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解剖見学レポート
獨協医科大学附属看護専門学校 鈴木 寛
 この獨協医科大学附属看護専門学校に入学し、解剖学を学んでわずか4ヶ月にも満たない期間で解剖見学に臨むことは私にとって非常に重いものがあった。解剖学の授業をおろそかにしていたわけではないが、まだ知識の乏しい私にとって本当にご遺体を献体して下さった方々に申し訳ないという気持ちでいっぱいであった。解剖見学前に、今まで授業で習ったことを教科書、ノート、参考書で復習して見学に臨んだ。
 解剖見学で感じたのは本で見るのとはやはり違うということだった。本物を見ると筋肉の感触とか神経がどんな感じかというのもよく分かったし、教科書で分かりにくかった筋肉の重なり具合とか神経がどんなふうに通っているのかがよく分かった。一番驚いたことは、左心室から出る上行大動脈〜大動脈弓〜胸大動脈(大動脈)が自分が思っていた以上に太く存在しているということだった。
 教科書では二次元でしか描かれていないが、実際に三次元で見ると教科書では分かりにくい複雑な部位を確認することが出来たことが、この解剖見学での大きな収穫の一つだと言える。また、授業であやふやに理解していたことが、この解剖見学時の先生方の説明と目の前のご遺体により一つ一つ繋がっていったことに嬉しさを感じた。先生方の質問もあり、それに答えることが出来たので入学当初に比べて自分の力がついてきたことも実感できたと思う。
 何体ものご遺体や各臓器を見ることで、個人差があるということも分かり、それと同時に看護の仕方も人それぞれ違うことを改めて認識した。ご遺体はホルマリンに浸してあり、命ある人体ともまた違ってくるのであろうと思う。体内では無駄な部分がなく、これらの各部位が繋がって命を形成しており、人間の体内の神秘さに心打たれ感動してしまった。
 今回の見学は半日ということで勉強するにはあまりにも短い時間であったが、自分の中に取り込まれた知識は膨大なものであった。しかし、時間の関係もあり細かい所まで見学するには至らなかったと思う。またこのような機会を設けられることがあれば是非見学したい。
 最後に、私達学生のために自ら献体して下さった方々とそのご家族に心から感謝をし、これからも日々の勉学に励み、人々の命を救えるような看護師を目指していこうと思います。
 
東京慈恵会医科大学解剖学教室を見学して
戸板女子短期大学食物栄養科 寺井芙実
 私が本校の食物栄養科・栄養士コースでの授業の一環として、解剖学教室の見学があることを知ったのは受験前、戸板のパンフレットを読んでいたときです。「栄養士になるための勉強をするのに、なぜ解剖学の見学があるのだろう?」と疑問に思いました。その当時、私はまだ栄養士はカロリー計算をして献立を立てるだけの職業だと思っていたのです。しかし、その頃から入学できたなら是非参加してみたいという希望がありました。そして実際に入学する事ができ、専門的な分野を勉強していく中で、「栄養士も医師が病人やけが人を治療するのと同じように、食事の面から病気を治療し、予防の手助けをするやりがいのある仕事」だという事を認識し、栄養士を目標としている私たちこそ、ヒトの体の機能を学び、理解しなければならないと考えました。
 私は、必修科目である解剖生理学や解剖学実習の他に選択科目として生理学を選択していました。解剖学実習は後期の授業ですが、解剖生理学や生理学の授業ではヒトの体の機能についてスライドを観たり、教科書やプリントを使って一通り勉強をしました。特に、私は生理学の授業がとても興味深く、様々な器官の働きがあって自分が生きているのだと思うと、単純な表現ですが不思議な気分です。19年間生きていて、たまには悩みを持つこともありました。しかし、ヒトの体の仕組みを勉強していて、自分自身の心だけでなく、体の大部分のことを知らなすぎる、単に専門分野を学ぶのではなく自分のこととして勉強していけば、より多くのことを吸収できるはずだと思いました。
 実際に解剖学教室に参加してみて、最初は目の前に広がる光景にただ圧倒されるばかりでした。正直に、「怖い」という気持ちもありましたが、こんな貴重な体験ができ、学ばせて頂いているのにそんな心構えではいけないと思い直して、出来るだけ多くの事を吸収しようと考え、積極的に見学できるようになりました。
 今まで、解剖学という分野が最先端の医療に関係しているとはあまり考えないことでしたが、病気やけがなどで亡くなっていった人々の命を無駄にすることなく、これからの医療の発展に活かしていく重要な学問であるのだと実感することができました。そしてまた、感じた事だけでなく、私の中でも大きく変化していく気持ちもありました。それまで私は、「もしも私が大きな病気やけがで命が危なかったとしても、臓器移植までして生きていたくないし、ドナーになる意思もない」と思っていました。しかし、自分が亡くなってからもこの世の中に貢献したいという人々を前にし、今まで自分ひとりで生きてきたかのような、エゴティシズムそのものの考え方であることに気付き、恥ずかしい気持ちで一杯になりました。
 生きていくということは、決してひとりでは成し得ないことです。父や母、また周囲の人々が居てこそ今の私が存在しているという繋がった環境にあることを強く感じました。そして、私も何らかの形でこれからの未来に命を繋げていきたいという希望と使命感を持ち、「自分自身の存在は多くの人々に支えられている」その事実に感謝の気持ちを忘れてはいけないことを学びました。解剖学教室に参加して、実際に観て触れ、考える事ができる貴重な体験ができました。先にも述べたように、考え方も大きく変わりこれからの学習への意欲が湧いてくることを感じながら、この体験を十分活かせる学生生活を送りたいです。
 
