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「わかった」時の快感と感動
新潟大学医学部 中川 孝
 医学部に入ろうと思った時、医学部に入学した時、無事三年生になれた時、「医学部には解剖学実習がある」と思っていました。両親からも、同窓会で会った友達からも、家庭教師先の子供からさえも「医学部って解剖の実習をするんでしょ」というようなことを言われていました。世間一般での医学部のイメージ、医学部での勉強のハイライトとも聞いていた解剖学実習が、四月からついに始まりました。どんなに大変かと思っていたのですが、やはり、大変なものでした。
 実習当日、初めてご遺体対面した時、非常に崇高な気持ちになり、自分が医学を学んでいるということを改めて実感しました。しかし、そのような気持ちになったのもつかの間で、週四日ある実習の忙しさに追われる日々となりました。新しく理解し、覚えなければならないことは膨大にあり、骨の勉強で慣れたつもりでいたラテン語に再び苦戦し、実習書の「実習解剖学」を読むのがやっとの日が続き、時間が長引いて家に帰るのが遅くなり、家に帰ると疲れて、たいして勉強もできず寝てしまいます。すると次の日、勉強不足のためやはり実習が進まず、夜遅くなり・・・といった悪循環にも陥りました。初めの一ヶ月くらいはとにかく大変だった、という印象だけが残っています。
 ゴールデンウィーク前に腋窩の局所解剖学についてレポートを書くために腕神経叢の剖出をしていました。周りの人に比べ作業が遅れており、焦っているせいか、どうしても「外側神経束と内側神経束の間を腋窩動脈が貫く」という特徴を見つけることができません。反対側の腋窩を見せてもらいましたが、きれいに剖出されています。剖出が足りないのかと思い、さらに進めましたが、やはりよくわかりません。そんなふうにして数時間悪戦苦闘して、ふと「足立のC型という重要な変異例だ」と気付きました。
 考えられないようなことですが、神経や動脈、静脈が全部見える状態になっていたのに、僕はその数時間、「外側神経束と内側神経束の間を腋窩動脈が貫いていない」という重大な事実が見えず、ひたすら「貫いている」と決め込んで探していたことになります。「変異の多いところである」「貫かない例もある」と勉強して知っていたのに。「見ているつもり」「わかったつもり」で、実は自分が何も見ていなかったということを痛感しました。先入観を持って観察すると大事なことを見落としてしまうという言葉を思い出しました。ましてや自分が観察しているのは人体であり、変異があることが当然なのですから。
 不思議なことに、気付いてしまうと簡単で実にあっけないくらいのものでした。その後腕神経叢のレポートはスムーズに進みました。それでもゴールデンウィークの半分は無くなったのでした。この時の、自分の観察力の弱さを痛感したこと、ほんの少しのきっかけで自分の知識が統合されて理解が生まれる快感がこの実習中で最も印象的だったように思います。
 五月の中頃を過ぎると実習にも、ラテン語にも慣れてきて、精神的にずいぶん楽になったように思います。部活の大会による遅れを取り戻すため、日付が変わるまで実習室にいたことも何度かありました。運がよいのか悪いのか、足立のC型に続いて、食道静脈瘤(肝臓に障害があり門脈がつまると静脈のバイパスが形成されるものの代表的な例)の例にも巡り合い、二つの貴重な例についての「所見発表」が当たりました。このように失敗も成功も苦しみも喜びもあって長かった実習が終わりました。
 実習が終わり、口頭試問のための勉強をしていると、実習中はよくわからなかったが、もう一度実習をやるとよく理解できるにちがいないと思う場所がたくさんあります。実習期間中は「もう一度やる」などとは正直思いたくもなかったのですが、今ではもっと見てみたいと思うところがあります。おそらく、もう一度実習をしてもう一度勉強をするとまた疑問点が出てくるのだろうと思います。実習が終わったくらいで解剖の勉強が終わったなどと考えるのは大間違いなのだなと感じます。勉強は限りがないので自分が知らないことがたくさんありすぎて困ります。
 それでも実習前は全く理解できなかったプリントが理解できるようになっています。実習を思い出しながら「実習解剖学」を読むとその内容が興味深く響いてくるのです。ついていくのがやっとの実習でしたが、自分を進歩させてくれたのだと実感することができます。
 最後になりましたが、献体してくださった故人、ならびに遺族の方々に感謝します。ありがとうございました。解剖学実習で学んだことをこれからの勉強で生かせるよう励んでいきたいと思っています。
 
