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解剖学実習を終えて
東京医科歯科大学歯学部 高塚奈津子
 自分の選んだ道がいかに責任の大きなものであるか、それを文字通り身をもって教えてくれたのが解剖学実習でした。
 これまでの勉強と言うと、文字を追い、それをそのままに理解して覚える、といういわば理論のみのものでした。そして私はその勉強で全てを学んだつもりになって満足していたのです。けれど、それでは実際の人間を相手にした時には戸惑うばかりでした。実習前に聞いた、御遺体が一番の教科書だという言葉の意味を実感しました。どんな教科書より、どんな人より私に沢山の事を教えてくれる御遺体。ただ、この教科書は唯見ただけですぐ理解できるものではなく、こちらが知ろうと望み、考えることによってようやく学べると言うものなのです。これは臨床の場においても同様でしょう。一通りの理論は身についても、一人一人の患者さんを前にしたときに、その一人一人に合わせて考え、対応していかなければなりません。つまり、常に探究心を持ち、考え、学ぶと言う絶え間ない努力が必要と言えます。
 こういった姿勢を生涯にわたって持続することが、人間というとてつもなく深い存在を相手にしようとし、また、その尊い御意志によって多くを教えられた私に課せられた責任なのだと思います。十年後も二十年後も、献体して下さった方のことを思い、こうした気持ちを忘れない人間でありたいと思います。
 最後になりますが解剖学実習にあたって献体して下さった方、その家族の方そして教官に心から感謝の気持ちを述べたいと思います。有難うございました。
 
解剖学実習を終えて
日本医科大学 滝澤憲一
 約半年間の解剖学実習が終わった。非常に大変であったが、得たものも大きかったと思う。解剖がスタートしたのは2学期。解剖学は医学部と歯学部でのみ行われる、人体を扱う職に就く者の特権ともいえる実習である。医学部に行こうと決めたとき、それから医学部に受かったときから、解剖とはどういうものなのか、(失礼な言い方であるが)非常に興味があった。医学と言うものを実感できる大変な実習なのかと勝手に想像していた気がする。しかし、実際、ご遺体を目の前にしたとき、自分の甘い考えに反省し、恥ずかしく思った。医学生、すなわち、自分たちへご献体をしてくださった方に対し、失礼であった。解剖が始まるとき、教授がおっしゃった言葉を思い出す。「今でも自分が解剖をさせていただいた方のお顔を思い出す。どうして自分がこの方を解剖する権利があるのか、ずっと悩んだ。ご遺体に対する敬意の念を忘れないように」。そして「これからの日々は解剖中心の生活をしていただきたい」と。前の日に何をするのか予習をして、実習中は一日解剖に捧げ、帰ってきたら、どうしてこれが分からなかったのかと悩む。そして実習で疲れているため、気付いたら寝ている。このような生活を繰り返していた。ところが解剖が終わるにつれ、「自分では一生懸命やったつもりなのだが、果たしてそうなのだろうか」、「今の自分では献体をしていただいた方に失礼なのではないか」、という自責の念だけが大きくなっていった。この気持ちはご遺体をホルマリン固定する過程を見せていただいたとき、さらに大きくなった。お亡くなりになってすぐに解剖学教室に運ばれ、そこで固定をする。今まで見てきたご遺体は、固定が終わっており生気を感じることはない。しかし、そこにはほんの数時間前には生命が宿っていたお体が横たわっていた。亡くなられて数時間、亡くなられた方のご家族にしてみればまだ悲しみが冷め遣らぬ時間である。亡くなられた方を悲しみ、懐かしむ、それよりも、医学教育のためご献体をしてくださった、そのことを考えると自分が情けなくなった。それを打ち消す意味でも、少しでも多くのものを得ようと悪戦苦闘した気がする。
 何かと後悔の念の残る実習だったが、得たものも大きかった。実習を行う前、人体についてほとんど知識がなく、解剖の説明を受けても意味がわからず、実際どういうものなのかまったく想像ができなかった。何をどうやって出せば良いのか、まったくといって良いほど分からなかった。そのため実習を終えても苦しみ悩んだのを思い出す。しかし、こうした苦労があってか、今では、実習中に苦しんだ思い出とともに、実習で見たものを思い出すことができるようになった。実習のプリントもこんなに簡単なことを言っていたのか、と思うほどである。さらに、解剖の勉強は、様々な学問を結び付けてくれた。生理学、発生学と言ったものが、人体と結びつき、点であった知識が徐々に線になってきている。これから学ぶ医学分野においても、考えのべースとして自分の知識を支えてくれることと思う。
 解剖学は自分にいろいろなことを教えてくれた。命の尊さを学んだ。目を瞑ると、自分が解剖をさせていただいた方の顔が目に浮かぶ。尊いご遺体から沢山のことを教えていただいたことを忘れないで、医学に励んでいかねばならない。献体をしていただいた方の思いを自分が達成することができたかはまだ分からない。これからも多くの人々、そして動物の協力を得て、医師へ成長していくのだと思う。医師になったとき、こうした方々に恥ずかしくないように努力していかねばならない。今回の実習で感じた自責の念もプラスにして努力しつづけねばならない。これが実習を終えた今の気持ちである。
 献体をしていただいた方、その家族、そして解剖を教授してくださった先生方に感謝して、解剖実習を終えたいと思う。







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