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解剖実習自主学習を終えて
東海大学医学部 藤沢美亜
 最初に解剖の自主学習に参加しようと思ったのは、掲示板でこの講座が開かれることを知った時のことです。というのも私は、今4年生を終えたところですが、この1年、クリニカルクラークシップで臨床の現場に出てみて改めて解剖の勉強の必要さを感じていたからです。
 例えば、採血ひとつするにしても、腕の静脈と神経の走行、動脈の走行など実際にみて確かめたいと思うのです。胸部のレントゲンを見るにしても胸部の解剖がわかっていなければなりません。位置はもちろんのこと、どことどこが接しているか、そしてどのように走行していくかなど、様々なことがあります。腹部のレントゲンやCTをみるときも頭部のCT、MRIをみるときも同じことがいえます。そして、外科をまわったときにはそれにもまして、もう一度解剖をやって復習ができたらどんなにいいだろうかと痛感しました。外科では、手術の見学をさせてもらいましたが、位置、支配血管、支配神経、筋肉など勉強したいことが様々出てきました。外科では、特に、本を読んだだけではイメージさえもでてこない鼠径ヘルニア、鼠径管について勉強したいと思っていました。このように、本の中だけでは、勉強しても勉強にならず実際に見ることができたならばと何度も思っていたのです。
 そこで、解剖の自主学習に参加させていただくことが出来、もう一度、あの解剖実習室にたつことが出来たときは、2年前の身の引き締る思いとともに、がんばろうとの思いでいっぱいでした。
 実際にご遺体と対面した時は、これから、よろしくお願いしますと思いました。この方は、心不全で亡くなられたということしか知りませんでしたが、実際に解剖させていただいている途中で、手術によって大腸を摘出されていたり、肺に癌組織があり、リンパ節が腫脹していたり、心臓が非常に拡大していたり、様々な病気をされていたことがわかり、病気と戦ってこられたのだなあ、どんなにか、大変だったであろうか、そんな中で、医学のためにと献体されたんだなあと思い頭の下がる思いでありました。
 ご遺族の方にも、献体に賛成されてくださり、こうして、勉強できたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
 解剖の自主学習では、自分の疑問に思っていたことを様々に勉強することができ、本当にありがとうございました。これから、5年生になって再び臨床の現場に戻ったときには、勉強できたことをもとにして、前よりもっと自信を持って、いろいろなことができると確信しています。そして、勉強させていただいた故人やその御遺族に対しても、さらに勉強することによってお気持ちに応えたいと思っています。
 最後に、この解剖の自主講座に参加させていただき、適切な助言をいただいた皆様方に御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 
解剖実習を終えて
岡山大学医学部 藤原理恵
 解剖とは献体があって初めて可能である、ということを私は実習前に学び、そして実習を通してその言葉の深さに気付きました。私は献体をしてくださった方のお陰で解剖学実習をさせて頂いただけではなく、医師を目指す為に必要な様々な倫理観を身に付けることができたと思います。また、自分は多くの人に支えられ、医学を学んでいることを再認識し勉強する姿勢が変わりました。私達が少しでも献体してくださった方の為になれば、それ程嬉しいことはありません。
 解剖を通して、私は死というものについて考えさせられました。近年核家族化により親族の死に直面したことのない人が増加していますが、私もそのうちの一人です。その為か私は死に対して相当の恐怖心があり、できれば考えたくない出来事です。しかし人には皆平等に死が訪れ、死があるからこそ生の価値があると思います。極端に言うと、いかに生きるかはいかに死ぬか、ということになります。献体してくださった方は皆、生きているうちに死を考え、いかに死ぬかを決断されたわけで、死を避けようとする私に死を考える重要性を教えてくださいました。ただ死から逃れたい、と思うまま医師になっていたら、過剰の延命治療はともかくとして、宗教上や信念上の理由から受ければ必ず助かる治療を拒む人々の気持ちが全く理解できなかったと思います。
 死を全く恐れない人は殆どいないでしょう。背を向けたければそうすればいいし、最後まで死を問い続けるのもそれは本人の生き方で誰にも強制されるものではありません。しかし医師が死をただ避けるべきではないと思います。私は改めて、献体をして下さった方々に敬意を表し、感謝したいと思います。
 