解剖実習見学を終えて
東海大学医療技術短期大学看護学科 中西理恵
 まず始めに、ご献体下さいました故人、ならびにそのご遺族の方々に対し心より感謝の言葉を申し上げます。
 解剖実習を通して大変貴重な体験が出来、感謝の気持ちでいっぱいです。本当に有り難うございました。
 解剖実習をする前に「献体のこころ」という本を読みましたが、献体をするまでの色々な思いや、奉仕の精神がとても感じられ感激しました。献体をするまでの間に家族の同意を得るのに大変だったと思います。私は臓器移植のドナーカードを持っていますが、親に説得するのが大変だったので、献体をすることはもっと大変だったと思います。家族みんなの同意を得るための努力や、献体をするまで多くの人々の協力によって解剖実習が実現していることは、私たちはとても幸せとしかいいようがありません。しかも、多くの遺体があり男性と女性の人体の構造を見ることが出来たので感激しました。少し残念だったことは、時間が一時間あまりしか見ることが出来なかったので、せっかく献体をしていただいたのにじっくり見ることが出来ず心残りがあります。
 解剖をするまで献体することは自分の立場で考えると恥ずかしいという気持ちで終わっていましたが、解剖実習を終えてからは献体をしたいという人の気持ちが分かったし、自分でも献体をしたいという気持ちになりました。
 教科書等で学習すれば人体の構造は分かるとたかをくくっていましたが、実際解剖の実習をしてみると臓器の大きさや、場所の位置などがかなり違い人体は複雑な構造をしているとあらためて実感しました。解剖の実習で人体を立体的に見ることによってしか確実に人体の構造を把握することは出来ないので、献体をして頂くということは医療従事者にとってとてもありがたいことだと感じた。ご本人のご希望は、多くの人々の健康に役立つことに他ならないと思うが、これからなる医療従事者にとっては、良い形で社会に還元しなくてはならないという役割を持つと同時に、希望を胸に深い思いやりを持って、お亡くなりになられた方への気持ちを裏切ることなく勉学に励みたいと思います。解剖をする前に勉強をしてきたつもりでしたが実際見てみると分からないことだらけだったので、まだまだ自分の勉強不足を認めると同時に、献体して下さった方に申し訳ないと言う気持ちでいっぱいになりました。
 最後に、故人のご冥福を心よりお祈りいたしますと共に、準備、ご指導くださいました先生方、ご献体に携わった全ての方に厚くお礼申し上げます。







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