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解剖学実習を終えて
日本医科大学 本間英恵
 実習の全過程が終了した今、完全燃焼とはいかないまでも満足のいく解剖実習ができたと思っている。それは半年前の自分を考えて大きく進歩したように思えるからだ。半年間の実習で人体構造の大略をつかむことができた。そしてその集大成として自分の中に人体地図の骨組みができあがってきた。ここで培った医学への一歩は私の中では非常に大きな前進となったように感じられる。というのは前に比べて医学の勉強が円滑に進むようになってきたからである。例えば、始めはなかなか読み進むことができなかった教科書も今では淡々と読み進むことができるのだ。ようやく私の頭の中で医学を学ぶ準備が整い始めたという感じである。
 こうなると芋づる式にいろいろなことが理解できてくる。実習中は何気なく解剖していた一束の舌神経は、実は知覚性の下顎神経と内臓運動性の顔面神経と特殊感覚性(味覚)の顔面神経の三つの神経が一緒になっていたものだった、という具合に意外に太かった理由を理解しながら復習を進めるのである。考えてみれば、名前をひたすら暗唱するような復習から、次第に実習で疑問に思ったことを教科書で調べて納得するような復習法に変わっていった気がする。解剖学用語も慣れてくると英語の単語といっしょで簡単に頭に入ってくるようになった。解剖実習もそろそろ終盤に差し掛かってきた11月ごろになると、辛かった解剖の勉強が一気に楽しくなってきた。お小遣いをはたいて買ったSobottaのAtlas of Human Anatomy(人体解剖図鑑)も十分役立つようになった。予習ではアトラスをしっかりながめて概略を頭に入れていくことを心がけた。しかし所詮本である。眺めているだけでは中々理解に苦しむことが多いのだ。数々の疑問を胸に解剖実習に向かうわけなのだが、そのたびに実習の威力に感動させられた。内耳における骨迷路と膜迷路の構造は本だけでは理解不能であった。それが実習でノミを使って側頭骨の錐体部を彫り進めていくと、なるほど骨の迷路が出現してきた。前胃間膜、後胃間膜、腹膜後器官など、本を見てもさっばりわからない。それが、実習で腹腔をあけ、壁側腹膜をたどると、なるほど、折れ返っている。骨盤内も手で触って初めて理解できた。解剖実習に大きな手応えを感じるようになった。そして、医学教育や研究のために献体を自ら願い出てくださった献体者の遺志に対する深い感謝の気持ちが一段と強くなった。献体者の御遺志に報えるよう勉強に力が入った。
 すべての実習を終え、充実感はある。しかしながら、まだまだ勉強し残したことがたくさんあり、そのことを考えると心残りである。後悔がある部分はこれからしっかり復習をしたいと思う。最後に、献体者の御遺志に深い感謝の気持ちをこめてご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。
 
解剖学実習を終えて
高知医科大学
前田絵美・政本大二郎
俣野美雪・松島幸生
 私は生涯を通じて解剖学実習の初日のことを忘れることはないと思います。御遺体と体面した時のこと、御遺体にメスを入れた瞬間のことなど、今でもその時の状景・心情が鮮明に思い出されます。正直、御遺体と対面した時は自分に解剖ができるのだろうかと不安な気持ちでいっぱいでした。ただただ御遺体を前に立ち尽くしている自分がいたのを覚えています。しかし、いざメスを手にした時、そういった不安は消えてなくなり、何かに後押しされるように御遺体にメスをいれることができました。私は御遺体が導いて下さったのだと感じました。
 実習が進むにつれて、おぼつかなかったメスの取り扱いにも慣れ、一つ一つ明らかにされていく人体の構造に感動し、全てが意味を持った美しい構造であることに驚嘆しました。最近では医学の知識は身近なものになり、一般の方でもそこそこの知識は持ってらっしゃると思います。しかし、一般の人では決して持つことのできない知識を実習から得たと思います。解剖学実習は医に携わる者だけに許された貴重な体験です。同時に医に対する責任を背負うということでもあります。それを心に刻みながら充実した実習を行うことができました。
 全ての実習が終わった時、実習をやり遂げた達成感と最後まで実習を導いて下さった御遺体への感謝の気持ちから涙が出そうになりました。亡くなられた故人とその御遺族の方々にとって献体を決意されることは物凄く大変なことだと思います。献体をして下さるから、私たちは人体の神秘に触れ、医師へ向けて大きく前進する機会を得ることができたということを忘れてはならないと思います。最後になりましたが、御献体下さった方々の御冥福を心よりお祈り申し上げますと共に、御指導下さった方々、そして御遺族の方々に、重ねて厚く御礼申し上げます。
 
人体解剖実習を終えて
鹿児島大学医学部 町頭さくら
 私の大学に入学する前の医学部のイメージといえばなんと言っても人体解剖実習があるということであった。しかし、その解剖に対するイメージもただ臓器をご遺体から取り出すといった程度の安易なものだった。入学してからは教養課程の生ぬるさに慣れてしまっていたが、生命科学実験でコイやマウスの解剖をしたときに2年生の後期になったら人体解剖実習があるのだなあと思い不安になった。コイやマウスの解剖で私は結構生き物を殺してしまったことに対する罪悪感を感じていた。人体の解剖は倫理的な観点から考えてみても、きっともっと罪悪感を感じてしまうだろう。出来たら避けて通れないものかなあ、とすら考え始めていた。そして同時に人体解剖実習に対して抱いていた安易で興味本位的な考えはなくなった。2年生の後期に入って人体解剖実習が近づくにつれ、実習に対する不安、緊張が増してきた。解剖をしたら人としての道を踏み外すことになるような気すらしていた。
 そしてとうとう12月3日。実習用の服装に着替えると私の緊張はピークに達していた。ご遺体を目にした瞬間倒れてしまうかもしれないと思った。しかし、ご遺体を見て一番初めに思ったことはとても安らいだ表情をされているなあということだった。勝手な想像だが、幸せな最期だったのだろうとほっとした。そして私たちの勉強のために献体してくださった方やその遺族の意思を無にすることがないように実習をがんばろうと決意した。しかし、実習は思っていたより肉体的にも精神的にもたいへんきつかった。神経や血管を思うようにうまく剖出できずに壁にぶつかったり、実習が終わって家に帰ると次の予習も出来ないまま眠ってしまうこともあった。その悪循環が続いた時期にはこんなことで私は3月まで持つのだろうかと不安になったりもした。正直言って受験勉強よりはるかにきつかった。
 しかし、何とか解剖実習を終えることが出来た。この解剖実習はほかの誰でもない、私自身のためなんだという思いや、同じグループの友人やほかの友人たちも頑張っているんだから頑張ろうという思いがあって乗り越えてこれたのではないかと思った。
 最後に献体をしてくださった方、そしてその遺族の方々に感謝している。献体をするにあたってもしかすると世間体を悪くされたりなどの社会的な不利益を受けたりしたかもしれないのに私たちの勉強のために献体してくださったことは本当にありがたい。ご遺族の方に至っては自分の身を切られるような辛い心境だったと思う。このような方々の善意のお陰で人体について非常に貴重な学習をさせていただいただけでなく、自分で言うのは少し恥ずかしいが、精神的な面でも成長できたように思えるし、医師を目指すにあたっての心構えについて甘い考えを考え直す機会をいただいた。献体してくださった方やご遺族の方々の意思や期待に反することのないようにこれからの医学の勉強も励んでいきたいと思う。そして今解剖実習を終えて抱いているこの気持ちを忘れないようにしていきたい。







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