系統解剖学実習で学んだこと
三重大学医学部 藤原僚子
 私は解剖を始める前、解剖がいやでいやでしかたなかった。しかし、実際やってみると学ぶところが多く、班のメンバーや周りの人の支えのおかげで楽しく乗り切れたと思う。専門の授業が始まってから、授業はおもしろいとそんなに思えないし、テストの山、それもつめこむだけで、私なんかに医師がやっていけるなんてとても思えなくて、ともすれば医師への情熱は消えかかっていた。しかし、解剖をやり、外科系の先生方のお話を聴いて、やはり医師という仕事はすばらしいと感じた。手術も難しいだろうけど、きっと私も、そして私の周りの人達も一生懸命やればできないことはないに違いないと感じた。将来進む科はそれぞれ違うだろうが、医師になってばりばり働く皆の姿が見えたような気がする。私はというと、興味のある分野を再確認できた事が一番の収穫だったと思う。もともと眼が弱く結膜炎によくかかっていたり、祖父が失明していたりで眼科にはすごく興味があった。でも、入学してから2年を経て、楽な科だから、とか、女だから、とかそういう事情が眼科を希望する理由へとすりかわっていたことに気付いた。しかし、解剖をして、終わろうとする時に、工夫してきれいに眼を剖出しようと努力する自分がいて、眼球の解剖もこう切ってみようとか、角膜をはいでみようとか夢中になってやっていた。ああ、私はやっぱり心底眼が好きなんだなと思った。好きな分野がある私は幸せだと感じた。これから好きな分野も変わって希望する科も変わっていくかもしれない。でも、今は医師への情熱、自信、夢を取り戻せたことが大きいと思う。こんなことは「系統解剖学実習で学んだこと」という主旨にあてはまっていないかもしれない。もちろん、神経や血管の走行、臓器の色、形、大きさを実際に見れたのは感動だった。アトラスやイラストとは違う、実物の複雑さや手触り、こればっかりは机の上ではわからないことだ。献体して下さった患者さん、家族には本当にありがたいと実感した。途中、慣れから、物体のように扱っていると感じた時には少し悩んだりもしたけど、今は御遺体が私に忘れかけていた夢を教えてくれた、そんな気がしている。御遺体は私に知識を与え、導いてくれた恩師の一人だと思う。本当に感謝でいっぱいだ。これからもそれに報いるようにがんばって、立派な人に優しい医師になるためにがんばりたい。
 
『無題』
防衛医科大学校 堀口寛之
 今、解剖実習を終えて、改めて、献体してくださった方への、感謝の気持ちで胸が一杯になっています。始めのころに漠然と持っていた気持ちではなく、はっきりとした強い気持ちとして心に刻みこまれています。
 初めてご遺体を目にして、恐る恐る触れた日の衝撃、解剖を進めていくにつれ次々と眼前に現れる人体の神秘を今思い出しています。これは教科書などで勉強することで得る知識とは全く異なった、実際に触れることで得られる感覚があるのだと思います。この感覚には生命への畏敬も含まれ、これが僕に将来自分達が相手にするのは本ではなく生身の人間であること、生命を相手にする責任の重さを再認識させてくれたと思います。
 この感覚は、他のどのような手段によっても得難いものであると考えます。また、勿論、感覚的なものでなく、教科書で学んだことを実際はどうであるかと照合する場でもありました。自分が勉強をしたつもりでも、求められるところまで至っていなかったのではと反省しています。ただ少なくとも人体は本の通りでは勿論なく、人によって千差万別であり、しかし全ての人が、精巧で緻密な構造でなっているということは解剖実習全体を通して感じることができました。
 最後に、僕は実習の途中で「自分ならば献体をできるだろうか」と自分に問うことがありました。それはとても難しい質問で、医学の為に将来医師として貢献はできても、将来献体するかどうかは本当にわかりません。何故なら、これは自分だけの問題ではなく、自分の後に残される人の気持ちもあるからです。だからこそ、この気持ちを乗り越えて献体なさった方とその家族の方の気持ちに背かぬ様に、今後一層努力して、立派な医師になりたいと思います。本当に有難うございました。







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