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解剖学実習を終えて
岡山大学歯学部 梅原亜矢子
 私事になるが、昨年10月、最愛の母を亡くした。享年52歳、肺癌だった。
 それから2ヶ月後、脳の解剖実習を始めとして人体解剖実習に入った。初めてご遺体に対面した際も、母の事が思い起こされ涙をこらえるのが大変だった。この方が愛し愛された御家族や友人の方々は、本人の意志とはいえ一体どのような思いで献体を承認されたのだろう。大切な人であればある程、やはりそこには死亡後に火葬場ではなく大学の方へ送る事に対して、より辛くさみしく思うところがあったはずだ。今の私にはその気持ちがとてもよくわかる。そんな様々な思いを越えて、ご遺族の方々の深い理解と共に今回の実習は成り立っている。そしてもちろん御自らの体をもって、我々に素晴らしい学習の場を与えてくださったその崇高なる意志に深い感銘と感謝の気持ちを感じずにはいられなかった。この方の意志に応えるために、そしてこの方を生前愛した全ての人々の思いのために、一本の神経も無駄にできないと思いました。
 実際にご遺体が見せてくださった血管や神経の走行、内臓器官の構造、筋肉の走り方も驚きと発見の連続であった。教科書とは違う人体の複雑さを改めて突きつけられた衝撃でした。顔や性格が一人一人異なるように全ての人においてその体の構造は異なる。血管や神経や筋繊維の一つに至るまでその人個人の主張であり、独自性のあるものであると当たり前の事をしっかりとした確信をもって学べました。何年か先に実際、患者さんと接する際、一人一人を真に大切に思う医療行為につなげていきたいと思います。
 知識をつけるだけではなく、こういった意識改革の点において特に貴重な経験となった実習でした。本当にありがとうございました。これからの私の歯学生としての成長をもって感謝の思いに代えられたらと思います。
 
解剖学実習を終えて
北海道大学医学部 大森優子
 実際に解剖実習が始まるまでは、非常に傲慢な考え方ですが、解剖というものを医学生の権利か何かのようにとらえていたように思います。実習が始まってしばらくは講義で何時間も勉強するより、実際に見て学ぶということがいかに身につくものかと実感していました。まさに百聞は一見にしかず。実習が面白くて面白くて3時間などあっという間の日々。解剖ができる、ということについてあまり深くは考えていませんでした。
 しかし、実習が進むにつれてご遺体の形がどんどん変わっていくのを見ていると、解剖という行為が非常に野蛮に感じてしまい、実習半ばでへこたれたこともありました。実習にも慣れ、緊張感やご遺体を扱う丁寧さが少しずつ欠け始めた私たち。そういった状況の中、もし、自分の家族が献体することを希望したら・・・果たして私は素直に同意できるかということを真剣に考えました。正直、非常に複雑な心境です。
 しかし、献体して下さった方々やご遺族の方々は私たちの勉強のためにと、ご遺体を提供してくださったのだからと、それまで以上に解剖実習に真剣に取り組むことを決意しました。見るべきものはすべて剖出して見落とさないように頑張ろう。細かい作業だからと妥協しない。丁寧に慎重に。それが感謝の気持ちを表すことにつながる。稚拙なポリシーですが、解剖実習最後まで貫けたと思います。
 真剣に取り組んだことで、私自身多くのことを学ぶことができました。教科書だけでは解剖学の理解は大して深まらなかったことでしょう。筋肉とは、神経とは、血管とはこんなものか、実際に見て触って動かして初めてわかることでした。
 解剖実習は献体して下さった方々に支えられています。将来、医師になってからは患者さんに支えられていくことになります。医学部に入って医学に本格的に触れた最初の授業が解剖学でした。その中で学び取ったものは勉強以上のものだったと思います。
 
