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『無題』
防衛医科大学校 佐々尾宙
 先日、三カ月に及ぶ、解剖学実習が終わりましたが、私にとって解剖学実習は、人体に対する驚異と感動の連続でした。振り返ってみると、四月の実習初日、実習室には独特の空気が流れ、皆、緊張や不安の面持ちでいました。御遺体と初めて対面したとき、自分が医師を志しているということを改めて感じました。そして、この方のご厚意を無にしないようにしなければならないと思うと同時に、未熟な自分が赤の他人である御遺体にメスを入れてもよいものなのかという、何か罪悪感のようなものが、心の中で葛藤していたような気がします。
解剖学実習では、解剖学の知識以外にも、数多くのことを学ばせていただきました。実習中に御遺体をじっと見ていると、この方は数多くの経験、喜び、悲しみ、苦しみなどを乗り越えてこられたのだろうと思うとともに、亡くなった私の祖母に重なるかのような不思議な気持ちがしました。当時、実習に対して受け身になりがちだった自分を激励するかのように感じ、積極的に取り組むようになりました。
 チームワークの重要性も学びました。班の中には、解剖学が得意な人、そうでない人、メスさばきの上手な人、そうでない人がいたりと個人差はあったのですが、お互いに足りないところを補い合って、実習を続けていくことができました。チームワークは、将来医師になるうえで非常に重要なものであるので、よかったと思います。
 今回の実習を通して得た知識や経験は、今後、医学生として学ぶうえで、さらに医師として医療に従事していくうえでも非常に大きな力になることと思います。医学の発展のため、御献体下さった方々には、心からの尊敬と、感謝の意を表したいと思います。またその御期待に応えるべく勉学に邁進したいと思います。
 
解剖学実習感想文
産業医科大学 佐々木七重
 大学入学前からどのようなものかとあれこれ想像し、御遺体など目前にしたことのないこの私に、果たしてできるのだろうかと不安をずっと抱えていた解剖学実習が、重々しい空気の中ついに始まった。御遺体と対面した時、私は、本当にこれからこの御遺体を解剖していいものかという罪悪感を覚えたが、毎回の実習前後には御遺体に向かって黙祷を捧げ、いつも心の中で「医学のため、私たちのために御献体下さったことを感謝します。今日も精一杯勉強させていただきます」と祈り実習を進めていった。そして、自分でも信じられない程に、あまりに巧妙、緻密で複雑な人体の構造に夢中になり、そして膨大な解剖の個所をこなすことに必死になっていた。それらは本や写真で見るよりもずっと説得力があり、実物大の立体的な構造物を目にする度に息をのんだ。こんなに複雑で膨大なシステムが、秩序正しくコンパクトに人体に納められている。実習前の予習で、よくわからず苦労して時間をかけたことも多くあったが、解剖することで一目瞭然であった。また、実際に触れて様々な角度から目にすることで、全く理解の仕方が変わったこともあった。
 実習中、ふと我に返ると、私がこのような恵まれた環境にいるのは、私の目に見えない所で多くの人々がバックアップして下さっているからだと強く感じていた。もっと勉強しなくてはという思いに常に駆られていた。それでも実習では肉体的、精神的に大きな負担がかかり、予習不足の時があった自分が今でもとても悔しい。この悔しさを忘れず、これからも常に勉強していこうという思いは一生続くに違いない。この人体の構造の理解を基礎として勉強することは膨大にある。それらを勉強していく上でも、この解剖学実習は本当に貴重な体験であった。御献体された方々、御遺族の方々には言葉では言い表せないほど深く感謝している。実習中、私はこの御好意を決して無駄にすることのないよう、一生をかけて立派な医師となり、そして恩を返すという意味でも人のために尽くしていこうという思いが強くなっていった。この思いも献体という崇高で尊い行為には到底及ばぬことだが、常にこの思いを胸にして努力していきたい。
 
解剖学実習を終えて
北里大学医学部 佐藤千紗
 すべての解剖学実習の項目を終了した今、ご遺体への感謝の気持ちと、大きな充実感でいっぱいです。
 九月に入って解剖学実習が始まってすぐの頃は、解剖させていただいているご遺体のお顔を見た時に涙ぐんでしまったり、自分と同じヒトという「人体」にメスを入れることに大きな恐怖感をおぼえ、熟睡できない日々が続きました。ただただひたすら、毎日の予習、復習に専念しました。そして少しずつ、前期の「解剖学」の講義で学んだことを関連づけられるようになり、筋肉、血管、神経の構造が整理できるようになっていくに従って、私は解剖学実習の大切さを身にしみて感じるようになりました。前期、実習抜きで「解剖学」の講義を受けただけの私は、断片的な知識だけで、人体の構造として理解することができませんでした。実習で、実際に自分の目で見て、触って、たどっていくことができたからこそ、人体の構造が理解できるようになったのだと思います。医師になるために、臓器の位置、内部の構造、血管、神経の走行や、筋肉の作用や部位を理解することは必要不可欠です。その大事なことを、一番の教科書である人体で理解させていただけるということは、私は、本当に恵まれた環境にいるのだなあと感じました。
 九月、実習が始まってから今日まで約三ヶ月間、アルバイトも全てやめ、土日も実習の復習に費やし、全ての力を解剖学実習にかけました。今、私は、この三ヶ月間を本当に誇りに思います。医学生として、大きく一歩、医師への道に前進できた気がします。私に、医学生としての自覚を再認識させて下さり、膨大な貴重な知識を与えて下さった、ご遺体に心から感謝します。献体して下さったご意志に報いることができるよう、これからも日々精進し、社会に求められる良医を目指します。
 最後に、献体して下さった方、そのことを快く同意して下さったご遺族の方、また、指導して下さった諸先生方、本当にありがとうございました。
 
感想文
東京医科大学 佐藤泰輔
 私は去年、献体して下さった方々やそのご遺族の方々への感謝の気持ちが足らなかったのか勉学を怠ってしまい、解剖学の単位を取得する事が出来ず二度目の解剖学実習をさせていただいております。そして今年の実習においても去年初めて見て触れた時の教訓や衝撃を決して忘れる事のないよう努めて今日の解剖学実習をさせていただいております。
 その中で自分の中でまず最初に思い浮かんだことわざがあります。それは「百聞は一見にしかず」という事です。教科書や実習書を読んで理解しても実際は動脈や神経一つの走行の仕方も全然違っている事がありました。また、下大静脈の走行の仕方が発生の時点で異常があるために根本的に教科書とは異なっている事もありました。こう言った場合は、解剖のみならず発生やまた、献体された方が病気を患っていた場合は病理学的な事も学ぶ事ができます。しかし解剖学の教科書では解剖学しか学べません。したがって解剖学実習は様々な未知の世界を学ぶ可能性があると言えます。またそう言った印象深く頭に残った知識はそう簡単に忘れるものではないし、むしろ忘れてはいけないと感じます。
 話は変わりますが私は以前、解剖学は暗記教科だと思っていました。しかし決してそんな事はない事を実感しました。そしてそれは実習という貴重な経験があるからこそ言えるのだという事も実感しました。この事はこれから先、学んでいくどの学問についても言える事だと思います。
 ところで人生には様々な生き方があります。我々が実習で献体された方を目にした時、その方がどのような人生を歩んでこられたのかはわかりません。しかし、どのような気持ちで献体され、またそのご遺族の方々はどのような心境なのかについては、常に考えながら実習をしなければなりません。
 人というのは決して一人では生きていけません。生きていくためには必ず誰かに頼らなければなりません。しかしそれに甘えるのではなく感謝の気持ちをもって頼る事が大切だと思います。解剖学実習においては献体された方とそのご遺族の方々、そしてご指導して下さる先生方への感謝の気持ちを持って、いい意味で「頼らさせて」いただこうと思います。大変恐縮ではありますが、この場をお借りして感謝の意を示させていただきます。







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