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人体解剖実習を終えて
鹿児島大学医学部 原田浩輝
 「ここでは死者が生者に教えることを喜んでいる」こう書かれた解剖室のドアの前に初めてたったのはもう三ヶ月も前だ。あの日の私は、極度に緊張していて冷静さを保とうと必死だったのを覚えている。自分がこれから何を見るのか、何をすることになるのか想像できず、不安でたまらなかった。
 解剖初日、異常に硬く、重いご遺体を解剖台の上に乗せ、そのシートをめくった時、顔こそそむけなかったが、思わず、ゴクリとつばを飲んだ。想像以上に衝撃的だった。私は必死で平然とした表情を繕ったつもりだったが、たぶんうまくいってなかっただろう。皆同様に無口だった。誰も動揺を隠せないでいた。
 生まれて初めて、メスを使った。恐ろしいほどの切れ味だった。人の体にメスを入れている自分に驚き、同時に、改めて自分が医学生であることを強く自覚しなおし、その責任の重大さを背負いなおす思いがした。
 解剖が始まって、一ヶ月を過ぎたころが一番きつかったように思う。メスの使い方も下手でピンセットの持ち方も悪かったせいか、指にたこができ、常にしびれているような感じだった。解剖が予定通り進まず、休日を返上して作業する日も少なくなく、家に帰り着くと疲労でそのまま寝てしまうことも度々あった。が、きついのはもちろん自分だけではなかった。皆が同様に精神的にも肉体的にも疲れていた。私は今回の実習で思いやりの大切さも学ぶ事もできたように思う。やはり、この解剖実習を乗り越えられたのは、この三ヶ月の間、多くの時間を共に過ごした班のメンバーのおかげだった。この三ヶ月ばかりは、皆恋人よりも、家族よりも、多くの時間を共有したに違いない。そしてこのつらさをも共有し、時には愚痴をこぼし、時には励ましあいながら私たちは成長した。
 この三ヶ月で私たちは、ご遺体から、そして教授方から多くの知識を吸収した、教授が出棺の日、「もう君たちは、三ヶ月前の君たちではない」と、おっしゃられたのを聞いたとき少し自分が誇らしく思えた。そこには、三ヶ月前の自分とは明らかに違うと確信に満ちた私がいた。まだまだ医師への道のりは遠いけれども、私の医学生としての第一歩は、確かな手ごたえを持っていた。これから学年が上がるにつれ、より本格的な学習が待ち受けているだろうが、今回の貴重な体験は、私が新たな壁にぶちあたった時のバックグラウンドとして重要な意味を持つことになるだろう。最後に、「ここでは死者が生者に教えることを喜んでいる」という言葉を改めてかみ締め、体を死後差し出してくれた方と、そのご家族、そして、勉強の場と知識を授けてくださった教授方に、心から感謝したいと思う。
 
解剖学実習を終えるにあたって
鹿児島大学医学部 平松 有
 実習室に入ろうとする時、扉のガラスに、このようなことが書かれていた。
 「ここでは死者が生者に教えることを喜んでいる」
 最初自分には全くこの意味が分からなかったが、何か心の奥に響くものがあった。確かにこの実習は解剖学のためにご献体の方の体を使わせていただくものである。しかしその本当の意味を我々が理解して実習ができるかはわからない。その意味でこの言葉は我々に対しての戒めのように感じられた。
 それまでの自分の生活とあまりにもかけ離れた実習であるため、最初は戸惑いを隠しきれなかった。特に班員とご献体を受け取りにいくときのことはよく覚えている。他の班の人が自分たちの班のご献体を受け取っていく中で身震いしていた。自分が果たしてこのような実習をやり通すことができるのかという不安も湧いてきたし、この実習に対する思いが漠然としたものから段々現実として自覚されていく瞬間であった。
 日を重ねていくうちに様々な問題も出てきた。ただでさえ慣れない実習である上に覚えなければならないことが膨大で、何度も挫折しそうになった。特に毎日朝9時から夜8時頃まで実習があったときには精神的にも肉体的にも限界になり、自分が今の世の中から隔離されているように感じた。しかも時期を悪くして突然祖父と母親が倒れてしまい私事でも非常につらい時期であった。そういった中で支えてくれたのはあの扉の言葉と自分の周りの皆、特に班員であった。同じご献体の方に一緒に学ばせてもらい、その中でお互いの考えに触れて話しあうことは何よりも心の支えになった。自分達が考えていても普段話す機会がないことでも素直にぶつけ合うことができ、人と協力して何かを成し遂げることの重要性や魅力を感じることができた。
 実習を終え、「死者が生者に教えることを喜んでいる」ということは単に解剖を学ぶ事に対してでなく、われわれの人間的成長に対して喜んでいると書かれているように思われた。われわれのこの何ヶ月間を常に見守り、精神的にも肉体的にも強くしてくれたのはこの実習であり、ご献体の方である。このことを何よりもご献体の方やその家族の皆様が喜んでくださると思う。
 実は実習が終わって2日後祖父が亡くなった。まだ自分は死というものと向き合いきれていないところもあるが、ご献体の方が死という体験を持ってわれわれに教えてくださったことを自分の将来に生かしていきたい。
 
