触
患者は、診察にあたっている医師や看護婦よりも、クオリティ・オブ・ライフへの評価は高い傾向にある。医師は、おそらく患者に対して大きい期待をしないからだと思われる。クオリティ・オブ・ライフの質問表を使うこと自体、患者が直面している諸問題についてコミュニケーションを図ったり、調整することができるので、結果的には、患者のクオリティ・オブ・ライフを改善することになる。
〈クオリティ・オブ・ライフ(人生の質)〉と〈ミーニング・オブ・ライフ(人生の意義)〉を混同しないようにしなければならない。
M.M.さん、27歳の女性 卵巣がん。突然の出血で、急性腎不全に陥って亡くなった。彼女はいつも病気を否認してきた。普通の生活を送りたいと願い、死ぬ前の週まで働き続けた。病気になってからの3年間、積極的に社会生活を楽しんだ。それはまるで、過保護の両親に抑圧されていた数年間を取り返さんばかりであった。死の2日前、担当医と話し合っている時、すすり泣きを始めたが、敢然とこう言った。「今月の終わりには、また休暇を過ごしに行くつもりよ」。だが、こうも聞いた。「先生は、行けるとお思い?」担当医は、これまで数か月にわたって、彼女と数回会話をかわしており、彼女が否認によって克服して来たことを知っていた。「ノー」と言いたかったが、この段階になると、思いやりのない気がした。しかし、「イエス」と言えば、嘘をつくことになる。しばらく間を置いてから、担当医はこう言った。「この数か月を振り返ると、あなたは、多くの人が一生かかってやること以上のことをやってのけたんですね」。すると、彼女は泣くのをぴたりと止め、微笑んだ。そして、最近夫と楽しく過ごした日々のことなどを話し始めたのである。
死にゆくことについて話し合い、悲しみを分かち合うと、時々会話の内容を明るくすることができる。「明日、目が覚めて、やはり気分がよかったら、どこへ行って何をなさいますか?」といった質問をするのもよい。こうした言葉が、患者の感情をやわらげ、話し合いをスムーズに進ませることになる。
Talking About Prognosis 予後について話す
患者は、時々「どのくらい生きられますか?」という質問をする。予後に対して、非常に大きな不安と恐怖が渦巻いているのである。死が数日内に、あるいはすぐにも襲ってくるものだと誤って信じこんでいる患者が時々いる。こういう場合、正直に話し合うことが、大いに不安を取り除くことになる。
もし説明を求められたら(必ずしも求められるとは限らないが)、こういうふうに話し始めるのがよい。「確かに、あなたの病気は寿命を縮めてしまうような性質のものです。数年も生きられるとは思いません」。こう言っておけば、「数年より数か月」、「数か月よりはむしろ数週間」という話し合いができる。
★予後をはっきりした数字で言わないこと(「あと6か月です」などと言わない)。
こうした予測は、何の助けにもならない。それどころか、いたずらに恐怖心を増すし、めったに的中しない(いくつかの研究で、医療者の行う予後の予測は大方間違っている、と報告されている)。一般論として、特定疾患の生存統計は、個々の患者にはあまり役立たない。
予後という恐ろしい話題について、勇気を奮い起こして質問しようとしていることを、言葉あるいは言葉以外の方法でほのめかす人がいる。そんな時、担当医や看護婦が主導権を握って、こう言ってみるとよい。「このような病気に罹った人は、どのくらい生きられるかしらとよく心配しますが、あなたも、ご心配ですか?」。すると患者は、〈この段階で知りたいことはどの程度か〉ということについて、はっきりと意思表示をするだろう。時には、患者の態度が暖昧で判断に苦しむことがある。そんな時にはこう聞く―「あなたは、どのくらい生きたいと望まれ(計画され)ていますか?」―気楽な雰囲気の時にする質問だと思うが、こうした質問が、多くの光を与えて感情をほぐし、恐怖を軽くすることになる。(■患者と話すには)
悪い知らせを受けても希望を捨てず、心の支えを持っている人なら、正直に予後を伝えても、困難に取り組む態度が崩れることはないであろう。生きられる時間が短いという考えに順応するのに一晩かかることは滅多にない。さまざまな情緒や態度を〈試みてみる〉必要があるだけである。そのためには、同じ情報を、いろいろな方法で繰り返し与えることが大切である。(■悪い知らせを伝えるには、死にゆくことへの対応)
