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2002年解剖学実習セミナーに参加させて頂いて
順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科 上野めぐみ
 第一解剖学教室の諸先生方および、さくらキャンパス関係教官の皆様方のご配慮により、学部生という立場にもかかわらず2002年解剖実習セミナーに参加させていただけた事に心から感謝申し上げます。
 事前に「見学参加という形なら学部生でも許可されるかも知れない」というお話を頂きました。理学療法士として働く中で、実際に人体解剖を経験しておきたいという私の希望がこのように叶えられたことにより、セミナー以降の臨床現場では、以前よりも自信を持って患者さんに接する事ができるようになりました(現在、学生生活を送ると同時にPTとして働くことを何とか両立させています)。
 2週間の講義&実習を通じて私が得たものは、大きく三つあると思っています、一つは、人体の正常解剖を経験したことそのものです。坂井教授の言葉をお借り致しますと、「人体の世界へと入り込み」、「自分なりに解剖を楽しんだ」という経験は、本当に得がたいものだと思います。医療従事者という立場以前に、ひとりの人間として人体解剖を体験し、そして我々人間という種族の構造を知ることができたことで、未だかつてない神秘的な気持ちになりました。
 二つ目は坂井教授の講義を拝聴する事ができたことです。ひとつの哲学に触れたような気がしています。前大学(医療技術短期大学部ですが・・・)ではひたすら解剖学書に掲載されている事実を覚えることに終始していました。解剖学が楽しいと思った記憶は残念ながらありません。それは国家試験に合格し、PTになるための勉強だったので仕方がなかったのだと思います。でも今回、人体の世界へのご案内・・・といったユニークな講義により、解剖学の歴史の概論を学び、進化とともになぜこのような構造になったか?という切り口の内容に楽しさを感じ、引き込まれるように受講させていただきました。先日、私の親友である同学年の女性医師に、今回のセミナーの楽しさを少々自慢げに語りましたところ、彼女は相当うらやましがっていました。
 三つ目は人体の構造を自分の目で見、手で触り、それを現在生きている人々の社会生活に還元するチャンスを得たことです。私はこれからも理学療法士として高齢者医療に従事してゆくつもりでいます。自分で実際体験した人体の世界を韓の中に繰り広げ、今後私が接する全ての方々にとって有益な理学療法を提供できるように、努力してゆく気持ちです。
 2年後、再びセミナーに参加させていただける事を楽しみにしております。夏休み返上でセミナーを開催して下さった第一解剖学教室のスタッフの皆様、および実習のために御献体して下さった白梅会会員故人の皆様にあらためて心から感謝申し上げます。
 
解剖実習セミナーレポート
順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科 内田雄介
 平成14年8月19日から30日までの土日を除く10日間、医学部解剖学実習室において行われた「解剖実習セミナー2002」に参加させていただきました。私にとって人体解剖というのは未知の領域でした。その領域に触れることのできる時間を与えられた喜びと、そして『死』と正面から向き合うことに対する不安がありました。そういった気持ちが交錯する中、実習が始まりました。
 それまでの自分は人の死を『死』という言葉とその言葉の概念から受け止めていました。それは、自分の祖父母の死に立ち会った際も、そのように考えていました。『死』を現実のものとしてゆっくりと考えたことがなかったからでしょう。私は、実習の間、解剖を行い人体の構造を観察するのと同時に、そのことを考えることから逃げないようにしようと心に誓いました。
 私は、この実習の間に一つ気づいたことがあります。それは『死』を考えること、それは『生』を考えることとイコールであることだということです。自分が今、目の前にしている御献体は確かに亡くなられている。もう目を開かれることもなく、体の温かさも感じられない御遺体でした。しかし、その方が生きておられたとき、その方は確かに目を開かれ、体の温かさをもって生きておられたのだということを認識しました。誰もが、この世に生まれて、人のなか、社会のなかで生きて、そして死んでいくのでしょう。そのなかで、その人それぞれが、笑って、泣いて、怒って、哀しんでという様々な場面を体験します。御献体の方の中にも、生きてこられた分の人生が宿っていると考えられずにはいれませんでした。
 御遺体を解剖させていただき、人体構造の細部にわたって大変有意義な勉強させていただいただけでなく、私のような若輩な人間が故人の方に、人の『死』と『生』を考える機会を与えていただきました。これは本を読んで得ることができるものではなく、体験を通して得ることができるものであり、しっかりと私の心の中に刻まれました。
 最終日、まだ日が暮れても蒸し暑い街なかを駅へと向かう私は確かに一回り大きくなった自分がいるのを感じたことを今でも覚えています。
 最後に、解剖実習セミナーにて解剖させていただいた故人の方のご冥福をお祈りいたします。また、御指導いただきました坂井先生、私たちの班を指導してくださった小泉先生をはじめ、解剖学教室の先生方に厚く御礼申し上げます。
 
救急救命隊員の使命
宮崎県消防学校 上鑢明彦
 救急救命高度化研修の中で、人体での解剖見学実習が行われました。
 それに先立ち解剖学の講義が行われ、遺体の取り扱いで生じる法的な根拠、解剖の種類及び感染の危険性などの説明がありました。
 また、献体の説明があり、当県内でも、本人が献体登録(もちろん家族の同意のもと)されている方が千九百人も居られることを知り驚愕しました。自らの意志で生前に登録された方々の数です。臓器移植については私自身も考えたことがありますが、もし、私の家族が臓器提供者となったらと考えると、私自身受け入れられるかどうか疑問です。これは死生観や宗教観などの問題があると思います。
 しかし、この法律制定の前から、死後の自分の在り方を考えている人々があることを知ることができました。そして「礼意を失わないこと」と言われました。この言葉の意味を考えてみました。現代医学が日々進歩を続けでいることはニュース等で知っています。それを見て、優れた手術の方法が、優れた薬剤が、と人々は喜び、また安心もします。しかし、このような目覚ましい進歩の陰に、死してなお子孫のために、人々の幸福のために役立とうとする人々が居られることを忘れてはならないのだ、と思いました。
 またその家族の気持ちを考えると、私はこの実習を絶対に忘れてはならないし、今後の救急救命活動に役立たせねばならぬ、それが私の務めなのだという使命感を抱きました。
 実習が始まり、私は御遺体の目をずっと見ていました。それは少しでも思いを知りたく、どのような願いがあるかを少しでも理解して実習に臨みたかったからです。これが礼意だと思っています。
 実習では、知識に基づく経験ができました。また、生と死についての考えが変わったように思います。この経験を日ごろの救急救命活動に役立たせていくことが私の使命です。
 これからの救急隊員も医療従事者との認識のもとに、実習が続けられることを希望します。
 献体者の皆様に祈りを捧げます。







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