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「学ぶ」こと
大阪市立大学医学部 片山智香子
 約3ヶ月間に及んだ解剖実習を終えて、私が一番強く実感していることは、「学ぶ」ということに対する自分の意識の変化である。
 2回生の後期になって、初めて実習室に足を踏み入れ、ご遺体にメスを入れた時の期待と不安の入り混ざった気持ちは、今でも忘れることはない。その時の緊張感を持ち続けていたと断言できる自信はないが、日々の実習において最低限の礼儀は守ってきたという自信はある。
 私の中では、真剣かつ積極的に実習に取り組むことが、ご遺体に対しての最大の礼儀であると思っている。一見、簡単なことのように思えるが、毎日続く実習で、その気持ちを維持することは、肉体的・精神的につらい時が何度かあったが、このことで、今までの「学ぶ」ことに受動的であった自分が、少しずつ変化していくことを感じることができた。
 家族や医学部以外の友人に解剖の話をすると、初めは「あんたよくやるわ」や「気持ち悪くない?」などと言われていたが、日を重ねるごとに周囲の人達が、私の不十分な説明からでも人体のことに興味を示すようになってきたことがうれしかった。
 私達の班は、病理的な理由で結果的には2体の解剖をさせていただいた。そのことも私にとっては、生命のことや病気のことについて深く考えさせられるよい経験になったと思っている。
 9月に実習が始まった時は、「12月までなんて長いなあ」と思っていたが、今となってみると、もっと知りたい、もつと学びたいという気持ちが高まって、どことなく寂しいような、名残惜しいような気がする。この「学ぶ」ことに対する意欲をこれからも、医者になってからも持ち続けていたいと思う。
 最後に、このような機会を与えて下さったご遺体やご遺族の方々に心から感謝の気持ちを捧げたい。本当にありがとうございました。
 
『無題』
山口大学医学部 加藤 穣
 医学部に編入する以前はスポーツについて学んでいた。その時にも解剖学はあったが、全ては机上の話であり、教科書やモデル以上の知識は得られなかった。唯一存在した解剖実習も、所詮はマウスであり、ヒトに当てはめて考えるにはあまりにも程遠い内容だった。
 だからこそ、「本物」の人体を扱う解剖実習は、私にとっては、他のどの学生よりも待ち遠しいものであった。今まで教科書やモデルで眺めていたことを実際この目で確認できるということは、好奇心を満たし得る何よりのチャンスであると考えていたからだ。
 そして、その期待感は想像以上のものであった。腕神経叢の複雑な構造、手を精巧に動かす前腕筋群の仕組み、体中を駆け巡る動静脈の走行、全てが私の好奇心を刺激するのに充分なものであった。その意味では、献体されたご遺体は、ヒトの体について実際の知識を提供してくれる、最高の教科書であった。私は、好奇心の赴くまま、メスを動かし、解剖を進めた。当初実習に乗り気でない学生も散見されたが、私にとっては無我夢中になって勉強できる、最高の実習であった。
 腹部の解剖を始めたときのことである。横筋筋膜を切り開いたまではよかったが、なぜか腸が膜と癒着して剥がれない。不思議に思ってよく見ると、腸に豆粒大の腫瘤が幾つも見られた。私はその時直感的にこの方が癌であったことを悟った。後にわかったことだが、癒着は癌の増殖によるものらしく、胃は手術によって半分以上が切り取られており、出血による多量の血の塊が大腸内に残存していた。
 私はその時あまりのショックで、初めて解剖するメスを止めた。初めて目にする病気の姿に恐れをなした。しかしながら、それ以上に私の心を打ちのめしたのは、そのご遺体が生前の姿を想起させるものであったということだ。先生の話によれば、ご遺体の状況はかなりの末期症状であったらしい。そして、出血のため相当の痛みを伴っていたようだ。
 無駄な延命措置を避ける昨今の潮流では、ここまで我慢をして生き抜くことは珍しい。何ゆえにこの方は癌が進行する中、末期まで耐え抜いたのだろうか。子供の成長を見届けたかったのか、少しでも家族と一緒にいたかったのか、これは想像の域を出ないが、少なくともこの方なりの人生があり、苦しい中でも何かに思いを寄せていたのは間違いないだろう。
 それ以来、解剖に対する私の意識が変わった。人体に対する好奇心に変化はなかったが、それは単なる「教科書」ではなく、あくまで「ヒト」であるということだ。ヒトは「モノ」ではなく、その人の人生を包括した総合体である。「最高最大にして最後の奉仕」という理念の下、献体を決意された方の意志を無駄にすることはできない。それは目の前に存在するご遺体以上に、その方の人生に対して配慮した考え方であると思っている。そしてそれは、私が今後医師となり、患者を診ていく上で必要不可欠なものになるに違いない。
 私にとって初めての患者であり、最大の師であったご遺体の方の安らかな冥福をお祈りします。そして、今までどうもありがとうございました。
 
