日本財団 図書館


解剖実習を終えて
鹿児島大学歯学部 吉原真理子
 解剖実習は、私にとって今までの経験の中でも特に、印象深いものとなりました。先生や先輩方から、話はたくさん聞いていましたが、実際にやってみるのとでは違うこともたくさんありました。
 初めて解剖実習室に入った時は、私なりの覚悟を決めていました。しかし、御遺体と体面する時は恐ろしくてたまりませんでした。日々の生活の中ではあまり死というものに接することは無く、自分がそのような状況に耐えられるかどうか、とても不安でした。しかし御遺体と向き合ってみると、意外にも冷静で落ち着いていられる自分に少し驚きを感じました。
 私の友人は耐えられず、泣きながら部屋を出て行ってしまいましたが、私が取り乱すことなくいられたことは今でも不思議に思っています。自分は意外に強かったのだと、改めて感じました。また同じ班の女子がホルマリンのアレルギーで解剖に参加することができなくなり、彼女の分まで頑張らねばという思いも強くありました。
 実際に皮剥ぎを始めると、淡々と作業として行えるようになりました。皮を剥ぎ、脂肪をとり、筋肉や神経を出し・・・作業はどんどん進み、解剖づけの日々になると始めにご遺体を見ることを恐がっていた気持ちを忘れてしまうほどになっていました。
 そんな時、母と電話で話していて、今日はどこの筋肉を切ったとか、頭を取り外したということを、日常会話のつもりで報告すると、母は、もうやめて、聞きたくない、とか気持ちが悪い、というようなことを私に言いました。私はその時に、自分は普通の人が聞くと信じられないような作業をしているということを思い出し、慣れすぎて御遺体に対する感謝の心を忘れてはいけないなと思いました。
 教科書や授業では、一通り人体を見てはいましたが、実際に解剖をしながら、筋肉のつき方や神経、脈管系の走り方、内臓の一つ一つなどを丁寧にじっくり見ていくことは、面白いことでもありました。御遺体によっても特徴が様々あり、教科書どおりでない神経の走り方をみつけたり、臓器を一つ一つ手に取って観察することで興味が深まり、ただの暗記ではなく知識として頭に入っていったような気がします。
 私は腹腔を開けた後の臓器を観察していくのが、作業の中でも一番面白く感じました。胃から十二指腸、空腸、回腸、結腸・・・と続いていく様子や、ヒダのつき方、動脈・静脈の走り方を実際に目で見て触れながら覚えることができました。
 また、心臓のスケッチをしながら心臓の形を捉え、大動脈や肺動脈の区別や弁の形の違いを見たり、栄養する動静脈を一つ一つ見ていきました。また、大分医大から来られた先生が言っておられた、田原結節を自分の目でも見てみたいと思い、細かくピンセットで探しましたが、これはやはり見ることができませんでした。
 このように、頭から足まで体全体を、たくさんの時間をかけてじっくりと解剖をして、観察できたことは、とても幸せなことであったのだと、今になって改めて感じます。体の様々な器官がどこにどのように存在し、関連しあっているのか目で見て理解し、たくさんの知識を得ることができました。この貴重な経験を生かし、全身管理のできる歯科医を目指し努力していきたいと思います。
 
解剖学実習を終えて
神戸大学医学部 鷲尾 健
 御棺に添えられた花を見つめている間、色々な想いが湧いてきました。もっと沢山の知識があればよかったと、自分の精進の足りなさを反省するとともに、夜遅くまで実習室に残り、ピンセット片手に奮闘した想い出から来る達成感が混ざり合い、感無量でした。そして、このようなチャンスを私達に与えてくださった全ての方に対する感謝の念が溢れて来ました。
 思えば、実習が始まった頃は人体に刃を入れることへの抵抗感から、作業が進まず遅れてばかりいました。しかし、折角頂いた機会を無駄にしたくないとの想いが私の中で徐々に強くなり、自然と手が進むようになりました。その日の課題である血管や神経を全て自分達で探しだせた時の喜びは言うまでもありません。それでも、やはり実習をしていて辛い日もありました。体調を崩しながら、無理に学校に行った日や、思うように血管等が見つからず苦労した日、思いがけぬところで大きな失敗をした日など・・・。そのような時に、同じ班の友人に励まされたり、先生方に温かく指導して頂いたからこそ、なんとか実習を終える事が出来たと思います。
 実習の開始と終了時に、全員で成願なされた方に黙祷をささげます。そしてその後に私は必ず、始まりには「お願いします」、終わりには「ありがとうございました」といつも言うことにしていました。それは、私にとって目の前のご遺体が先生のように思えたからです。私達は様々な事を学びました。その中でも特に、「人間の体を扱うのは一筋縄ではいかない」ということを教わったと思います。つまり筋肉の付き方や神経や血管の通り道などは、個人によって少しずつ異なり、教科書通りに実習が進むわけではありません。当たり前の様ですが、外科手術にせよ注射や麻酔にしてもそれを踏まえた上で行わないと、それらの大切な組織を傷つけてしまう訳ですから、いざその場に立っている自分を想像して見ると今のままの知識では不安を感じます。だからこそ勉学に対する熱意も湧いてきます。
 実習が終わった今、もう一度献体された方に「ありがとうございました」とこの場を借りてお礼を言いたいと思います。私は家族の死がきっかけで医師を目指すようになり、神戸大学にやって来ました。そして実習室でもう一つの死に出会いました。そして今回、「良い医師に絶対なる」と後戻りしない覚悟を決めました。目指すべき「良医」がどのようなものか私はまだ漢然とした感触しか持っていませんし、私の学力など山頂に比べれば、麓の村にも遠く及ばないことは想像に難くありません。しかし、この誓いを忘れずに、諦めることなく努力していきたいと思う日々であります。
 
解剖学実習を終えて
聖マリアンナ医科大学 和田佐保
 「この方は何を思い献体を志願されたのであろうか」
 ご遺体と向き合った数ヶ月の間、私はいつも心の中でこの問いかけを続けていた。
 前期試験を終えた九月末、解剖学実習は始まった。先生の説明や先輩方の話から、事前にある程度の心構えをしていた私は、それ程ショックを受けないだろうと考えていた。しかし、一日四時間の実習を終えた日は、家に帰っても何もする気になれない程クタクタになっていた。またメスを握る手はぎこちなく、親指の関節が痛くて痛くてたまらなかった。実習が始まってからの数週間は、解剖学の勉強の内容や、実習の意義などについて考える余裕は全くなく、ただ自分を保っていることで精一杯であった。
 数週間が経ち、人体の構造が見えてくる頃になると、私の気持ちにも少し余裕ができ始めていた。筋の走行が教科書と全く同じであったり、逆に神経の走行が少し違っていたりと、あらゆることが私にとっては驚きであった。また自分がイメージしていたものとはあまりにも違ったため、すぐ手元にある臓器に気付かないといったことも度々あった。
 ちょうどその頃、私は一冊の本を読んでいた。日本の志願献体第一号となった遊女美幾の一生を描いた『白き旅立ち』(渡辺淳一著・新潮文庫)である。遊女として世間の片隅に追われ性病を患った美幾は、自分の生きた証として献体を志願する。西洋医学がまだ珍しかった時代に、「腑分けは恐ろしい」と感じながらも様々な葛藤の末美幾は献体を志願した。もちろんこれは小説であり、多少の創作も含まれているだろう。しかし、私は自分と同じような若い女性が医学の発展のために自らの体を捧げたことに、深い感銘を受けたのである。と同時に、今私の目の前に横たわっているご遺体は、どのような思いで献体をされたのかと考えるようになっていた。亡くなった後のこととはいえ、やはり自分の体を解剖されることに恐ろしさがあったのではないだろうか。学生達の前に体をさらけ出すことに抵抗はなかったのであろうか。そして自分だったら献体することが出来るのであろうか・・・。名前も生い立ちも知らないご遺体に、私は美幾の姿を重ね合わせていた。
 実習前、私は解剖学を学習過程の一つとしてしか捉えていなかったように思う。しかし、解剖学実習は私達医学生が生身の患者さんと対面する初めての場であった。患者さんにはそれぞれの人生があり思いがある。また患者さんを取り囲む人々にもそれぞれの思いがある。そうした多くの人々の思いに支えられながら私達は医学を学ぶことが出来るのだと、実習を終えた今私は実感した。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION