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解剖学実習
琉球大学医学部 佐藤陽介
 解剖学実習、それは医学を志す者にとって、必要不可欠な知識である人体構造の理解を与えてくれる大変貴重な機会である。しかし、私達にとって貴重であったものとは本当にその人体構造の理解であったのだろうか。
 確かに、この実習が私達の知識の財産になったことは間違いない。普段は書物からの平面的な情報にしか触れることができない。つまり、人体のイメージが頭の中でも平面的であるということだ。しかし、実際の人体は立体的である。平面のみの知識で立体をとらえることは非常に困難である。このことは、私達が人体の構造について理解を深める上で、この実習がどれほど貴重なものであったかを示していると思う。だが、私達が接していたのは本に載っている絵でもなく、写真でもなく、また、実習室にある模型でもない。人である。そこには、生前その人が献体を了解してくださった思い、そしてそのことに同意してくださった御遺族の方々の思いが存在する。私達は、この解剖学実習でその思いを強く感じ、様々なことについて考える機会を得ました。例えば、死についてです。私達の中には他人の死に直面したことがない者もいます。たとえいたとしてもそれは自分にとって身近な人でしょう。これだけ他人の死を近くに感じる機会を持ったのはこの実習が初めてでしょう。私達は、近い将来多くの人の死と真直ぐに向かい合わなければなりません。真直ぐに向かい合うというのはその人の思いや、家族の方の思いも受け入れるということです。これは大変困難なことだと思います。自分と身近でない人ならなおさらです。私達にその思いを受け入れるだけの思慮と経験がなくてはできないことです。その意味で今回の実習は、死というものを今までとは違った形でとらえるための土台になったと思います。もう一つ、献体してくれた御家族のことについてです。私達はこれからたくさんの患者さんと出会うことになるでしょう。そのときに私達が向き合うのはその患者さんだけでしょうか。いや、違います。そこには、御家族の方々の思いも存在するのです。私達はこの両方ともに向き合う必要があるのです。その人が、たった一人で存在しているわけではないのですから。このことについても強く意識することが出来ました。
 このように、今回の解剖実習は私達が医師という一人の人間として生きていくために必要なものを与えてくれたのです。いわば、心の財産です。この大変貴重な財産を得る機会を与えてくださった方々に感謝しながら、これからも知識と心を磨く努力をしていきたいと思います。
 
二度の生
秋田大学医学部 柴田瑞穂
 三か月間ご遺族のもとへも帰らず、私たちに学びを提供して下さった方に対して、「死」という言葉は簡単には口にしたくない。そんな思いがあったからか、この実習期間中、私は死というものを意識したことはなかった。来る日も来る日も私たちの前に横たわっていたのはご遺体だった。それでも、亡くなった人だとは思えなかったのだ。
 こんなことを言うと、まるでご遺体に対して敬意がないように聞こえるかもしれないが、そうではない。実習の初日、ご遺体を包んだ布を開くまで足が震えていたのは、亡くなった方にこれからメスを入れるという畏れからだった。お顔を拝見し、お体に触れたらなぜか落ち着いた。この感覚はとても不思議だった。実際にご遺体に接したら、震えが止まってきたのだ。
 今思えば、私が感じていたのは畏れであって、恐れではなかったのだろう。人が死に抱く気持ちは、多くの場合プラスのものではないはずだ。人は生きたい、と思い、死には漠然と恐怖を感じるだろう。そして死に直面した時、それと正面から向かい合い受け入れるのは容易ではない。献体をすると決めた方は、少なくとも死というものから目をそむけなかった方たちだ。献体を考えた背景にどんな思いがあったのか、まだ青すぎる私たちには想像もつかないが、自分の死後に自分が何をするかを考えていた方たちである。そして献体という形で私たちに協力して下さった方たちである。この実習の間、ご遺体に対して死を意識できるわけがない。皆、まだご自分を生き、仕事を果たしていたのだ。
 とはいえ、実習を始めてもはや三か月が経ち、火葬の日が近付いてきた。花の用意やら斎場の地図やら、事務的な慌ただしさに飲まれる中で、この方たちはまだ火葬すら終えていなかったことにはたと気付いた。大切な人を失って、せめてお骨だけでも側に置きたいのがご遺族の思いだろうに、この方はまだ家にも帰っていない―
 献体は死後の生だと思う。それ自体ご本人の意志だが、ご本人は亡くなっておられるし、ご遺族は複雑な思いを抱かれることもあるかもしれないし、私にとっては、まだ「死」には思われない。この方たちは二度生きられたような気がする。
 火葬の日がせまる。献体して下さった方々は、長い人生を過ごし大きな仕事を果たし、ようやく生を終えようとしている。今、私もやっと死を意識し始めている。死や生をここまで深く感じさせ、考えさせてくれるものに関われたことを誇りに思う。そして、献体して下さった方々、ご本人の意志を尊重して献体を支えて下さったご遺族の方々に深く感謝を申し上げたい。
 
解剖学実習を終えて
東京歯科大学 下島隆志
 初めて御遺体を目の前にしてから約10ヶ月が経とうとしています。短い期間ではありましたが、この間に私達は計り知れない程の貴重な経験をしてきた気がします。忘れもしない昨年の12月、私達は自らの手で初めて御遺体をストレッチャーの上に乗せました。周りを見ると、呆然としている人もいましたが、殆どの人が抵抗なく御遺体に対していました。勿論、私にとっても初めての経験でしたが、意外にもすんなりと受け入れることができました。
 最初の実習は皮を剥がすことから始まりました。メスやピンセットを持つ手もぎこちなかったあの頃、今では皆、一人前に使いこなせる様になりました。実習が進むにつれて、内容も高度なものになっていきました。筋肉や太い動脈などは剖出も容易でしたが、神経などはうまく剖出できないこともしばしばあり、「これが実際に患者さんだったら・・・」と考えてしまうこともありました。
 参考書の絵や写真だけでは見ることのできないものが、御遺体には山ほどありました。二次元ではイメージしにくいものも、御遺体を実際に観察することにより細部まで詳しく学習することが可能であった環境にいられたことを本当に幸せに思います。
 私達の使命は、私達の為に体を捧げて下さった方々の為にも、次世代の医学の現場に立ち、医学の発展や患者さん達を始めとする全ての人の幸せな生活を支援する為に努力することではないかと思います。今回の解剖学実習を通じて、そのことを改めて認識させられたと同時に、自分の中に医学を追求したいと思う気持ちが芽生えました。
 最後になりましたが、私達の為に体を捧げて下さいました御遺体と御遺族の方に深く感謝すると共に、御遺体の御冥福をお祈りします。







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