できるだけ長く生きたいというのが、ほとんどの患者の希望だが、中には、生命が短いことを知って、たいへん安心する人がいる。短いという知らせを聞いて、心安らかにさえなるのである。
大切な行事(宗教上の祭日、誕生日、結婚式)が終わるまで、死期が延びる患者が時々ある。これは、家族や社会の行事が、残された人生の質だけでなく、量にまで影響を与えることを示唆している。
合い、現実に即したスキルを各人が発揮することによって成り立っている。
よいチームにはよいリーダーシップが必要である。チームのリーダーは、互いに共通性を持つ3つのことに関心を持っているが、それらをバランスよく保たなければならない。すなわち、仕事を達成させること、チームを作りあげること、個々のチームメンバーの能力を向上させることである。仕事に対する熱意を伝え、方針や計画についてチームに簡潔な指示を与え、メンバー各人に職務を委任し、そうやって、個々のチームメンバーのスキルを育てていく。これがリーダーの役目である。
一定の職務に関与している人々のチームには、常に緊張感がただよっているだろう。それを善意と定期的な話し合いで克服していくのである。「もしグループがその職務に失敗するとすれば、その理由は、多分、各チームメンバーが自分の地位を確立することに一層の関心を向けたからである」。(ニコロ・マッキャベリ)
よいターミナルケアは、必然的に学際的である。能率よいケアを行うには、コミュニケーションが基本となる。定期的に再評価しておけば、「誰かがそれをやるだろう」という、チームメンバーがおかしかねない無責任さを回避することができる。
患者に提供する援助の内容は、患者の個人的な事情、意見ないし感情などを斟酌して決めることになる。以上の情報をチーム全体で共有するなら、個人のプライバシーを尊重し、クオリティ・オブ・ライフを向上させる目的をもった援助でなければならない。
患者について語るには、その患者を愛するという態度が前提になる。医療者が患者について(そして患者と)話し合う姿勢次第で、ケアの水準が左右される。
ゴシップ(そこにいない人についての噂話)は、人々の間のコミュニケーションを図る主要な形の一つである。ゴシップは情報を提供し、グループの機能を高め、話題になっている人をサポートするのに役立つこともある。
しかし、次のような場合には、ゴシップはマイナスとなる:
●信頼を裏切る
●誤りである(あるいは、噂にとどまっている)
●見当違いである
●品位を傷つける
●独断的である
ゴシップは患者のケアには有害である。たとえば、年配のスタッフメンバーが患者をけなすような言辞を吐くと、チーム全体に影響を与える。ゴシップは、天才と言おうと、異常者と言おうと、すべての人を同じ言葉で語ることになりがちである。そうなると、現実の患者の心の痛みから、われわれを遠ざけてしまう。ゴシップは魅力的である。それは他人に対して優越感を抱かせるからである。しかも偽善(自分自身は善を行わないのに、他人にはしたように見せかける)をも助長する。
Telling the Truth 真実を伝える
★いかに多く話しても、結局は、話し足りないか、話しすぎかの間のどこかに落ち着くものだ。(トム・ウェスト)
かつては、重篤な病気を抱えている人には、本当のことを話すべきではない、という見解を持つ医師が多かった。本当の診断名を知らせると、患者を意気消沈させ絶望の底に落とす、と医師が考えていたのは明らかである。しかし、言わないでおくことが患者のためであるという考えは、間違った憶測に過ぎなかったのである。言わないでおくと、患者が状況に適応しようとする姿勢を妨げてしまうだけである。
〈無害第一〉(Primum Non Nocere[害を与えないのが何より])の原則は、欺瞞の姿勢を弁護するために使われることが多い。医者から悪い知らせを聞いた時、患者はたしかに苦悩するだろう。しかし、話し合いは避けた方がよいと言うのは、外科医が、手術しない方が患者に苦痛を与えないから、切らないでおこうと言っているのと同じになってしまう。
真実を知った時は苦しいかも知れないが、それを知った利益も大きいに違いない。いくつかの調査によると、がん患者の大多数は真実を伝えられたいと望んでいる。
者として患者の願望を把握し、その患者に合った「情報を分かち合う方法」を考案しなければならないことは明らかである。これが本書の第4章で述べている悪い知らせを伝える時の原則である。
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