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お礼の言葉
順天堂大学医学部 服部友香
 こんにちは。私は三年の服部友香です。私たちは昨年、五カ月間に及ぶ解剖実習を経験しました。そして基礎医学を一通り終えた現時点においても、この人体解剖実習は、医学生としての自覚を再認識する、ことさら意義深い、厳かな充実した日々でした。
 以前から、父が語る医学生時代の話の中で、最も印象深い体験として、解剖実習のときのことが挙げられ、その解剖させていただいた故人はいまだに大きな存在であり、一生忘れられない貴重な学習であったと聞いておりました。そのためか、入学前から、私の解剖に対する意気込みは並々ならぬものがありました。そして、いざ、長年待ちに待った解剖室に入ったときの神聖な気持ち、沸き起こる人体への畏敬の念は実際、想像していた以上のもので、ご遺体に触れる緊張感と責任の重大さに身のすくむ思いがしました。授業の後、友人とこの感動を口々に語り合い、献体してくださった故人と自分たちとの運命的な縁に心から感謝しなければと思いました。それと同時に、解剖には充分な予習と復習をもって臨み、真剣に取り組もうと決心しました。
 「解剖学の先生はご遺体である」という教授のお言葉どおり、実習中、私たちは計り知れない多くのことを教えていただきました。本の文字で見た知識だけでなく、実際、人体の構造に直にこの手で触れて、この目で確認することによって、人間の体はじつに精密であり、巧妙であり、個人差もあり、血管や神経、筋の通り方、臓器の形や位置も単純にお手本どおりではないと改めて知りました。また、一つひとつの器官、組織、細胞がいかに複雑に絡み合い、機能しあって、大きな神秘的な生命体を創り上げているか、人体は小さな小宇宙であるといわれる故縁を納得できました。
 そして何より、よく考えたのは献体してくださった方のことでした。どんな人生を歩んでこられたのだろう。生と死に対してどんな観念を持っていらしたのだろう。愛していたご家族の思いはいかばかりだったのだろう。生前この方が残された多くの思い出はいつまでも心の中で生き続けるとはいうものの、大切な人がいなくなる喪失感はどんなに壮絶な心の痛みだったでしょうか。
 ―人は誰もが使命を持ってこの世に生まれる。そして、人のために使命を果たし人生を全うする―といわれますが、この世を去った後までも人の役に立とうと献体してくださった勇気ともいえる意思を身に染みて感じました。解剖をしている間中、終始「良い医師となるために私のこの体を使って勉強しなさい」という故人の願いがひしひしと伝わってきました。このように毎日が新しい発見と驚きの連続で、学校で実習の授業を行う前と帰宅後では、知識的にも精神的にもまったく違った自分を実感できました。
 これをきっかけに、生命の尊厳や倫理についての本をいくつか読み、人の生と死、魂の永遠について考えさせられました。また、私たちは日常、様々な人と出会い影響を受けて支えられていますが、他でもない、このもの言わぬ方との出会いに「無償の思いやり」の尊さを教えられました。これは将来医師を目指す私たちにとって、生涯片時も忘れてはいけない姿勢に違いありません。
 ―自分がしてほしいように人にもしてあげなさい―故人やそのご家族が無言のうちに示してくださったこの教えを胸に、そのご恩に報いるためにも今後、私たちはたゆまぬ勉学を続ける責任を心から感じています。そして、一人でも多くの病に悩み苦しむ人に必要とされ、弱った人たちとともに生きる医師となれるよう努力していきたいと思います。
 このように白梅会の方々の前で、学生を代表してお礼を述べている私は解剖学において最優秀生徒に違いないと皆様は思われるかもしれません。しかし、決してそうではありません。それどころか私の成績は惨たんたるものでした。
 私たちは実習の後、人体における細部にわたる膨大な部分の名前を記憶したかどうか試験を受けます。
 しかし私は力及ばず、今となっては再試に次ぐ再試に苦しみ喘いだ日々が懐かしいというしかないのですが、その間、解剖させていただいた方の苦笑いする顔がどんなに心の支えになったかはいうまでもありません。また、三回も個人的に指導してくださった教授をはじめ、先生方に並々ならぬ苦労をおかけしました。これでは、あれほど意気揚々と臨んだ解剖学は得意でないと言われても仕方ありません。
 ところが、他の誰よりも長い期間、解剖の本とノートをひろげて悪戦苦闘していた私は三年になり、各自、もっとも関心のある得意とする医学分野を選択する基礎ゼミナールで今、解剖を学んでいます。そして再度先生に苦労をかけている訳ですが、解剖はすべての医療の礎となるものだと今さらながらつくづく思います。
 私たちが一人前になるまでには、これから先も、どんな試練が待ち受けているかしれません。でも、そんなときはそれぞれの心の中に住む白梅会にいらした故人が大いなるエールと励ましを送ってくれることと確信できます。生涯の心の支えともなる白梅会の方々に深い敬意と感謝の意を表して、お礼の言葉と代えさせていただきます。
 
解剖学実習を終えて
北海道大学医学部 浜岡早枝子
 私は、大学に入学する前から、いや、医学部に合格する前からでさえも、解剖学実習を楽しみにしていた。実際に人の体を開いて、その構造を勉強するというのは、それまでの机にしがみついてきた勉強とはまったく別のもので、私に途方もない好奇心をかきたてさせた。
 さて、実際に半年間の解剖学実習を終え、振り返ってみると、予想をはるかに超えて勉強になっただけではなく、楽しそうと浅はかに言っていた私に責任感を与え、生命の重さを知らしめしてくれたように思う。
 最初の日、ご遺体にかけられた白い布を取ったとき、「死」が厳然と目の前に横たわっていることが私にはよく理解できなかった。「死んだ人を解剖する」、今まで散々考えてきたはずなのに、いざとなるとその現実に対処することができなかった。その後、解剖を進めていくうちでも、「この人は死んでいるんだ」と考え込まないようにし、無意識にも「教材」として見るようにしていた。
 それでも時々、この方は生前どういう職業に就き、どういう人生を送っていたのだろうと考えた。そこで私が感じたのは、ご献体してくださった方々の魂はもうここにはないかもしれないが、肉体、つまり生きていた証が目の前にあって私たちはそれを露わにしてしまっているということだ。そして、ここまで自分の人生を他人に見せることも厭わずに、私たちの勉強のためにとご献体を望んでくださった方々の善意に対し、私たちはそれに報いる「責任」を負っている、将来は自分が他人(患者さん)に対してその責任を果たしていかなければならないと強く感じた。
 私はこの解剖学実習で、人間の体の構造について実際に見て学ぶことで、教科書だけでは決して得られない、深い理解をすることができた。しかし、それにもまして、医者という職業の重さが改めてわかり、心してこれからの勉強に取り組んでいこうと思った。今は、ご献体してくださった方々はもちろん、ご指導いただいた先生方や、一緒に実習をしたメンバーに対する感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。







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