解剖学実習を終えて
奈良県立医科大学 角 暢浩
 私達医学生にとって、系統解剖実習の5ヶ月はあっという間のことでもあり、時には本当に長く感じられたものでもありました。そして、社会人や成人としてではなく医学生としてはじめて「人の死」と対面しあう期間でした。実習を終えた今でもそのときのことを鮮明に思い返すことがあります。
 定刻に実習室の重い扉を開け、御遺体の前でそっと立ち止まる。そして黙祷を行い実習に臨む・・・。
 常に死と向き合いました。
 なぜ人は死んでしまうのか?死ぬとどうなるのか?残された人はどういう気持ちなのか?
 常に自分と向き合いました。
 しっかりと学習しているのか?実習を通して学んだこと、得たことをどう活かしているのか?御遺体に対して失礼はないか?
 自分は御遺体に触る資格は無いとも思いました。自分のような人間は医師に向いていないと何度も思いました。しかし、「人の役に立ちたい」という自分の心の底からの気持ちと献体された方、またその御家族の私達への暖かい思いが私をずっと支えてくれました。さらに私達には教科書には載っていない、実際の人体の構造を見せていただいただけでなく、死と向かい合うこと、生きるということを教えて下さいました。
 私達が医師になるため、医師として飛躍していくためにこのような機会を与えていただいてこれに値する感謝の言葉はどこにも見当たりません。献体していただいた方々、御家族の思いを胸に、常に精進しまた患者さんを心から支えさせていただける医師として活躍していければと思います。
 
『無題』
筑波大学医学専門学群 金本彩恵
 頭の後まで、しびれが走りました。解剖実習を終えて、改めて「筑波しらぎく」を読んだときです。「献体」をすると決めてくださった方々の心にも、私達は支えられていたのだと実感してしまったからです。解剖実習が始まり、実習室に足を踏み入れたとき、居並ぶ御遺体に蹴落とされそうになりました。しかし、解剖が進むにつれて、私の心を占めていったのは感動でした。
 目の前の御遺体が必ずしもテキストと同じではなく、始めは静脈と動脈、神経の区別もつかず、悪戦苦闘しておりました。作業が細かくて、目がつかれて、音を上げたくなるようなときもありました。しかし、私は毎日の解剖が楽しみでした。
 それは、毎日が「知る」喜びにあふれていたからです。人間の構造を直に観ていく中で、人間の進化のすごさを不思議さを目の当たりにして、なぜ人間はここまで進化してきたのだろうかという思いを抱きました。
 私達人間は、社会という仕組みを作り上げてきました。しかし、生まれながらつかっているその仕組みを、常に意識することはありません。それと同様に、私達は、生まれながらに持っている体の仕組みも、常に意識してはいません。体の中での現象の話を聞いても、違うところで起こっているようにしか捉えず、自分の体と連結させて考えることは、多くはありませんでした。社会の仕組みを、選挙権を与えられたことで目の当たりにするのと同じように、ふとした機会によって体の仕組みも目の当たりにするのだと思います。
 私にとって、その機会が解剖実習でした。自分の手を動かし、頭を働かせ、苦労して、得たものがありました。友人と議論しあい、お互いの欠点を補い合って、知ったものがありました。それこそ必死になって、「人」を知っていこうとしました。
 この解剖実習で私が得た感動は、時の大きな流れや社会の中では、ちっぽけなものかもしれません。しかし、私の人生の中では、後々までその光を照らし、影響を与えてくる感動だったことは、間違いありません。
 自分がこの世にあったことに感謝し、そのあることの素晴らしさをも教えてくださった方々に、感謝いたします。私がこの機会によって、「人」として成長したことを少しでも知っていただけたら光栄です。
 いまの感動を忘れずに、足元を見て、自分が何によって支えられているのかを肝に銘じ、これからの学習につなげていきたいと思います。







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