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解剖学実習を終えて
高知医科大学
徳山貴人・冨田修造・豊田直子・中島由希恵
 3年の1学期から夏季休暇をはさんで実施された解剖学実習を終え、今思うことは偏に献身的なお心持ちで御献体された方、またそのことに理解して承諾なされた遺族の方への心からの感謝の気持ちです。本当に有り難く思います。
 振り返れば、実習初日、僕たちは初めてご遺体に向うことに対する言いようのない恐れや、自分たちで解剖していくことに対する不安などを、それぞれが胸に秘め、しかしそれに臆してはいけないと、戸惑いと緊張感の中で初日を迎えていた。初めてご遺体を前にした時、僕たちは言いようのない緊迫感を感じ、言葉を失ってしまった。
 解剖学実習で得たものは計り知れないものだった。人体構造の果てしない神秘、自分の力量のなさや共に医学を学ぶ友人がいることの心強さ、4ヶ月たらずで、そのすべてを理解することなどは到底無理であろうが、僕は少なくとも、医療従事者を志すものとしてわずかばかりの歩を進めることができたと確信している。そう思えるほど、今振り返れば、実習の前と実習後とでは、医学を学ぶ上での義務感を自分の根底に植え付けることができたと思っている。
 実習が終わりに近づくにつれ、ご遺体の方が生前、どのような思いで人生を生き抜き、どれほどまでの思いでご献体に至ったのか、死を迎えるにあたり、どれ程の人々がその死を嘆き悔やんだのか、そんなことが頭をよぎるようになった。僕たちには知る術がなかったが、自らの死後、その遺体を献体された深い思いは、何も喋らない遺体が何かを語っているようでその思いの気高さを少しは感じられたような気がした。
 僕たちは今、生きている。脈々と体内を隅々まで流れる血を感じ、たわいもない日常で喜怒哀楽を表にしたり・・・。いつも当然のように呼吸して、体を動かしている僕は、ともすれば今を生きていることすら意識に上らずに日常を過ごしがちになっていた。僕が解剖学実習を終え、医学的な知識の積み重ね以上に何かを感じることができたのなら、それは生に対する喜びと死に対する尊厳であろうと思う。僕たちが解剖学実習で得たことを単に医学教育の一端としてではなく、これから先の医療従事者としての歩みに大いなる経験として役立たせることができるように努力していこうと思う。
 
解剖学実習を終えて
日本大学医学部 友部淳子
 昨年、一年間を通して私達は解剖学を勉強してきました。その中で、特に肉眼解剖学実習は、今後医師として医療に携わっていくのに大切なことを学んだ授業であったと思います。それまで、教科書で学んできた知識はあくまでも紙面上のものでしたが、実際に自分の目で確かめ、手で触れることによって、それらを鮮明なものにし、確かな知識として会得することができました。しかし、御献体頂いた方々の体から私が学び得た事は、学問的な知識のみにおいても計り知れませんが、解剖実習によって得られた最大のものは、近い将来、医師になるということの再認識であったと思います。御遺体と向かい合うことで、様々な方々の期待の大きさ、そして責任の重さを痛感することができました。この貴重な解剖から受けた知識と医学生としての認識をしっかりと持ち続け、将来立派な医師として社会に貢献すべく努力してゆこうと思います。
 最後になりましたが、御献体下さいました皆様のご冥福と御家族、白菊会会員の皆様のご多幸をお祈り致しますと共に、親身な指導を頂いた諸先生方、ならびにこの実習のために尽力下さった関係者の皆様にも感謝したいと思います。ありがとうございました。
 
慰霊碑での誓い
宮崎医科大学 直野久雄
 一月下旬、冬の寒さが御遺体と私達五班の別れをまた更に名残り惜しく感じさせました。
 茶色の葉が舞い落ちる山では、その葉や木々から栄養を得た新芽を垣間見ることができました。
 約四ヶ月、御遺体に学ばせていただいた班員は、解剖実習を終えた安堵感と医学生らしい顔つきの片鱗を少しずつ見せてきました。納棺の拝礼が終了し、御遺体が納められ、私は心の中で感謝の気持ちとためらう気持ちで赤いボタンを押しました。
 解剖実習が十月に始まり、いつか火葬に立ち会うことになるんだ、と思っていましたが、こんなに早く時は過ぎるものかと、そう感じられる程解剖に集中した四ヶ月でした。それだけ集中できたのは医者として人体に関する最低限度の知識は是非ともたたき込まなければならない、という気持ち強くあったからです。
 もう解剖実習する機会は無いと思います。解剖実習で学ばせてもらった経験は将来医師になった時私の骨となるものです。
 ある一つの動脈がどのような走行をしてどの部分に栄養を運んでいるか等々、臨床において考える力を解剖実習は私に与えてくれました。これから何度も何度も復習し、生涯忘れず、実習で学び得たすべてを、大切な財産として持っておきます。
 十二月上旬、私は宮崎県南西部の都城市で行われた白菊の会にボランティアで参加しました。
 その時白菊の会に登録している方々の御意見を聞きながら、会員の方々の、医学生に対する期待を直に受けとることができました。その日以来私は、解剖実習に対する自分の態度から日々の勉強姿勢まで、再度自分自身を見直しました。そして出した答が、せめて同じ解剖の班員だけでも、解剖に関する理解度を全国の医学生を凌駕するくらい深めてもらいたい、と互いに教え合いながら実習を進めていきました。また自己学習として他の班の解剖された御遺体をよく観察しました。他の学生から見ればなぜそうまで固執するのか不思議だったかも知れません。
 しかし白菊の会で知り得た世間の方々の医学生に対する期待を裏切らぬようにする為にも、私は何が何でも、今しかできない解剖実習をこれまで以上に集中し努力してきました。
 医師はその生涯において診察する患者の数は二万以上と聞きました。
 一人の御遺体は四人の班員に対して解剖実習を通してヒトを学ばせてくださいました。ですから将来少なくとも八万人の患者を診る医師達を御遺体は育ててくださったのです。私は将来患者を助けることで少しずつ献体者に恩返しします。これは霊前で拝礼して誓った約束です。また、この解剖実習を生涯忘れぬためにも、解剖で使用した器具等大事に保管しておきます。
 やがて火葬場での時間が過ぎ、御遺骨を大事に納め、医科大学に戻り、一同慰霊碑に向かいました。そこは新しい光に包まれた静かな場所です。この慰霊碑の前で私は再度誓いました。「天才でなくてもいい、ただ弱い立揚にある患者の立場を理解して診察し、自分の患者に安心感を与えられる医師でありたい」と。
 無事に解剖実習が終わりましたことをS様に五班一同お伝えします。そして長い期間学ばせていただいたことに本当に感謝しております。S様のこと忘れません。
 また白菊の会に登録されている皆様方に御礼申し上げます。







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