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念願の解剖学実習を終えて
九州大学医学部 松尾光通
 医学部に入学するにあたり多くの人にとって関心の的になるのはどんな授業よりも解剖学実習だと思います。初めて人体に自ら刃物を入れ、その内部を見ることは医学部以外では経験できるものではありません。また初めて死体をみる人がほとんどなので、単純にそのようなことへの興味があるというだけの人も多いでしょう。
 しかし、興味や好奇心が先行している僕たち学生にとってこの半年にわたる実習は正直きつく、楽しいものではありませんでした。解剖用に処理された人体は生前とは違い硬く手引きに載っているように簡単には作業が進みません。しかも長いときには一日すべてが解剖にあてられ家に帰ったときには何もできないほど疲れていることもありました。
 やっと解剖実習が最後を迎える今になると、実習が始まったときのことを思い出します。どのように器具を使えばうまくいくのか、人体の組織がどのようなかたちをしていて見分けるのかがわからず、ただ手引きのとおりに進めていました。今は自分のこだわりや、興味のあることを追求して解剖を進めていることが大きな自分の成長だと思います。
 所見発表も良い体験だったと思います。相互学習をしても説明をするときにはその組織のほとんどが失われているので深い理解はできません。他の班の調べ上げた発表は自分たちとは着眼点が違い、思わぬ発見がありました。ただ、すべての班の発表をするために、制限時間が5分しかなかったのが残念でした。出来上がった原稿をただ読み進めないといけないのは、実際の発表等では役に立たないであろうし、聴いているほうとしてもあまりにも速すぎてときに理解できない班もありました。
 最後に一番強く感じたのは、人体があまりにも多くの部分・組織でできているのだということです。血管も微細ですぐに切れてしまうほどのものから、弾力があり、指ほどの太さがあるものまで観察をすることができました。常識的に知っている臓器も場所を特定し、手に持ってみることでより深い知識がつきました。夏休みにはこの半年の実習の復習をしっかりとし、この解剖学実習をみのりの多いものにしようと思います。
 
系統解剖学実習で学んだこと
三重大学医学部 松宮佑子
 解剖学実習はやはり「実習」というだけあって、教科書では学べないことを学べたと思う。そもそも教科書を使っての勉強というのは、知識や理論をとりあえず頭に入れるだけで、全ては想像の中で進んでいく。これに対して、実習は実際に体感できるので、一度学んだことはずっと記憶に残る。教科書の勉強には代えられないものがある。
 今回の実習ではヒトの身体はそれぞれ異なるということがよくわかった。一人一人性格や外見が異なるように、身体の中も異なっていた。ここまで異なるものだとは正直驚いた。これは教科書では知ることのできないことだ。最近、一人一人に合わせた医療=テイラーメイド医療が注目されている理由の一端を知った気がした。
 解剖実習で引き締められたこの気持ちを忘れずに、これからがんばっていきたいと強く思う。
 最後になりましたが、御遺体を提供して下さった方、その御家族の方々に深く感謝します。
 
解剖実習のなかで感じたこと・考えたこと
順天堂大学大学院医史学専攻 田純子
 2002年8月19日から30日のうち全10日間、「解剖実習セミナー2002」に参加させていただきました。事前に坂井先生のご著書を読み、白梅会会員の方々からご献体いただいていることを知りました。黙祷に始まり、黙祷に終わるご遺体の解剖は、ご遺志を大切にする気持ちを日々強めていったように思います。
 実習では、人体の構造を骨格・筋・血管の細部にわたって観察する気力と体力を要しました。初日では、ピンセットを持つ手がいつしかしびれていたこともありました。前半の5日間が終了した週末、8月上旬に他界した義父の告別式のことを想い返していました。納棺の時に触れた手の冷たさ、お骨上げの時に箸に伝わってくるもろさ、この世からあの世へ逝ってしまった大きな距離感が突きつけられました。しかし実習でご遺体と向き合い、人体からのメッセージに耳を傾けようとしてきたことを通して、生と死の間の距離感が少しずつ短縮されたように感じられます。
 坂井先生のご講義の第1回めで、「自分の身体は自分だけのものだが、そのなかには普遍的な物体がある」ことをお話しなさいました。個別性と普遍性という相矛盾することが、実は表裏一体であることに気づかされて、私は2年前の出産直前に帝王切開になることを医師から説明を受けた時のことを想い出しました。インフォームド・コンセントに基づき署名、捺印を求められましたが、自分の身体であるのにイメージがわきませんでした。子宮にいる胎児の映像をエコーで見ていましたが、「映像」に留まっていたのです。実習でご遺体の子宮に触れて初めて、目にしている構造と同様のものが自分の身体にもあることを実感しました。と同時に、この方にはお子さんがおられたのだろうか、どのような生涯を送られたのだろうか、ということにも思いを馳せました。
 今回充実した実習を体験させていただき、この誌面をお借りして白梅会会員の故人のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご指導いただいた坂井先生、宮木先生をはじめ、解剖学教室の先生がたに深くお礼を申し上げます。
 
熊本白菊会第21回総会での報告より
熊本大学医学部 山口絵美
 解剖学は、1年生の後期に行われる組織学実習から始まります。組織学とは、顕微鏡を使って体の細い構造を勉強します。2年生の前期には、主に人体の構造や発生学に関するいろいろな講義があり、5月には実物の脳を観察する学習、6月からは、骨の観察やスケッチを通して人体の構造をイメージする骨学実習も始まります。10月には、前期に行われた講義と骨学実習の成果をはかる試験があり、この試験に合格して始めて解剖学の実習に進む事が出来るのです。この試験は膨大な量の専門用語をラテン語で覚えなければならず、声に出したり、何度もノートに書いたりと大変苦労して覚えました。
 この二つの試験を乗り越えて11月から約4ヶ月にわたっての解剖学実習が始まりました。週に4回、お昼の1時から夜の9時ぐらいまで実習は続きます。実習の時間内で終わりきるという事は難しく、作業や課題が遅れている人は、土曜日も大学に来て遅れを取り戻していました。
 実習中は、体のいろいろな構造を正しく観察することが重要となります。ただ見ているだけでは、なかなか目に焼き付くことはありません。正しく物を見る力を養うために、二つの課題が出されます。一つは、毎回配られる記録用紙で、これは、その日の実習のポイントとなる項目を書き記すもので、もう一つが会場の奥に展示してある詳細なスケッチであるレポートです。この記録用紙とレポートは、一枚一枚、先生方も実物を見ながら点検して下さいます。ちゃんと実物を見ていなかったり、理解できていないまま提出したものは、何度でも返され、その度に教科書を読み返したり、先生方に質問をして一つ一つ問題点を解決していきます。このような先生方とのやりとりを通して、解剖学的な物の見方、考え方というものが自然と身に付いていくのです。
 また、実習の一環として、所見発表という時間が設けられています。筋肉の形や血管、神経の走り方は、人それぞれ特徴があるのですが、その中でも人の体の成り立ちを考える上で重要な示唆を与えてくれる血管や筋肉が出てくることが多々あります。それを所見と呼んで区別しているのですが、その所見の要点を図示し、その意味するところを考察、発表し、クラス全員でその問題を考えます。
 最後に実習調査とは、自分達であるテーマを定め、26体全ての御遺体を見て、何らかの規則性を見い出し、自分達なりの答えを探します。これはまさに先生方がやっている研究の真似事のようなものです。私も実習調査に挑戦して、とても大変でしたが、最初は何をどう考えて良いかわからない混沌とした状態の中から、真理が見えてくる時の喜びと感動は忘れられません。
 解剖学実習では、人体の構造の素晴らしさに感動することばかりでした。会員の皆さんにも、この感動を少しでも伝えることが出来たらと思い、レポートや実習調査の展示の他に、今年は新しい試みとしていくつかの模型を作りました。心臓と肺、そして一番太い神経と血管の簡単な模型です。是非一度ご覧になって、その大きさや太さを実感して下さい。







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