日本財団 図書館


■挨拶
解剖学実習教育と学生気質 日本歯科大学歯学部解剖学第一講座 教授 佐藤 巌
 最近の学生さんは、団体行動を避け集団になじめず、集団の中でも孤独感を感じ、携帯電話で連絡を取り合っていないと不安になり、自分を支えてくれる人が必要な、いわゆる「社会的自立」が乏しい世代と言われています。大学でも学力の低下やゆとりある教育の弊害として、高校で生物学などを学んでこなかった学生のための特別クラスを設置しなければならない時代でもあるのです。時代を越え、学生達が人体解剖学実習で何を感じ、考え、学んできたかを綴ったのがこの感想文といえるのかもしれません。
 一人でも多くの献体登録者やご家族の方々に学生たちの心情を知っていただきたいと「学生感想文」が最初に刊行されたのは献体法が制定される4年前の昭和54年の年です。当時の文集にはご献体者を「解剖体」とか「遺体」という表現で表していることからも献体法制定の黎明期をうかがわせる興味深い表現です。当時の学生達は真摯に「死」を考え、人が人を解剖してよいのかという疑問と畏怖の念を抱きながら、実習を重ねていくうちに人間の構造の複雑さと生命の神秘にふれて「医師」としての使命と責任を感じるようになる心情変化の過程を書き綴っています。献体法が制定された昭和58年以降、社会的にも献体の意義への理解が得られるようになると、「死とは」、「生きること」を多くの投稿者が書き、「無言の師」「屍は師なり」といった表現からも感謝の気持ちと学ぶ決意が見られます。
 平成の年になると、世の中はバブルの絶頂となり、日本人が誇りと自信に満ち溢れた時代になっても学生達はご遺体から「生命の尊厳」「生命の神秘」「使命感」を学び、不安と反省の中から立派な医師、歯科医師になろうと決意しています。また、「脳死」がマスコミに取り上げられるようになるとそれに敏感に反応し、「生命の尊厳」「生と死」を感じ、「畏敬の念」に満ち、「自覚と責任」の重大性を覚え、「感謝」の心へと変わって行きます。平成6年から7年頃の文集の多くには「畏敬の念」だけでなく「親近感」をうかがわせる表現が多くみられるようになり、学生の心情も変化してきます。家族の一員ともとれる身近な存在としてご献体者をとらえる心のゆとりがみられるようになってきます。平成10年頃には学生達は「社会的貢献」に目覚め、「使命感」や「学生の献体」にもふれています。核家族の社会で育った学生達が家族の一員として献体者を「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ぶことで自分の心の中に忘れかけていた祖父、祖母を求めて、感謝の気持ちを文集に表しています。平成11年以降からは「社会的貢献」や「恩返し」「目的」という表現が多く見られ、一見、優等生のように思われるが、第三者に言わせているような、まるで評論家のような表現をする学生達も現れて、価値観の多様性をうかがわせる文集も登場してきます。しかし、多くの学生が医学の基盤科目である人体解剖学を初めて学ぶ不安と希望の狭間の中で膨大な知識の習得に全力を注ぎ始め、医師、歯科医師としての自覚と将来になうべき責任の重大性を学生達が持ちはじめる時期でもあるのです。グループ学習では多くの友人をつくり、互いに協力し合い、自分達の目的を成し遂げようとする姿勢と努力がみられ、「この頃の学生は・・・」に代表される自己中心的な学生気質は文集からはみられないのです。
 ここに載っている文集を書いた多くの学生は「いわゆる優等生」かもしれないが、医の倫理が問われ、インフォームドコンセントが不可欠な時代にあって世の中はますます「良医」が求められている今日、学ぶ学生にとっていつでも献体者は常に最大の「先生」なのです。冒頭で述べた「最近の学生は・・・」に代表される世の中の評価と反して、実習は学ぶ立場の学生を真摯な気持ちにさせてくれる機会でもあり、絶対的価値観が失われ、価値観が多様の時代だからこそ「献体者」の尊い潔さは学生達に、また、教える側の教員達にいつも感動をあたえているのかもしれません。その意味でも人体解剖学実習は教員達に献体の重要性を改めて提示し、新しい時代の医師、医療人を育てていく職務の重大さを知らせるのです。
 ここ数年、医療の現場では、医師、歯科医師はもちろんのこと、その他の医療従事者(コーメディカル)の資質が問題となり、平成12年には篤志解剖全国連合会と日本篤志献体協会主催、解剖学会共催で「解剖学と献体―その新しい展開―」の公開シンポジウムが開かれ、コーメディカル教育における解剖学の重要性が論議されてきた経緯もあります。そういう意味でも献体の精神は医科、歯科界において今後ますますその重要性を帯びてくるのです。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION