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VII 誰が悪い知らせを伝えるべきか?
 悪い知らせを伝えることは、誰の責任であるかということもまた難問である。理論上、患者の医療のすべての面と同様、患者を担当している部長や医局長などの医師に最終的な責任があることになる。しかし、非常に多くの場合、若い医師や看護婦に任せられていることが多い。これは、(1)悪い知らせを伝えることは厄介な職務であることが多い、(2)臨床において明確な規範がない、(3)当直や呼び出しによる勤務体制である、などの理由による。例えば1970年代の英国の病院の多くにおいては、患者が死亡したことを家族に伝えるのは経験のある看護婦の仕事であるというのが原則であった。それは医師や学生の職務ではないと言われており、看護婦がどのように家族に話しているかを見る機会さえなかった。
 カナダのトロントにおける私達の経験では、悪い知らせを伝えるという仕事が任せられている現状が、後に様々な問題を引き起こした多くの症例を、若い医師や医学生から聞いている。そのうちのいくつかの症例は劇的ですらある。
 50代前半の女性が、夜遅く心筋梗塞後の不整脈により突然死亡した。ある最終学年の医学生は、夫に彼女の死を知らせるために電話するように研修医から指示された。その学生はその日に病棟に配属されたばかりで、夫に会ったことはなかった。夫は病院から非常に離れたところに住んでおり、学生が電話すると夫は攻撃的な反応を示し、泣き叫んだあげく突然電話を切ってしまった。学生は、研修医にこのことを報告した。研修医は、その後2時間にわたって夫に何度も電話をかけたが応答はなかった。夫が自殺するかもしれないと恐れた研修医は、地元の警察に電話をかけた。警察は夫の家に押入ったが、夫は兄弟の家に泊まりに行っていたことが判明した。
 患者や家族に悪い知らせを伝えることは、細心の注意と技術を要する重要な事柄である。前述の症例においては、理想的には専門的知識や技術、また豊富な経験のある者によって行われるのが望ましかったと言えよう。
 さらに、悪い知らせを伝える人は、患者や家族に対して継続的に責任を持ち、対応する必要がある。悪い知らせを伝えることは通常一回限りの事柄ではなく、その後さらに多くの質問や話し合いが必要となる結果になる。患者に悪い知らせを伝える人自身が、これらの問題の一部をその後に少しでもフォローしてくれるのであれば、患者にとってより望ましいことになる。この事に精通しているある外科医は「研修医に大動脈の移植を頼まないのと同様に、研修医に悪い知らせを伝えることを頼まない」と表現している。
 理想的には、医療従事者は研修の早い時期に、悪い知らせを伝える面談が自ら任される前にその良い例を経験することと、その専門的知識と技術を身に付けることが望ましい。特別な教育講座の開発においては一般的になってきてはいるが、臨床においてはこのことはまだ実施されてない。前述の症例のような話は、今もまだ多くみられる。指導者としての私達の見解では、前述の症例においては伝えた側と伝えられた側の両者にとって不運であり、両者の記憶に大きな傷を残すことになる。悪い知らせを伝える際に有効的に、かつ支持的に面談をすることは、技術と経験のある年長の医療従事者が責任を果たす上で重要である。本書が、医療従事者の悪い知らせを伝えるという職務に必要な技術を向上させる手助けとなることを願っている。
 
患者が情報を伝えるよう強要することはないが、いろいろな理由で惰報を必要としている:
●半信半疑から脱却したいから
●将来のことについて話し合いたいから
●将来について計画(法律的、経済的)を立てたいから
●未解決な感情的な問題を解消しておきたいから
●だまされていたくないから
●心を開いたコミュニケーションを維持したいから
●死への準備をしたいから
 
 診断について、患者にくわしく質問させる機会を与えておけば、たとえ患者が、偶然耳にした会話から、本当の病名を知ったとしても、ひどく打ちのめされた状態に追い込まれないですむ。
 
 「患者は真実を告げられても大丈夫だろうか?」という疑問を持つより、「患者は真実を告げられなくても大丈夫だろうか?」という疑問を持つべきである。ただし、正直に告げると決めたなら、当然、説明をし、患者を支える義務も生じる。
 
 患者を動揺させたり落胆させないように、あまりにも少ししか伝えないということになりがちだが、これはかえって患者の信頼を損ない、後になって、患者の怒りや恨みをかう結果となる。逆に、あまりに多くを言い過ぎても、不安や恐怖を惹き起こす原因になる(→悪い知らせを伝えるには)。
 
★「真実とは、薬と同じで、聡明な使い方をすべきである。それは人を助けもし、傷つけもする潜在能力を持っていることを忘れてはならない」。(アベリー・ワイズマン)
 
Tenesmus しぶり
 しぶりというのは、腸管の活動に伴って再三起こる非常に不快な感覚である。普通は、肛門挙筋内の伸展受容器が、骨盤腫瘍に圧迫された時に起こる。直腸の腹会陰部切除をした時にも、同じ感覚が起こる(〈幻想直腸症候群〉として知られている)。モルヒネかクロルプロマジン、あるいはこの両方を一緒に少量ずつ投与すると、この感覚が消える。
 
宿便が起こらないようにしておくこと
 
 直腸内が大きなカリフラワー様の病変で占められている時には、放射線療法が有効である。ただし、膣に浸潤している場合には、直腸膣瘻ができる危険性があるので禁忌である。
 
 大量のコルチコステロイド(デキサメタゾンを1日に8mg)は、腫瘍周辺の浮腫をとってしぶりを減らす効果がある。
 
 両側腰部交感神経ブロックが、しぶりの軽減、消失に成功する場合もある。
 
★大きくて手術不可能な直腸腫瘍によって起こるしぶりは、経肛門的腫瘍切除あるいはレーザー治療によって軽減することがある。(→レーザー治療)
 
TENS テンス(経皮的神経電気刺激法)
 TENSとは経皮的神経電気刺激法という意味である。
 
 TENSは痛みのゲートコントロール理論(皮膚の機械的レセプターを刺激すると、脊髄でシナプス前抑制を作りだし、痛みの伝達を抑えるという理論)の研究から生まれた。高周波のTENS(80〜200Hz)は、この理論に従っていると考えられるが、従来の低周波TENS(2〜6Hz)は、脊髄や中脳内の内因性オピオイド物質を(ハリと同様に)放出させると考えられている。
 
 これまで、がん患者の痛みにTENSを利用した研究はほとんどないが、有効であると報告している人もいる。ある論文によると、がん患者49人中34人に痛みの緩和がみられ、鎮痛薬を減らすことが出来た患者も幾人かはいるという。
 
 TENSの効果を知っている患者に、それを施行するのは当然である。
 
VI 真実を話すべきか?
 悪い知らせを伝えることが、すべての医療従事者にとって重要な仕事の一部であることが明確になった今、次に困難な倫理的な問題を考えなければならない。すなわち患者に悪い知らせを伝える際に、医療従事者は“真実を伝える”(telling the truth)義務があるのであろうか。この問題は必ずしも単純に結論を出すことのできるものではない。最近まで、おそらく20〜30年前でさえ、患者に真実を伝えることが標準的な医療と認められていなかった。確かに真実を伝えるべきだと主張する人々は常にいた。例えばフランスのSamuel de Sorbire医師が昔の代表である2)。1672年に彼は真実を伝えることが正しい考え方であると提案した。しかし、真実を伝えることは医療を危険にさらすかもしれないと考え、そのような考えは受け入れられないだろうと結論を下している。その後の4世紀の間、de Sorbire医師の言ったことは正しかったようである。真実を伝えるべきか否かの葛藤は、患者や家族にどの程度の情報を伝えるかを完全に管理していた医師においてみられた。1950年代や1960年代には、がんと診断された時に約9割の医師が患者に言わないことを選択しており3)、逃げ口上や明らかな嘘を言う方法まで出版されていた4)
 このような態度は、真実は患者を傷つけるという考えに基づいていたからである。つまり医学的事実を伝えることは、患者の希望や意欲を打ち砕くことになるかもしれないという考えが、非常に広まっていたためである。そして真実を伝えられることを望む患者の数を過小評価していたのである5)。しかし、このことは未だに問題となっている6)。実際、真実を伝えることや深刻な病状を知ることが、絶望や自殺などを含んだ重大な危害を患者に与えるという確かな証拠はほとんどない7)、8)。さらに、このような医師の見解にもかかわらず、真実を知ることを望んでいる患者の割合は常に高い状況である。その割合は50%から97%と報告されている。これは調査によって異なるが9)、病気の性質によって異なるわけではない10)。詳しく文献として調査するのであれば、McIntosh11)やNorthouse12)の論文を参照するとよい。さらに患者の希望は、初期にショックを受け、さらに病気の疑いが事実として明確になった時にも変わることはなかった。
 このように患者は圧倒的に、また一貫して真実を聞くことに賛成してきたが、最近まで医師は真実を伝えることに賛成せず、これを望む患者の数を大幅に過小評価していた。しかしながら、過去20〜30年にわたって、医師の方針と態度は明らかに変化した。1979年に行われた同じ調査は、1951年以来の医療が大幅に変化したことを示した13)。1951年には9割の医師が、がん患者に真実を伝えなかったのに対し、1971年には9割の医師が、基本的方針として真実を伝えるとし、通常は真実を隠すと回答したのはわずか13%であった。詳細な解説は、Billings14)とMaynard15)のものを参照するとよい。このように医師は、社会的圧力に応じて態度を変えたのである。
 今日、精神的に健全な患者は、すべて必要とするあらゆる医学的情報に対して、倫理的、道徳的、かつ法的に絶対的権利があるとされている。これらの権利は、(1)社会が一般的に要求していること、(2)真実を伝えることは医療従事者の倫理的慣習と認識されていること、(3)法律上の前例があること、が互いに関連する根拠となっている。したがって現在、カナダにおいては患者に権利が存在することに対しての異論はほとんど、あるいは全くない。しかし、ある特定の状況下において、これらの権利を放棄することを希望しているかどうかを決めることは、困難な場合が時々ある。
 しかし、患者の権利だけでは、悪い知らせを伝えることの問題のすべてを解決することはできない。議論は今や、「悪い知らせを伝えるか否か」から「いかに伝えるか」16)へ、さらに重要である「いかに情報を分かち合うか」へ移ってきている。この「いかに情報を分かち合うか」とは、医師と患者との双方向の対話のプロセスであり、医師から患者への一方的な宣告ではないことが強調されている。患者の知る権利を重視することが加熱しすぎており、「患者の感情への適切な思いやりが忘れられているのではないか」と感じる臨床家もいる。何も配慮せずに真実を伝えることは、そのやり方そのものにおいて何も配慮せずに真実を隠すことと同じくらい有害なのである「真実は薬のようなものである。それは薬理作用がある」と言ったSimpsonの言葉が最も言い当てている17)。つまり、真実の投与量が不十分であると効果が十分得られず、治療者への信頼を損ねる。逆に投与量が多すぎると患者に抵抗性が出現したり、異常反応や副作用・耐性が出現したりすることになる。したがって、「いかに真実を分かち合うか」は、単に真実を伝えるという事実よりも成果を占う上でさらに重要となる。
 すべての真実が伝えられることを望む患者の割合がどうあろうと、医療従事







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