協力:日本財団
ヘルパー3級養成講座通信 第12号(最終号)
ヘルパーへの道
NPO文化学習協同ネッ卜ワーク 2002年1月19日発行
3級ヘルパー養成講座 修了式 2002年1月12日
ホームヘルパーが来て、生活が変わった!
脳性麻痺障害とともに生きる大宮利夫さんを囲んで・・・
脳性麻痺の障害を博って生きる大宮利夫さんを囲んで、話を聴く「特別講座がヘルパー講座最後の講義。大宮さんは、WebTVを使って、右足の親指一本で日記やメールを書くというコミュニケーションをして生活している。言葉の不自由さはあるものの、とっても明るくヘルパーさんと毎日の生活を送っている。今回大宮さんと一緒に来てくたさったのは、お姉さんの小林さん、ヘルパーの吉原さん、高橋さん、お友達の牧野さん、学生さんのヘルパー実習のコーディネイトをしている沼田さん。
外に出ることのなかった40年分、楽しみたい
大宮利夫さんは現在45歳。4年前まで40年近く外にでることはなかったという。4年半前に両親が一度に他界し、ヘルパーさんやまわりの人のおかげで、お墓参りや一泊旅行に行くようにもなりました。2年前からはメールも初めて、今ではメル友もでき、生活ががらっと変わりました。競馬とカメラが最近の趣味なのだとか・・・。40年間、外に出ることはなかったという大宮さんは、コレまでの生活に対しては「こんなもんかなぁ」と思っていた。高齢になった両親は、外の人に彼の障害を知らせようとはしてこなかった。もちろん学校にも行っていない。突然、一度に両親が亡くなり、お姉さんが保健婦の檜谷さんに相談したところヘルパーさんに家に来てもらうことになった。表に連れ出してくださいと頼んだので、大宮さんの世界を広げていった。お姉さんから見れば、弟は40年間社会とふれあっていなかったので不安があったが、それよりもどこに行っても明るく楽しんでしまうのでそんな不安も吹っ飛んでしまった。メールを通して、友達も増やしていった。
ヘルパーさんの声を聞いてみよう!
吉原さん(ヘルパー・4年前、両親が亡くなった時からつきあいが続いている。)
外に出ることで大宮さんは、どんどん健康になった。背骨がシャンとするようになった。遠くの公園まで散歩しに行く。40年間も外に出ていなかったというので、自分の知っていることを教えたいという気持ちが強い。バラのにおいをかがせたり、落ち葉の上を歩いたりと大宮さんの経験したことのないことを感じて欲しかった。障害者という特別視はほとんどない。ケースバイケースだが大宮さんが自分に合わせてしまうような勢いで接している。自分がしんどかったら相手に伝わる。
高橋さん(ヘルパー・一年間ボランティアとして「友愛の日協会」から派遣されている。)
利夫さんはありのままの自分でぶつかってきてくれる人で何でも伝わりやすい。自分でもアンテナをたくさん張って試行錯誤しながら自分も楽しいと思えるヘルプをしている。多少の押しつけもありながら、互いに楽しいと思えることは大切☆
牧野さん(ヘルパー・講座の実習にきたときからお友達になる。)
外で車椅子を動かすことはすごく大変だった。老人施設はバリアフリーなのでまったく段差がないが、一般道路は段差だらけ。肩に力を入れずに車椅子のそばに自分が身体を寄せることや一声かけてあげることが安心してもらうことになる。
大宮さんに聴いてみよう!
「どんなヘルパーさんだと気持ちよく過ごせるのですか?」
大宮さんはヘルパーさんと楽しく接触するため、ヘルパーさんに点数をつける。基準はご飯の食べさせ方や気持ちが優しいかどうか?車椅子を押す時の言葉がけなど。でも採点は甘く、みんな百点以上がつくのだとか。
もうすぐ大宮さんに関わるヘルパーさんが百人目を達成するという。福祉の専門学校の実習生は実習しながら学ぶことが多い。利用者とその家族、そして他のヘルパーの三者の了解がないと実習などできない。
車椅子を押すときも意識して声をかける。相手の気持ちになって声をかけられることは大事な心がけ。一緒にやりましょうよと声をかけてくれることはヘルパーとしての点数が高い。点数の低いヘルパーさんというのは何を考えているかわからなかったり、不安を持ってくる人は怖い。また相手の気持ちを考えないままヘルプしようとする人には百点以下となる。
「どんなところに出かけたことがあるのですか?」
最近では、白樺湖や千葉に一泊旅行へ出かけた。中野のヘルパーステーションの「在宅患者の会」の人たちと一緒に出かけていく。一人で参加し、家族は同行しない。新幹線や飛行機にもまだ乗ったことがないという。外に出なかった時間を取り戻したいという利夫さん。この先もオーストラリアに行ってみたいという。出来るだけいろいろなことを体験させてあげたいと思うお姉さん。
ヘルパーの勉強をしたみんなが出来ることは、ある!
