ハゼノキの実の収穫
長州藩は天和元年(一六八一)、紀州藩では元文元年(一七三六)藩命によって薩摩に赴き、種子を持ち帰っている。肥後藩では、享保八年(一七二三)本格的な直栽を始めるため、種子一石九斗を買い入れ、苗木に仕立てさせ領内各地に植えさせた。島原藩では、慶安四年(一六五一)初めて植えられ、延享四年(一七四七)には、領内十万本のハゼノキを有したという。
暖地を好むハゼノキがよく活着した土地はその果実から蝋を搾り取る製蝋業が栄える地域となり、九州南端の薩摩藩から移出されたハゼノキとその加工技術は漸次日本の国土を北上していったことが伺いしれる。各地に伝播していった間、九州各地(各藩)では安定した多生産品種の育種が盛んに行われた。
四国の櫨蝋史は九州を追う形となり、徳川吉宗(一六八四〜一七五一)政策の殖産奨励を受けて伊予三藩が取り組んだ。
内子町は大洲藩に属し、大洲藩は元文三年(一七三八)、「積塵邦語」(佐々木源三兵衛著、文政四年一八二一)によれば、「芸州可部というところより、甚平、長兵衛、新兵衛と申す三人之者を雇いまかり蝋打ち相始申候」と、見える。大洲藩古田村五十崎(現在の喜多郡五十崎町)にこの三人の技術者が製蝋をもたらし、現在の内子町にも伝わったとされている。
ハゼノキの植栽と製蝋の始まりとは、必ずしも一致しないが、内子町では寛保二年(一七四二)石畳村(内子町合併前の町内地域名)に唐櫨を植えた記録がある。(安川家文書)
ハゼノキから採れる蝋は、日本酸とよばれる優れた脂肪酸を含んでいるため、ねばり気があり透明感、すべり性など、ほかの油脂にはない特性を持っている。国内はもとより海外でも高い評価を得ている。
製法は、ハゼノキの実をつぶして、種を除く果肉を粉状にして蒸して圧縮する。このときに得られたものが、生蝋(きろう)。それを精製漂白したものが、白蝋または晒蝋(さらしろう)と称した。内子町はこの晒蝋の生産地として栄えたが、一部、生蝋を産出しそれを加工した蝋燭も作られた。生蝋はおもに鬢付けと蝋燭に加工された。
ハゼノキの果実の中果皮に含まれている蝋分を木蝋という。果実一個をそのまま手に取り、親指と人差し指で押しつぶすようにしてねじると、中果皮の繊維と繊維の中にある白い粉が出てくる。繊維は核(種)を庇護する形で束になっており、その繊維間に詰まっている状態の常温で固形の物質。これが蝋である。
ただし、ハゼノキの実一個分の蝋を探し当てるのは容易だが、何キロもの蝋を取り出そうとすると、技術と方法、エネルギー(人力)、土地、水が必要となる。
大量に短時間に得る製法は、内子町および周辺地域では、「立木式蝋搾り(たちきしきろうしぼり)機」という木組みの搾り機械が考案されて、各農家などに設置された。江戸時代中期から大洲藩では、稲作などの農閑期の換金商品として取り組み、和紙に並ぶ手仕事として奨励され保護された。このため、山間地帯の段々畑の傾畦には、分積的にハゼノキが植えられ、勾配のある畑の養分や水などをハゼノキが吸収して生長した。
したがって大規模なハゼノキ団地は存在せず、分積的で広域な植栽によってその収量を確保した。
その名残が内子町内にも数カ所残り、内子町の社会教育資料として保存されている。また、大洲藩内にある大洲神社には、当時の風景を描いた「櫨山畑光景大絵図」が奉納され、歴代大洲藩主がしばしば櫨紅葉を鑑賞する遠出があったという話とともに伝えられている。
木蝋の第一次の生産加工は、果実からそのままの蝋分を搾り出すこと。そのまま常温下で固形を保っているものを生蝋(きろう、またはしょうろう)と呼んでいる。木蝋の第一次加工製品であり、鬢付や蝋燭の原材料として使われている。生蝋の大量生産は、おもに資本力のある豪農と呼ばれる農家、あるいは山間地域の庄屋が担い、蝋を搾った。
その製法に触れる前に、山間地に植わることによるハゼノキの特徴的な収穫について述べたい。
まず十一月から翌年二月頃まで、葡萄の房状に稔った実を収穫することから始まる。おれやすいハゼノキの中央にたわむように、直径一センチ前後の麻の縄を中央に向かって蜘蛛の巣のように張り、木の中陰に向かって綱を張る。その綱の上に立って、「ハゼトリカギ」(先端にワシのくちばし状の鉄の鈎を梅の枝に取り付けた二メートルあまりのもの)を巧みに使って、お椀状に茂ったハゼノキの円周付近に付いているハゼノキの実をたぐり寄せて、ちぎる。その実は、ハゼトリ籠に入れ、籠がいっばいになるとハゼノキの下に待機している人に籠を下ろし、また籠を樹上に引き上げた。
収穫した実は、「ハゼダワラ」にして牛の背中に振り分けにして載せ、仲買人の指定する場所や蝋搾り農家まで運んだ。農家にとっては、正月用品を整えるための換金作物としてハゼノキが活用された。
左上 |
生蝋荷づくリの図 |
右上 |
蝋燭屋の図(『農家益』) |
下 |
鬢付屋の図(『農家益』) |
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