偉大な先生
愛知学院大学歯学部 深津邦夫
 あたりは水を打ったように静かだった。静寂と冷気のなかで私が目にしたものは緑の布シーツとビニールシーツに覆われ横たわる三十余体のご遺体だった。この物言わぬご遺体こそ人の身体の素晴らしさ、命の大切さ、そしていつかは死に至る現実を、歯科医師をめざす私たちにまさに身をもって教えてくれる偉大な先生なのである。
 「何を躊躇している。勇気を出してメスをあてるのだ」。そう『先生』に促され心の中で「失礼します」と合掌し、生まれて初めて挑んだ人体の皮切、脈管の剖出・・・、人の身体を傷つけることへの嫌悪感や戸惑いも、先生の身体を張った荘厳な姿と寛大さに、不思議と消え失せたのも事実だ。
 実習が始まって数日後、あれほど気になった防腐剤臭にも慣れ、黙々と結合組織を取り除いている自分の姿がそこにあった。そして私は先生に静かに語りかけた。
 「あなたはなぜ献体を申し出たのですか?」
 私は歯学の道に入る前までは、この献体という行為は漠然と知っていたが、実生活とは相当かけ離れたものだった。先生の献体への勇断を決意させたものは一体何であったのだろうか。ご家族を病で亡くされたのか、不治の病に苦しむ友人がいて、将来の医学発展のために身を捧げようとされたのだろうか。ほとんど脂肪のない引き締まったお身体、上腕二頭筋と下肢の発達、そしてやや黒ずんだ肺を目の当たりにしたとき、先生の人生が少し垣間見えたような気がしました。
 年の頃から推察するとまさしく戦地に赴き、配給された煙草を嗜むのをひとときの楽しみとし、銃器を手に敵から逃れ、危険と隣り合わせの生き様を体験し見事生還を果たしたのだろうか。それだけでも私は敬服したい。先生のその後の人生は私には分からない。ただ言えることは、先生あるいはご家族が医学界に近いところで何らかの関わりのある生活を送ってみえたのではないか。ゆえに先生のご家族は人の生命の尊さ、生への執着から、人類の幸福のため医学探究への願いのメッセージを先生のお身体に託したかったに違いない。ご家族の方々の無償の愛を一心に感じたとき私は身震いさえ覚え、そんな先生から直に学べたことは好運の一語に尽きる。
 歯学を通して人への優しさと献身、人の喜ぶ顔を自らの幸せと生きがいにできる仕事がしたい―そんな思いでこの世界に飛び込んだ私にとって、解剖学・口腔解剖学実習は自らを奮い立たせ、献体された先生の人間としての尊厳と畏敬の念を抱くのに十分な時間であった。
 心臓を摘出した後も先生は私の中で確かに生きていた。しかし脳をこの手で摘出し中枢を断った瞬間、先生の献体者としての第二の人生に幕を私が引いたように思え、哀悼の念と同時に、その責任の重さを痛感し、立派な歯科医師となって社会に貢献することが先生とご遺族のお気持ちに応えることだと心に誓った。先生の最期の教えを学べたことに誇りを持ち、先生の素晴らしい決断に感謝しつつ。
 「少しはお役に立てたかい?」顔面にわずかに残った口唇が私にやさしく囁いた。
 解剖学・口腔解剖学実習の貴重な体験をさせていただいた偉大な先生をはじめご遺族、ご親族の皆々様に心からお礼を申し上げます。







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