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献体された方へ、感謝の意を捧げます
東京医科大学 西 智史
 静かに深い眠りについている目の前のその人から、私は多くのことを学ばせていただきました。
 四月十日、解剖学実習の初日、この日私は生まれて初めて御遺体と対面しました。この上なく緊張しておりました。そして、ついに御遺体にメスを入れる瞬間がやってきました。その瞬間、死の尊厳とは何かということが頭を過ぎりました。私がこれから行おうとしている行為は死の尊厳に反しはしないだろうか、そう思うや否や、全てはよきことのためにとメスを入れました。今私がすべきことは、情熱と探究心をもって、目の前の御遺体から一つでも多くのことを学び得ることである。そう、自分に言いきかせました。
 解剖がすすむにつれ、人体の複雑さに圧倒される一方で、私はその精密さに神秘を覚えました。血管や神経の走行や太さ、臓器の配置、筋肉の骨へのつき方、それら全てに意味があり、そしてそれらはまさに芸術そのものであるといえます。百聞は一見にしかずといいますが、その言葉通り、講義や机上での学習では理解できなかったことが、自分の目で実物を見ることにより理解されていきました。わからなかったことがわかる、それは大変うれしいことです。御遺体は、私の知的好奇心をくすぐり、そしてそれを満たして下さいました。私にとって御遺体は、何ものにも代え難い先生といえます。
 しかし、忘れてはならないことがあります。それは、解剖学実習ができるということが当たり前のことではないということです。確かに医師を目指す私達にとって、人体の構造を知る上で解剖学実習は欠かすことができません。けれども、それができるのは、献体された方をはじめ、その方の御家族の御理解、その他のたくさんの人々の御協力があればこそなのです。解剖学実習ができることは大変有難いことです。もしも献体される方々がいなかったら、医学はこれほどの進歩はとげられなかったことでしょう。解剖学実習が私にとって大きな基礎となるのは言うまでもありません。初心を忘れず、ふつふつと沸き上がる情熱と探究心をいつまでももち続けていきたいと思います。
 先生、短い間でしたが、私は多くのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。ゆっくりとおやすみください。
 最後に、全ての方へ感謝の意を捧げます。
 
『無題』
山形大学医学部 野村一顕
 一年間の退屈ともいえる教養教育課程を終え、医学部キャンパスに来て一ヵ月も経とうとした頃、自分の中での医学部における一大行事ともいえる解剖実習が始まった。先生の「黙祷」の合図の直後から解剖は始められた。最初は皆やはり恐る恐るビニールを取り、白い布を取った。私達の目の前に現れたのは大柄で安らかな顔をしたお爺さんであった。私は解剖を「する」のではなく、「させていただく」のだと自分に言いきかせ、もう一度心の中で黙祷をした。今までに身近な人の死を見てきたことはあるが、実際に遺体を見るのは初めての経験であった。御遺族の方々におしまれて亡くなったこの御遺体に何の医学的知識もない私達がメスを入れて解剖をしてもいいのであろうかと少しとまどいもあった。しかし、実習が進むにつれ、ただ単にノルマをこなすだけの実習になることや予習もせずに解剖をすることも多々あるようになり、これは自分の決意に反するものであり、本当に深く反省しなければならない。
 解剖実習を通して改めて人間の死について考えさせられた。この御遺体も自分と同じように生きてきたことを考えると、自分もいつか死を迎えるのだと考えてしまうと恐怖感を感ぜずにはいられなかった。このことを考えると、自分の死を見据え医学を学ぶ者の為に献体して下さった御遺体へは畏敬の念を抱かずにはいられません。だんだんと日が経つにつれて、死に慣れてしまった自分に気づいた時、もう死などないかのように暮らしていた以前の自分には戻れない気がします。しかし、私は「死」を通して「生」の素晴らしさ、不思議さを再確認することができた。実習を終えた今、私達は解剖の対象物として科学的な視点で観察するのではなく、一人の人間として、生と死という観点で御遺体を見直さなければならないと思います。
 最後に献体なさって下さった方々とその御遺族の方々に心から感謝申し上げます。
 
解剖学実習を終えて
大阪歯科大学 橋本 淳
 私は、一回生の時に先輩から、二回生の秋から人体解剖をすると聞かされたときから不安でした。それは、自分はご遺体に対してメスをいれることが果たしてできるか、不器用な私は全身の解剖なんてできるのだろうかということでした。また、なぜ、歯学部なのに全身の解剖を行わなければならないのだろう、歯や口腔内だけ行えば良いのにと思っていました。しかし、この実習を通して、私のその考えは大きく変わりました。実習を重ねることによって、歯科医師になるためには、口腔という体の一部だけではなく、体全体のことを十分に理解して、体の様々な部分を見て、その部分が歯を予防・治療するにあたって何か関連していないかということを常に頭に置いておかなければならないということが重要であるということを学びました。この全身と口腔領域における関連性は、解剖実習中、諏訪先生がずっと言われていて、この関連性を実際にご遺体から学ばせていただいたということは非常に重要な意味を持つ、と私は考えました。
 我々が住む現代社会は目まぐるしく、ものすごい速さで進歩しています。しかしそれと反比例し、子供が少なくなり、高齢者が増加しているというのも事実です。この先、大学を卒業して医療に携わる者として高齢者の治療をすることが増えることはいなめません。高齢者の方の中には、心臓が悪い方、腎臓が悪い方など様々な口腔外の疾患を持った方がいます。そういった方を治療する場合、口腔内の歯や歯肉、舌に分布する神経はどこから来るのか、そのような神経がどんな感覚器に分岐をだしていくのかということ、またあらゆる神経の走行はもちろんのこと、簡単な抜歯や麻酔を行う時にでも、そのことを行うことにより他の疾患にどのような影響を与えるのかということも考慮に入れなければなりません。よって、上顎・下顎などをはじめ将来歯科医師にとって最も重要な口腔に関する部分や、心臓、肺、腎臓、肝臓などといった諸器官を実際に自分自身の手によって剖出し、その詳細を観察、スケッチできたということは本当にすばらしいことであり、幸せだなと感じました。また解剖を行ったことにより、人体の神秘さ、複雑さ、精密さにじかに触れることができ、自分自身が生きていることへの感謝を再確認することができました。このことは分厚い教科書や図説を見てもわからない部分であり、実際にご遺体を目で見て初めて気付く部分であると思います。
 この解剖学実習を通じて身につけたことは、解剖学の表層、ごく基本的なことではあると思いますが、この先、人体、疾患についてもっと詳しく学習していくための基盤になったと思います。また、単に人間の体のつくりを学んだだけではなく、人間として、歯科医学生としてもっと責任感や自覚、心構えを持たなければならないということを深く感じました。スケッチも何回もやり直しをさせられて、見えたものだけを描けといわれていたのも、この責任感や自覚、さらにその先だと知った時には、本当に真剣に実習に取り組まなければと感じました。ご遺体から学ばせていただいたことは決して忘れません。そして、ご遺体を提供してくださった方々とそのご遺族の方々への感謝の気持ちも決して忘れません。この方々のおかげで歯科医師への第一歩を踏み出せるということを常に心に留め、解剖学実習で学んだことを生かし、将来良い歯科医師となるために勉強にはげみたいです。そして、時には厳しく、時には優しく、わかりやすく教えて下さった諸先生方、本当にありがとうございました。







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