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実習を終えて
解剖学実習を終えて
自治医科大学 會田 誠
 昨年の夏からおよそ1年にわたる解剖学実習を終え、まず心に抱くものは、何よりも大切なお身体を学生の為のご献体として頂きました方々への感謝の念、そしてご冥福の祈念であります。同時に、この解剖学実習の意義を誰よりも深くご理解頂き、ご協力頂いております松韻会の皆様方にも、深い感謝の意を、敬意と共に述べさせて頂きます。本当にありがとうございます。
 解剖学は医学教育の中では、「基礎医学」というカテゴリーに分類される科目の一つという位置付けがされています。しかし、私達学生にとって解剖学実習が負うものはそれだけには留まりません。解剖学実習は、より深く、根源的な何かを、私達に問いかけてきます。その問いかけは、私達に医学生であることを再認識させる厳格な通過儀礼としての役割も果たしているのです。解剖学の知識は、それ自体が医学の基礎を成す修めるべき重要な事柄ですが、それをご献体から直々にご教授頂いた過程は、更に深く胸に刻むべき貴重な経験であると私は考えています。
 実習の中で私達は様々な事を学びました。人体の構造、各臓器の形態・配置とその機能との密接な関係、神経・血管の走行や筋肉の作用など、挙げ始めればきりがありません。ヒトの身体を構成する多様な器官は全て体内に3次元に配置されているため、いかに優秀なテキストでもその複雑な配置や構造を2次元の紙面に完全に記述する事は出来ません。臓器の実際の色や触感等に至っては言うまでもありません。我等が大河原教授の有り難い講義でさえ、その手触りや質感まで表現するには限界があるのですから。この意味で、ご献体して頂いた方々は私達の最高の先生でもあります。「百聞は一見に如かず」。解剖学こそ、実習を絶対に欠く事の出来ない数少ない学問の一つだと確信しています。実物の人間を知らない者に、実物の人間の治療などできるはずがありません。ご献体をして頂く方々をはじめ、様々な人々のご助力の上に、現在の授業が成り立っていることをもう一度確認し、精進していきたいと思います。
 解剖学実習では、学問としての学習以外にも、個人的に印象深い出来事がいくつかありました。その内のひとつは、体内の臓器が、人の顔や身体が千差万別であるのと同様に、人により様々であった事です。体の内部の個人差は想像以上に大きく、それまで抱いていた「表皮がなければ人を区別することが出来ない」という漠然とした考えは、私の中で大きな変更を余儀なくされました。この経験は私にとって最も衝撃的な出来事の一つとなりました。例えば、私は臓器提供意思表示カードを携帯しています。それには、脳死後、全ての臓器を提供する旨が明記されています。その根底には、脳の死により自分の所有を離れた臓器は、それを必要とする人に利用して頂くのが最善だという考えがありました。それは今も変わりません。しかし、解剖学実習を進める内に、私は自分の臓器に対しての愛情に欠けているのではないかと感じる様になったのです。それまでの私の臓器には「顔」がありませんでした。臓器は単なる所有物だったのです。所有物だと割り切った上での至極合理的な臓器提供意思表示だったのです。
 実習の中で、ご遺体様の臓器に直接触れ、そのひとつひとつに「顔」があることを実感した時、それぞれの仕事を担当する各臓器の複合による自治体のようなものとして、人やその他の生物を見る瞳を持つ事ができました。A町にもB町にも役場や学校やお店はあり、それらはそれぞれ違った魅力を持ちながら機能している。AさんもBさんも体内に心臓や肺や肝臓を持っているが、それらは違った「顔」を持っているのです。そう感じられる様になってから、臓器提供に少々の恥じらいのような感覚を覚える様になりました。自分の臓器が非常にプライベートな事の様に感じられ始めたのです。考えてみると、臓器のような普段眼に見えないものは、DNA情報に匹敵する究極のプライバシーではないでしょうか。そう感じられるまでに臓器に親近感を抱けた事は、これから医者として多くの方々の身体を診る上で大きな収穫であったと、胸を張って宣言することができます。
 私達自治医大生は、卒業後、日本各地の僻地医療に従事致します。その住民一人一人の個性のある臓器を一つ一つ愛情をもって診断し治療すること、また同様に、その地域を構成する全ての人々に誠意をもって接し、自治体運営の潤滑剤の一部になることができれば、この上ない幸せです。
 医学の礎となる知識と、新たな視界を与えてくれた解剖学実習と、それを支えて頂きました全ての皆様に、もう一度感謝の意を表したく存じます。心よりありがとうございました。
 
解剖学実習を終えて
金沢大学医学部 会津元彦
 今回、2回目の人体解剖学実習(臨床解剖学実習)を終えて、改めて人体構造の奥深さに驚きと感動の気持ちを抱きました。1回目に人体解剖学実習を行ったのは2年生の頃でした。その頃の私はまだ人体のことについては右も左も解らない状態でした。心臓、肝臓、小腸、大腸などの名前だけは知っていてもその機能の深い所までの知識はなく、血管や神経、筋肉の名前などはほとんど知らない状態で解剖学実習に臨むことになったのです。解剖学実習の前には先生方よりラテン語を交えた解りやすい講義をして下さったのですが、自分のあまりの知識のなさに大まかな所を押さえるのに追われる状態でした。
 ご遺体は自分の出来る限り存分に解剖させて頂き、熱心に勉強しました。しかし、自分に知識があればもっと出来たのではないかという思いが心に残りました。この度、4年生の冬学期の基礎配属で再び人体解剖学実習を行う機会にめぐり会えました。この2回目の解剖学実習では、私は自分の興味のある内臓について特に丹念に解剖をやること、そして解剖学実習に関する書籍や資料に逐一目を通し見落とすことがないよう慎重に解剖を進めていくことを意識して臨みました。4年生になった私には基礎配属で養った様々な解剖学に関係した知識が備わりました。それでも、いやそれ故と言った方がよいかもしれませんが、実際に解剖学実習をやってみた時には多くの発見がありました。いろいろな発見をするたびに私は自分の勉強不足と人体の奥深さに驚きました。
 今、この文章を書いている最中にも人体解剖学実習の事を思い出し、この経験をこれからの勉強に生かそうという決意を強く抱きました。そして忘れてはならないことは自分が人体解剖学実習を経験できたのも献体をして下さった方々のご意志がなければできなかったということです。私は2回目の解剖学実習では献体して下さった方々の思いをより強く意識して解剖学実習に臨みました。実習室に入る際の一礼や黙祷は当然のこととして常に花輪手向け、ご遺体の解剖も丁寧に進めることを意識しました。解剖学実習を進める上で数多くの助言を先生方から頂きました。本当にありがとうございました。私は今回の人体解剖学実習で得た知識をもとに勉学に励み、然る後に医学に対し貢献することで、献体をして下さった方々やその家族のご意志に報いることが出来ればと思っています。
 ここに献体して下さいました御霊とご家族の皆様、そして無条件・無報酬で献体運動を進めて下さっておられる金沢大学しらゆり会の皆々様に衷心より感謝申し上げます。解剖学教室の先生と献体業務に携わって下さる大学の皆様にもお礼を申し上げます。
 
お別れの言葉
福島県立医科大学 阿部恭子
 約二ヶ月にわたる解剖実習を終えて、やっと終わったのか、という安ど感と達成感、そして何よりも貴重な実習の機会を与えて下さった貴殿への感謝の気持ちでいっぱいです。
 解剖実習は、私の予想以上に、体力的にも精神的にもつらいものでした。途中で、実習を放りなげてしまいたいと思ったことも幾度かありました。そんな時、「このような実習ができるチャンスは今しかないんだ、この機会をのがしてしまっては絶対に後悔することになる、せっかくの貴殿の御遺志を無駄にしてしまうことになる」と考えると、自然にやる気がわいてきて最後まで解剖実習をやりとげることができました。
 解剖中、人間の体の構造とその仕組みについて、感動してしまう事がよくありました。また、人間を構成しているものとは何ときれいなんだろうと、何度も驚いたものです。たくさんの発見をし、たくさんの事を学ばせていただきました。貴殿の御身体を使わせていただいたことにより、教科書や図や写真などでは理解できなかったことを理解できるようになり、実感することもでき、また記憶に残すことができました。先生方がよく、「あなたの目の前にある御遺体をよく見なさい。教科書や図ではなくそこにあるものが真実なのです」と言っていました。本当にその通りだと考えます。貴殿が私にとっての一番の教科書であり、先生でありました。
 これから先、医師になるための勉強をしていく上で、また医師として働いていく上で、一番の土台となるのは、この解剖実習で貴殿から学んだことである、ということは間違いないと思います。この解剖実習で得たものは、本当に大きかったのです。
 私達に、たくさんの勉強をさせてくれた貴殿と、また、貴殿の御遺志を尊重して下さったご家族の方に、本当に感謝しております。
 本当に、本当にどうもありがとうございました。







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