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残された足跡が道しるべ
新潟大学医学部 今野卓哉
 それはちょっとした冒険のようなものだった。人体に秘められた様々な不思議、謎、神秘、そういったものを追い求め、日々期待に胸を膨らませながら人体の中を歩いていた。皮膚を剥ぎ、結合組織や脂肪組織を取り除いていく。様々な過程を経て、多くの時間と労力を費やし、ようやく現れた神経や血管を見つけた時、そしてそれらの走行や配置の調和のとれた美しさを認めた時、喜びと感動で心が躍った。まさに眠っていた財宝を探し当てたような感覚である。
 医師になることを志した時から、避けて通ることのできない人体解剖のことは常に意識の中にあった。ご遺体と向き合い、人体の内面に触れる。そんな非日常の事態に果たして自分は臆せず臨むことができるのだろうか。常に不安を感じていた。解剖学実習初日、いよいよこの日が来た。様々な不安を押し殺すように、気を引き締め、真摯な気持ちで実習室に入った。ズラッと並んだ二十六のご遺体が目に飛び込んでくる。カバーで覆われてはいるものの、やはり異様な光景には違いなかった。自分の解剖台につき、これから始まることの意味の重要性と、献体して下さった方々の気持ちを考えた。すると自然と心が落ち着いてきた。将来医師となる自分のためにも、献体して下さった方々の気持ちに応えるためにも、真剣に取り組まなくてはならない、取り組みたいと強く思った。いつの間にか不安は消えていた。
 解剖が始まった。全身の皮膚剥ぎから始まり、胸部、頚部、腋窩、上肢、下肢、背中、頭部、胸部内臓、腹部内臓、陰部と解剖は進んでいった。その中で学び得た解剖の醍醐味とは、人体の複雑かつ調和のとれたその不思議な構造美を体感できることであろう。脳や脊髄から始まり全身に分布する神経の流れ、心臓に始まり心臓に終わる血管の流れ、骨格となる骨や筋肉の形、内臓を支え保護する種々の膜、どれをとっても機能的に最もよく考えられた美を構築していた。それぞれの役割や由来を考え、その簡潔かつ大胆な分布の仕方を見ると、全てが理にかなっていて驚きの連続だった。
 解剖学実習のなかでもうひとつ大変有意義だったのが、先生方と解剖学に関して様々な議論ができたことである。もちろん私たち学生は何につけても初心者であるため、その道のプロである先生方と同じレベルで話し合うことはなかなか難しい。それでも自分なりに理解し、学び得た中で生まれた疑問点などを先生方にぶつけた。すると、先生方は単に答えを教えるのではなく、その答えを自力で導き出させるためのヒントを出し、あくまで理解に基づく人体解剖学の習得を促してくれた。おかげで右往左往しながらも、先生方と意見を交換することで教科書とご遺体からだけでは得難いものを得ることができたと思う。
 全ての解剖を終えて、最後にご遺体のまわりを清掃し、花を添えて黙祷を捧げた時、解剖学をやり遂げた充実感と、献体をして下さった方々への感謝の気持ちとでいっぱいだった。そして三ヶ月間お世話になったご遺体ともお別れだと思い、いくばくかの寂しさをも感じつつ心の中で丁寧に謝辞を述べた。
 解剖学実習を終えていま新たに思うことは、人間の生と死についてである。実習室は私たち学生とご遺体とで、いわば生と死とが交錯した、言い換えれば共存した状態であった。しかしそこでまざまざと実感するのは体は死んでいようとも、献体された方々の意志は確かに生きているということである。つまり、私たちはその場で共生していたのだ。生と死とは一見表裏の関係にあるように見えるが、決して死がマイナスの意味だけを持つのではない。死にゆく人々が残した足跡が、後ろを歩く私たちの道しるべとなるのだから。
 