飾ってあるだけの制度はダメ!制度をどう活かすか!
昔の人は行政の世話になっては恥ずかしいという意識が強いせいか、大宮さんの両親も大宮さんを外に出そうとはしなかったという。制度に対しての情報さえ持っていなかった。本人やまわりの人が申請しないとサービスを受けることが出来ないのが現状。「全身性障害者介護人派遣制度」という制度を使えば、ヘルパーを派遣してもらえると保健婦の檜谷さんから伺うまでは、お姉さん自身が自分の仕事を辞めて介護をしなくてはならないと思い込んでいた。利夫さんの体は、両親に大切に育てられてきたため、変な癖もなく、機能としてはまだしっかりと動く部分も残されていた。障害者手当の手続きだけは福祉事務所によって、障害者手帳と車椅子を手に入れることができたが、ヘルパーを依頼できる制度を40年近く知らずに生活を送ってきた。福祉の制度を知っていればこそ、必要となっている多様な機関・施設へつなぐこともできる。自分の近くに困っている人がいれば、情報を伝えてあげることで、生活が変わる人もいる。
大宮さんからみんなにひとこと
人生気楽に生きてください!やりたいことを見つけて!!
大宮さんからは、受講生に「なんで、ヘルパーの勉強しているの?」という率直な質問が飛んできた。受講生は一人ひとり自分を振り返るように語り、和やかなムードで会を終えた。
学習センターOG 川上泰代さんに聴く!!
川上泰代さんは、これまでのゲスト・講師の中で受講生にもっとも近い23歳のヘルパーとしての先輩である。これまでも土日に行われているこの講座に、何度も駆けつけてくれた。現在、有料老人ホーム「シルバーヴィラ武蔵境」でパートとして働いて4年目になる。
川上泰代さん
「中学1年からセンターに来ていた泰代さんが福祉の道を歩むことになったきっかけは?」
高二の夏に、ボランティアに参加してくるという夏休みの宿題で、三鷹市の障害者の共同作業所「はばたけ」へ。そこに来ている人たちが生き生きしていて、自分も役に立ちたいという思いで、福祉の道へ進もうと決めた。福祉の道に進もうと決めたら、それしかもう頭になかった。そんな自分に迷うこともなかった。自分で福祉の専門学校を探し、入学。2年間、介護福祉士の勉強をしてきた。専門的介護技術も習い、実習に4回も行った。他の学科ではやめていく人もいたが、福祉の人たちはやめていく人などいなかった。専門学校卒業後、どんな現場で働こうか悩んだが、新聞の折り込み広告を見て、今の施設で採用試験を受けた。パートとして採用され、働いて4年目になる。食事・入浴・排泄介助など勉強したことをすべて現場でやっている。
初めは何もわからないし、学校で勉強したことはなんだったのかと思うくらいだった。つらいこともたくさんあった。出来て当たり前と思われているまわりからのプレッシャーも感じていた。ロッカーで泣いたり、いびられることもしばしば。別にあなたに教えることはないといわれたり、辛いこともたくさんあった。
「それでもこれまで続けている理由は?」
やりがいを感じているから・自分のやったことで利用者さんに喜んでもらえるとよかったなと思うし、「ありがとう」といわれると「あーよかったな」と感じる。またがんばろうと次につながる。利用者さんに助けられることもたくさんある。
「この先も続けていくの?」
今の現場では正職にはなれないので・・・どうしようかと揺れている面もある。
「今の仕事に就こうと思ったとき、自分で想像してその世界に入っていたの?」
想像以上だった。学校の勉強なんて役に立たないし・・・
川上さんが仕事を始めてから、つらかった経験や挫折しそうになっていた経験をありのままに受講生に語ってくれた。いつのまにか、受講生たちの質問も「そんなに大変な仕事、なんで続けるの?」「すごいね」というエールに変わっていた。講師の方々からも、応援のメッセージが川上さんに届けられた。
ホームヘルパー3級取得 おめでとう
★受講生へ贈る言葉★
★露木さん(芦花ホーム所長)
3級ヘルパー資格取得おめでとう!ライセンスを持っていれば働くことができる。安心して働いてください。受講生の皆さんはみんな目が輝いていました。ステキなセンスをもっています。それぞれの意見もきちんともっています。みなさんと出会ったことを大切にしたい。私自身が学ばせていただきました。一生懸命やっていれば、必ずそれを認めてくれる人がいます。慌てず、今自分が居るところを大切にして!
★鴨下さん(医療生協ケアセンターのがわ所長)
ヘルパーステーションで利用者の所へいくと「若いのに偉いね」なんて言われるが「若いからこそ出来ることだ」と心で思って欲しい。これからは一つの資格を持って転々と次につないでいく働き方なのでは?長い人生の中でどう自分のモノにしていくか。この仕事は人間理解も深まっていく。醜さや愛しさをたくさん感じて、経験できる仕事だと感じている。
★三田さん
福祉は自分でやる気を出して、自分のモノにしていくもの。自分の希望を叶えるんだというくらい前へ前へ進んでほしい。必ず認めてくれる人がいる。どんなことでも手を抜かずに一歩ずつ進もうとしていけば・・・自分の方向に合った道へ自分で育とうとすることを応援してくれる人が必ずいる。ヘルパー3級という資格を持って、街を歩いたとき白い杖をついた方や車椅子の方を見かけたら少し道をあけておこうと自然な気持ちで対応して欲しい。
★小関さん(三鷹市役所 高齢者福祉課)
修了証を大切にしてほしい。資格を一つひとつ積み重ねていくことで自分に自信が湧いてくる。次のステップアップも見えてくるかもしれない。
★近藤さん(デイホーム池尻 所長・講座実行委員)
3級ヘルパーでの学びや人との出逢いが何か心に響いてくれたかな。一人の人間として生きていける力になれたかな。デイホームも出発してまだ一年経たない。まだ日々模索です。新しい一歩が始まるといいな。
★岡村さん(コスモ親の会・講座実行委員)
長い間ご苦労様。裏方として参加してきたが、講義を聴いて、今までの自分の世界が広がっていくことはプラスとなった。講師の方からそれぞれの仕事に対する思いも聴けて、ありがとうございました。
★高橋さん(センター父母・講座実行委員)
しっかりした顔になったなぁ。一緒に勉強させてもらってよかった。これからの福祉と教育の問題にとっても密接なのではないかと感じました。
ヘルパー講座を終えて・・・
ホームヘルパーの学びだけど、人としての学びをしているとだんだん思えてきた。嫌になったときもあったが、最後までいけばきっとプラスになると思ってやってきた。デイホームに実習に行って、机ではわかっていたことがいざ現場でどうしていいのかと戸惑った。今までの自分の認識であった高齢者のイメージが変化した。福祉にこの先関わるかどうかはまだわからないが、自分の視野を広げてくれた。自分のやりたいと思ったことと自分の好きなことをどうつなげられるのか。もっと自分を追及して、進路を考えていきたい。自分のやりたいことを叶えていくような人になりたい。[T・N]
池尻で利用者さんと出会う。厄介そうで、すごく気になった。自分に近い人のように見えた。その利用者さんに怒られたことがうれしかった。ほんと、自分みたいだった。きついことをいったり、きつい態度をとる。講義では講師の方の思いが伝わってきて、多すぎず少なすぎずの受講生で良かった。[T・M]
あまり意識せずに講座を受けた。自分には知らないことが山のようにあるんだということを改めて感じた。自分がまだまだ勉強不足だなぁと知識のなさを痛感した。毎回講義の最後に話し合うことが新鮮だった。これまで自分はしたことがなかった、講師の方始め、この講座ですべての人と出会えたことも新鮮だった。以前は、自分の身近にない問題としか思っていなかったから、想像もできなかった。この講座で、考えていかなくてはならない事柄を得た気がする。これからもいろんなものを生涯に渡り、吸収していきたい。[M・Y]
最初は学校と同じかもと心配だった。どんどんはまっていった。実習は緊張したが意外とうまくいった。こんなにスムーズにいってしまっていいのかな。最終的に楽しかった。[I・C]
たまに理解できない講義もあった。ヘルパーになろうとはどうしても思えない。自分には向かないかもって思うから。ものの見方が変化し、いろいろ大変だなぁと感じた。もっと実習が多いほうが良かった。実習したことが記憶に残っているから。[K・T]
池尻に実習に行った時、痴呆の方が多かったせいか、ものすごく空気がさびしかった。テーブルで痴呆同士の人たちが向き合っていた。他の施設と併設することも必要だと感じた。社会の中で暮らしていくという雰囲気が必要なのかもしれない。自分は場の雰囲気をすごく気にしてしまう。講座はおもしろかった。講師の方が技術だけでなく、気持ちをぶつけてくれた。一人ひとりが自分の健康と感じて生きていく。ADLという言葉を教えてくれた伊藤先生が言ってた「生活の質が寿命に関係する」ということが自分の中に一番残っている。健康・福祉にもっともっと上の部分を目指していくこと、気持ちよく生活できることが国のスタンダートにならないといけないのではないか。[U・A]
池尻の実習では、利用者さんと普通に接して、ちょっと物忘れがひどいなと思ったくらいだったけど、後から痴呆だと分かった。利用者さんたちの空集の流れ方はゆっくりだったけど、ヘルパーさんたちはてきぱきしていた。講義自体は学びになった。学校の楽しい一面を思い出した。もともと福祉に関心があったので、楽しかった。[H・Y]
実習は楽しかった。自分がまだまだ甘っちょろいなぁと感じた。講義は睡魔との戦いもあったが、自分の中身となっていくように回を追うごとに楽しかった。自分の考えが充実した。[T・Y]
みなさんとっても元気がよかった。いろいろと勉強になりました。[H・Y]
自分が想像していたよりも、池尻は小さかった。何より話していて楽しかった。ボラに来ているという感じでもなかった。孫のように見られた。ボラでいろんなところに見に行きたい。毎回睡魔との戦い。話は面白かった。机の前に座ることに時間とともに慣れてきた。自分の頭がついていかないこともあったが、最後まで続けられたのも自分がやりたいと思ったから。最も身近な祖母が半身麻痺しているから、自分が今出来ることをやりたい。[I・K]
みんなはその場に合わせられる人たちなんで、自分よりしっかりやれているなぁと、学校で落ちこぼれていたことを思い出した。現場で実習したりとか、体を動かして覚えることのほうが、自分には向いているみたい。[K・T]
池尻の実習では病院みたいな場所を想像していたが、食堂のようでびっくりした。ヘルパー三級を採ったという実感はない。せっかくだから学んでみようと思った。やっていくうちに実感がわいてくるのかな。[I・H]
ここから始まる “ヘルパーへの道”
ヘルパー3級の資格所得おめでとう!みんな本当によくがんばりました。講座が始まる前のスタッフは、「受講生の興味を持続させるためにどうしよう」とか「どんどんやめてしまったらどうしよう」とか、そんな心配をしていました。講師の方にできるだけわかりやすくなるような工夫をお願いしたり、振り返りの時間をたくさんとるようにしたり。
でも実際に始まってみたら、そんな心配はどこ吹く風。時には、話しも難しくて眠くてつらい講義もあったかもしれませんが、それぞれが自分なりに頭や心をフル稼動させていろんなことを感じ取ってくれました。そんな様子を見ていた講師の方やスタッフからは「この講座の受講生の感性はすごい」なんて声も何度か聞こえてきました。修了式の感想からもわかるように、この講座の中で、社会に対する関心が生まれた人、自分も人のために何かやりたいという気持ちになった人、学校を離れてしまっても「学ぶことができる自分」を発見した人、講師の方やメンバー同士の出会いに感動した人、いろいろいました。「まだまだヘルパーの実態がわからないから実際にやってみたい」と思った人もいました。こんな風に感じることのできたみんなは、本当に大きな大きな収穫を得たのです。胸を張りましょう。大事なことをいっぱいいっぱい学んだんだぞと。
そしてこれから、どこでもいい、どんな形でもいいからそれを活かしていってください。スタートはこれからです。
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