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解剖学に触れる
新潟大学医学部 久保川真理
 私は、解剖学実習をとても楽しみにしていた。なぜなら、四、五月の講義だけでは、腹膜の構造など、なかなか理解できないことが多く、はやく実物を通して勉強したいと思っていたからだ。そして、実習初日、いざ剥皮をしようと、ご遺体を覆う布をとったところ、正直言ってどうすればいいのかわからなくなった。目の前に横たわっていたのは、本当の人間だったからだ。実習体は、人形ではないことなど知っていたはずなのに、ある種のショックを受けた。そして、「楽しみ」などという軽々しい気持ちで臨んでしまったことを反省し、こう思った。このご遺体は、どこの誰だか分からないけれど、私たちの実習のために献体してくださったことに深く感謝しよう。そして、その厚意に応えられるよう、一生懸命勉強しよう、と。
 実習の最初の一週間ほどは、自分の勉強不足や解剖道具に慣れないせいで、誤って神経を切ってしまったり、手順に従わないですすめてしまったりしたことが多々あった。しかし、本当に恥ずかしいことであるが、一回目のレポートを書き終えるころには、やっと実習を通して勉強できるようになったと思う。
 私はこの側頚部の局所解剖というレポートを通して様々なことを学んだ。まず、本当に基本的で当たり前なことだと思うが、解剖は丁寧に丁寧に進めていかねばならないということだ。少しずつ脂肪や結合組織を取り除きながら、血管神経を追っていけば、見えてくることを知った。そして、見えているものを紙上に描くことで、いっそうの理解ができたし、どこで勘違いしていたかが明らかになった。
 解剖や、それを絵に描くことは、根気のいる作業だった。時々、途中で投げ出したくなることもあった。そういうときは、決まって、自分が予習不足で先が見えないときか、前日睡眠不足で集中力が続かないときか、新潟の秋、冬にはめずらしく天候が良いときだった。だから、改めて実習書を読み返したり、友達と休憩をしたり、外の空気を吸ったりして問題を解決するよう努めた。私にとって、二ヶ月の解剖学実習期間は短かったので、この期間を無駄にすることなく利用したいという思いは強かったのだ。
 実習もクライマックスに入り、胸腹部内臓などにさしかかると、ふと思ったことがあった。自分は、レポートや記録に追われているだけなのではないか、と。たしかにこれらのことを利用して自分の勉強になっているのだが、ほかにも興味があることがあった。そう思ったら、実習室にいる時間がそれまでよりも自然と長くなった。平日に夜遅くまで残っていたことで、土、日は魂が抜けたようにぼうっとしていたが、実習への熱意はいっそう大きなものになっていったように思う。教科書を読んだだけでは理解に苦しむことや、自分のレポートや記録以外の部分を中心に、自分なりに勉強した。
 たとえば、腹膜については、実習室に備えられている布製模型を利用して発生学的な立場から理解を助けた。あれっ、と、わからなくなっては模型をいじくり、やっとわかった。やっとわかったと思ったら、試験勉強中にまたわからなくなって、実習室の模型のところに行った、などというときもあった。
 またあるときには、心臓に漠然と興味を持って解剖を進めていたら、非常に興味をそそることに出会った。洞房結節(Nodus sinuatrialis)を剖出できなくて苦戦していたときだった。ついに右の冠状動脈からの枝をたどっていくと行き着く場合と、左の冠状動脈をたどっていくと行き着く場合の二通りのNodus sinuatrialisに出会えたのだ。先生方に手伝っていただいたのだが、マクロ解剖夏期セミナーでの心臓の刺激伝導系の剖出ビデオとピタリ一致して出現したことも感動的だった。この作業は先生にやれと言われてやったことではなく、白ら積極的に解剖を進めていって得られた新しい発見だったから、なおのこと達成感が得られた。そして、四年生の医学研究実習のときなどさらに追求の価値があると励まされ、生意気であると思うが、解剖学という学問に少し触れることができたような気がしてうれしかった。
 二ヶ月間の実習が終わり、納得のいくまでやれたことと、やれなかったことがある。しかし、この実習で得られたことは、これからの様々な分野の勉強で大きな助けになると思うし、自分にとっても、献体してくださったご遺体にとっても中身の濃い二ヶ月間だったといえる。
 
人体解剖学実習を終えて
日本歯科大学歯学部 黒坂正生
 私が初めて人体解剖について考えたのは、入試の小論文の試験のテーマとして出題された時でした。あの時はまだ実際に入試に合格するかどうかわからなかったので、深く考えることができず、良い論文が書けなかったことを覚えています。
 この度は、入試の時と違い、実際に解剖学実習をさせていただくことがはっきりしていたので、初回の実習の前夜はなかなか寝つけませんでした。「私と同じ人間、私より前に生まれ長い人生を生きてこられた人を、こんなたかだか二十年くらいしか生きていない未熟な私が解剖をさせていただいていいのだろうか」、「献体された方は、医学の発展のために献体し、解剖されることを許したのであって、私に解剖されることを許したわけではないのではないか」などと、多くのことを考えてしまいました。しかし、時間は勝手に流れていくもので、私のなかで何の結論、いや結論というよりは納得のいかないまま解剖学実習が始まりました。
 最初に私たちが解剖させていただく御遺体を、安置されている場所から実習室にお運びした時に、すごい動揺がありました。でも、実際に御遺体と対面した時には、さっきまでの動揺がなくなり、自分でもびっくりするくらい自然な気持ちになっていました。御遺体の顔はすごくおだやかな顔でした。この御遺体の顔を見ていたら前夜に考えていたことに結論がでたわけではないのですが、自分のなかで人体解剖をさせていただくということに納得ができました。その後はもう献体なされた方のお気持ちを理解し、どんな些細なことでも見落とさないように注意深く、気持ちを集中させて解剖学実習を進めていきました。
 人体解剖学実習を通して、今まで教科書の図などの二次元的な知識だったものが、三次元的にとらえられるようになり、知識が整理されやすくなりました。将来、歯科医師という職業につく私にとって、言葉では上手に表現できないのですが、歯科医学研鑚の意識が高まりました。医学の発展のため、また私の成長のために献体してくださった御遺体の方と御遺族に対しまして深く感謝いたします。
 
心に残る実習
日本大学松戸歯学部 河野哲朗
 初めて解剖学実習室に足を踏み入れた時、私がまず見たのは、整然と並べられた御遺体の入ったビニール袋だった。あの時の静けさは、今でも忘れることは出来ない。ほとんどの人達が人の死体というものに初めて出会ったのではないだろうか。あの時から四ヶ月、とても早く過ぎていくのを感じた。
 私は、法要の時、代表としてお焼香を上げることになったのだが、その時見た御家族の表情を見て身の引きしまる思いがし、何故か目頭が熱くなっていた。
 法要中、私が考えていたことは、献体者の気持ち、また、御遺族の気持ちであった。
 献体して下さった方も医療向上のためとはいえ、少なからず抵抗があったに違いない。しかし、そのことを踏まえて、自ら進んで身体を提供して下さる意志、そして、御遺族の方々も肉親の死というつらい状況下でせめて時間の許す限り、そばにいたいという気持ちを抑え、献体として送り出す意志。そうした方々の気持ちを考えていると一生懸命、取り組んで欲しいという思いであるのだと痛切に感じた。
 今回の解剖学実習は、私にとって大切なことを教え、気付かせてくれるものだった。勿論、学問的知識は数多く得ることができ、実習で指定された部位(とくに細い血管や神経)を観察するのに時間をかけて取り出すことによって、手先の器用性や忍耐力を向上させることができ、指定された時間内に作業を終わらせる行動の迅速性を養うことができた。しかし、最も大切なことは、自分は将来、人間を相手に仕事をしていくということ。つまり人間として人間と接する心や思いやりを常に持ち続けていくことだと思った。
 この解剖学実習を通じて、歯科医師としては勿論、人間として決して失ってはいけないものを改めて気付かせてくれた気がする。
 最後に、各先生方の手厚いご指導、そして何よりも献体と共に学んだ解剖学実習は、私の今までの人生の中でも、またこれからの人生の中でも最も貴重な体験として深く心に残ることだと思う。いつまでも感謝の気持ちを忘れずに献体の意志を受けつぎ、将来のために役立て、りっぱ歯科医師になりたいと思った。







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