系統解剖学実習で学んだこと
三重大学医学部 坂倉康文
 私は将来外科系に進むつもりである。そのため、解剖学で学ぶ知識は必須であると思い、非常に気合いを入れて実習に臨んだつもりである。ただ始まった当初は、初めて御遺体に触れるということに加え、解剖の仕方もわからず、とまどうばかりであった。また、解剖が進むにつれ、解剖すべき部位が増えてくると、その各々の解剖の仕方がわからず、気合いとは裏腹に思うように進まず、雑に扱いそうになることもあった。これはいわゆる「慣れ」というものも影響していたと思うのだが、そのような時は、いつも御遺体の方が生前にどのような気持ちで献体されようとしたのかについて思いを馳せるように努めた。それはやはり医学を学ぶ者に対し、自らの体を供することで、人体の構造を知ってもらおうという思いや、あるいは、医学というものの荘厳さというものを学んでもらおうという思いなどがあったのではないかと思う。そうした考えが頭に浮かぶと、実習に対する姿勢も少なからず変化し、再び慎重に解剖に取り組むことが出来たように感じている。
 また、講義において、外科系の先生に直接お話を聞くことができたことも、実習で得るべきことの指南であったように思う。外科的手術というものは、言うまでもなく、各々の部位の人体の構造について精通していることが不可欠であるが、どこまで学ぶべきなのか、ということに関してはっきりとはわからなかったため、非常に参考になったものである。
 こうしたこともあり、短期間の実習であったが、最大限の努力を払うことができたように思う。しかしながら短期間であったということで、正直なところ、復習が不十分であるところもあり、実習が終わったとはいえ、実習中に目に焼きつけたことを思い浮かべながら勉学に励む必要が十分にありそうであり、また学んだことを他の分野の勉学に十分に活かしていきたいと思う。
 前述の通り、献体して頂いた方々、そしてそのご家族の方々は医学というものに対し、理解を示して頂き、様々な思いを抱きつつ学生にその身を託して下さった。その思い、あるいは期待に応えるためにはこれからの私たちの日々の行い、努力にかかってくるのでないかと思う。実習最後の納棺の際に叫んだ言葉ではないが、私自身は今後尚一層日々精進することを「約束する」、そんな気持ちで一杯である。
 
初心忘れず――学びを生かす
新潟大学医学部 桜井可奈子
 解剖学実習が終わって早一ヶ月がたとうとしている。実習室で日付を越した時もあった、夕食もまともにとらなかったあの異様な生活スタイルも平凡な日常に戻った今となっては懐かしい気もする。
 初めて実習室を訪れた時を思い出してみる。二年生のいわゆる骨学実習の時、みんなで三年生が解剖学実習をしているのを見学する機会があった。しかしそれより前に、私には解剖をのぞくチャンス(?)があった。結局それはかなわなかったのであったが。
 六月のある日、部活で三年生の先輩と骨の話をしていたら、「それじゃ、明日ヒマなら解剖見にくれば。筋肉とかもよくわかるよ」と言われた。私は、初めて人間の体の内部を見られると思って大喜びで「はい!行きます」と答えた。当日、白衣に身をつつみ、足取りも軽く、ワクワクしながら六階めざして階段を上っていったが、一階あがるごとに、鼓動が速くなっていくのである。自分でもびっくりして落ちつこうと足を遅めてみるのだが、どんどんドキドキしてくる。本当にこの時は戸惑ってしまった。「なにドキドキしてんの。昨日は大喜びだったでしょ」
 でも、この時の私にとって、これから見ようとしているものは、生まれて初めて目の当たりにする本物の人間の『死体』であった。今でこそ感謝の意を忘れずにはいられない『ご遺体』であるが、その時は、ただただ未知のもの、今まで見たことのないもの、おそろしいものであったのだ。
 実習室に入るまでには二つの扉をくぐらなければならない。私は一つめは開けることができたが、実習室と私を隔てる二つめの扉はとうとう開けることができなかった。居場所がなくなって廊下に引き返し、階段を上り下りしたりしてウロウロして小一時間。例の先輩がやって来て「二年生は入っちゃだめだってさ」の一言。ガッカリした顔を見せながらも、私は内心「よかったあ」と心から思ってしまった。
 今ではご遺体の横でも眠れるほど身近な存在(?)になってしまったけれど、あの時のご遺体に対する畏怖の念はとても大事な気持ちであると思う。
 先生は「ご遺体は君たちの初めての患者さん」と言われた。私は、初めて受け持ったこの患者さんに対し、してあげられることは何一つなくて、ただただ教えてもらう一方だったと思う。それでも、これだけはちゃんとやろうと心に決めていたのが、ご遺体の管理だった。もっと勉強すれば患者さんの体がもっと有意義なものになったのにと後悔することはあるが、防腐剤だけは一生懸命かけたと自信を持って言える。
 解剖学実習で学んだことはたくさんある。これらを生かすもなくすもこれからの自分次第。頑張っていこうと思う。







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