解剖学実習を終えて
獨協医科大学 長町誠嗣
 まず始めに、お身体を提供して頂いた方々に深く感謝いたします。
 私は医師の卵として将来、人の助けとなる為、そして医学の発展の為に必ずこの経験を生かします。私には解剖実習に特別な思いがあります。医学部への進路変更の動機に、外科医であった祖父、父や兄への尊敬の念があったからです。どの科へ進むかはまだ未定ですが、解剖は外科の根幹を成します。実習で良く見る・触れる、またメス等への医療器具を使いこなす一つ一つが自分の財産となるのです。うまくいかない事も多々ありました。しかし、将来医師として過ちを犯さないために今があると思い、失敗を糧に更なる飛躍を誓いました。また、入学前に思い描いたわが国の先人が、西洋医学の書物を読み、人の身体の中を見てみたいと熱く思った気持ちと同じ経験が出来たことに感動しています。
 解剖実習とは、医学の基本である身体の構造を知ることです。ところが実習をやってみて個体差が非常に大きいことに驚きました。患者一人一人に応じた対処や幅広い知識、瞬時の問題解決能力が医師に求められるはずです。また、どの人も一概に正常だ、異常だと割り切れないことも判り、差別や偏見など誰も出来る物ではない事も痛感しました。生理学や脳神経科学も実習と並行して行われたため、相互理解がよく出来ました。四人一組での実習は、役割分担と協力により効率良く行え、またリーダーシップを発揮できる場もあり有意義でした。臓器のスケッチを通じ、観察力・集中力が養われ、更に私が社会人の時に持っていた納期という概念も再認識できました。私達の学習意欲に対し、休日でも実習させて頂いたことは有り難かったです。反省として、例えばスポーツ障害でよく耳にする関節や靭帯損傷のこと、採血の際に注意すべき神経や血管の走行など、将来医療現場で必要な事象を意識して、それに対する答えを求める姿勢に欠けました。最後に色々な思い・体験ができ、大変満足しつつ、更に医学を追求する所存です。
 
解剖学実習を終えて
九州大学歯学部 中原 彩
 私は、昨年の9月から12月までの約3ヵ月間解剖実習をさせて頂きました。
 実習の意義については、事前に先生方からの話もあり、十分理解していたつもりでした。しかし、実習開始の日が近づくにつれ、ご遺体を一度も目にしたこともない私に解剖などできるのだろうか、私のような者が尊いご遺体を扱っていいのだろうか、という不安が大きくなっていきました。
 やはり最初はご遺体にメスを入れるということに躊躇しましたが、できる限り多くの知識を得よう、この与えられた貴重な機会を無駄にはできない、との決意を固め、毎日の実習に真剣に取り組みました。
 毎回教科書を予習してから実習に臨むのですが、教科書の図や文章だけでは理解しづらい箇所があり、実際に解剖をして初めてその構造が理解できたということが多々ありました。
 実習を進めるたびに人体の構造の精密さに驚きを覚え、どんなに細い血管や神経もなくてはならないもので、生命を支えていると思うと、それらが正しくつながり、体の隅々まで広がっているということが神秘的に感じられました。また、ご遺体の亡くなられた原因となった病いの影響がいたるところに見受けられ、病いの恐ろしさを肌で感じることができました。
 最初にもっていた不安な気持ちは、驚きや感動へと変わり、それと同時に10月に行われた慰霊祭で御遺族の方々が涙を流されいるのを目にした時、自ら献体してくださった方々、そして大切な方をなくされた悲しみの中にありながら献体に同意してくださった御遺族の方々の医師、歯科医師の育成、医学・歯学の発展に貢献したいという尊いお志をありがたく受けとめ、それに応えていかなければという思いが一層強くなりました。
 今後、解剖実習を通して得ることができた考え、知識をもとに、さらに多くのことを学び、将来、歯科医師として社会に貢献できる人間になりたいと思っております。
 最後になりましたが、解剖実習という貴重な機会を与えてくださった白菊会の方々、ありがとうございました。







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