熊本白菊会第21回総会での報告より
熊本大学医学部 岡野雄一
 私達、平成12年度実習生、現在医学部3年生は、昨年11月より約4ヶ月間にわたり解剖学実習を行いました。ここで、医学と医療の発展のために献体を決意されました白菊会会員の皆様とそのご家族の方々に心から感謝申し上げます。振り返ってみると、解剖学実習は人体探訪の旅であり、同時に医師となるための礎を築き上げるための肉体的にも精神的にも厳しい修行の場でもありました。
 去年の白菊会総会に参加した時、会員さん達の献体を決意された強い気持ちに心を打たれ、私達に対する信頼と期待の気持ちに医学を志す者の責任の重さを実感しました。また、展示されていた先輩方の、徹底的に人体を観察して精密に書かれたレポートを見て、解剖学実習のレベルの高さと厳しさを実感した事を覚えています。自分はこの時、献体された方の御遺志に応えるためにも本気になって勉強しよう、人体に対して常に問題意識を持って取り組もうと改めて決意した事を覚えています。その後の実習に入る前の人体発生学と系統解剖学の講義、さらに骨学実習、10月の中間試験に対しては受験勉強に勝るとも劣らない程気合いを入れて取り組みました。
 そして迎えた11月6日の解剖学実習の初日、この実習に対する取り組み方次第で、自分の将来の医師像が決まってしまうと考えて、これから4ヶ月間、解剖のために全てを捧げようという強い意志を持って実習室の中に入っていきました。しかし、実際に緑色のカバーに包まれ、白い菊の花が添えられた自分達の班の御遺体を目の当たりにした時、何とも言えない気持ちに襲われ、足が震えたのを覚えています。人の死というものに直面して、「自分の手で、この方にメスを入れる事が出来るのだろうか」という気持ちと、「いや、もう後戻りなんて出来ない、献体された方の御遺志に応えよう」という気持ちが混乱していました。さらには、「解剖学実習をなぜしなければならないのか」とか「自分はなぜ医師を目指しているのか」とかをいつの間にか自問するようになっていて、この時ほど今まで人のために身を捧げて医療の面で貢献したいという自分が持ち続けてきた強い決意が根本から揺らいだ事はなかったと思います。自分の頭の中に浮かんできたこれらの疑問に対する答えは、その時は明確に出せませんでしたが、実習をしながら答えは見つかるだろうと考えていました。
 実習が始まった頃は、これが神経なのかそれとも結合組織なのか全然わからず、見たいものになかなか到達できない事が多かったと思います。一日の実習の中でやるべき作業、観察項目がかなり多く、思い通りに進みませんでした。時には教官に対して、自分自身でよく考えずに、「これは何ですか」と質問したり、作業の手伝いを頼みに行ったりしたり、実習に対して受身的な態度をとることがありました。他の班より作業が遅れて班員に迷惑をかけてしまい、予習をやっていても実習内容を理解できない事に恥じ、「自分には医者になる資質がないのでは」と思い悩むことがありました。
 しかし、最初のレポートを書いている時、自分の勉学の態度が間違いであった事に気付き始めました。今までずっと参考書の図譜に照らし合わせているだけで、実物(=本質)を見ていない事に気付きました。この時、学ぶという事は事実を観察し、それに対して自分の知識を総動員させて考察し、そこで得られたものを少しずつ積み重ねていく作業なのだと思いました。このような過程は、将来医者が患者さんに接する時と同じような事だと思います。つまり、病気を診るのではなく病んでいる人そのものを診るというクセをつけるための訓練を今やっているのだと思いました。このような事を肝に銘じ、今後は総合的な視点を持って、血管や神経の分岐や走行、分布場所をよく見て、作業及び同定する事を心掛けました。そのためには、書物に頼らず、自分の目と頭を徹底的に使う事を念頭に置いて実習に臨みました。
 その後、時間はかかりましたが、実習の最後の方で、自分の知識が次々と結びついていって、今まで見えなかったものが見えてくるのを少しずつ実感出来るようになりました。ある一つの神経の全走行を自分の頭と手をフル回転させてきれいに剖出した時は、実習のつらさを忘れてしまうほど何ものにも代えられないほどの達成感と満足感を味わう事が出来ました。レポートも回を重ねていく内に、その御遺体の魂みたいなものがA3のケント紙の上で具現化されて、書くたびに人体のダイナミックな姿に改めて圧倒されました。この時、問題意識の持ち方次第で吸収できる知識が違うという事を物言わぬ師に教えられた気がしました。今改めて自分が書いたレポートを見ていると、神経や血管がその方の性格を表しているかのように、脈々と人体の中を張りめぐっている事に感動し、人体の神秘というものを感じずにはいられません。
 この実習で最もためになった事は、実習調査をしたことでした。全くゼロの状態からの出発だったので、どこから取りかかれば良いのかわからずに右往左往していました。スケッチを描いていても指示がないため全然先に進めなくなりました。「先ずありのままの実物を見てからスケッチしなさい」という教官のアドバイスによって、多くの班の所見をじっくり見て何度も描き直しました。そしてスケッチを見ながらある一つの血管の存在意義について仲間と議論を交わし、また改めて所見を見直すという作業を続けていきました。自分の目で見て、自分の頭で考えるという最も基本的な事は、とても大変な事であり、また意味のある事だと思いました。日曜日でも実習室に来て調査をする事は肉体的にはハードでしたが、仲間と共に自分達なりの答えを出していく過程は自分にとっては本当に面白かったです。
 2月末に解剖学実習を終えて、自分はある一つの答えに達したと思います。それは、解剖学実習をやり遂げる事で人体の構造を知り、その発生の成り立ちを考察する事の他に、死を目の当たりにし、それに立ち向かう事で医の倫理、人間の尊厳、さらには命への畏敬の念を自分の中で養う事ができるということです。また、本当に学ぶという事は自ら問題意識を持ち、そして自ら思考する事である事も実感しました。この4ヶ月間を通して学んだ事は将来の飛躍のための糧となると思います。このような貴重な経験が出来たのは、教官方、共に助け合った仲間達は勿論ですが、何よりも貢献されたのは、私達のために献体して下さった白菊会会員の皆様とそのご家族の方々です。ここで改めて心から感謝の意を申し上げます。今後もこの実習で学んだ事を生かして、これまで以上に精進して勉学に励み社会に貢献できる医師を目指して頑張りたいと思います。







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