内子町の和蝋燭・・・中岡紀子
一、蝋から富を築いた町
内子町は、愛媛県の県都・松山市から南南西に約三四キロメートル下った山間地帯で、県土のほぼ中央に位置する。瀬戸内海にそそぎ込む一級河川肱川の中流域に開けた盆地で、六六・七パーセントが山林、基幹産業の農業用地(田畑)には、一五・二パーセントが活用されている。
現在、過疎化に拍車のかかる四国の片田舎の町であるが、江戸時代末期から明治、大正時代にかけて、莫大な富の集積があった。富をもたらしたのは、ハゼノキの実から採れる油脂・ワックスの精製、漂白である。国内需要よりもいち早く海外市場に目を向けた先見性と良質な晒し蝋により、輸出により外貨を稼いだ。その富の集積を伺い知ることのできる町並みが、今も現存している。
町並みは町道約七〇〇メートルの両側に、塗り込めた厚い土壁の家屋や土蔵などの建物約七五棟が、通りに連続して建ち並ぶ。低い二階づくりの「つし」やその壁に抜かれた虫籠窓(むしこまど)、蔀戸(しとみど)や大戸(おおど)、床几(しょうぎ)、また紅柄色に塗られた格子戸、また、屋根の大棟を飾る鬼瓦、破風下のこて絵、なまこ壁など伝統的な意匠を楽しむことができる。
木蝋資料館として利用されている上芳我(かみはが)邸
伝統的建造物群保存地区に指定された内子町の町並み
二、内子のハゼノキ
内子町で産出していた木蝋の原材料は、ハゼノキの果実。ここではその植生と導入の歴史について触れる。
ハゼノキは、果実の中果皮に蝋を含む日本産ウルシ属で、別名リュウキュウハゼ;Rhussuccedanea L.(英)Wax Treeといい、この属にはツタウルシ、ヌルデ、ヤマウルシ、ヤマハゼ、ウルシがある。この中で、ハゼノキはその結実量や中果皮の割合、含蝋率で採蝋に最も適した樹種である。落葉高木で、温帯から亜熱帯に生息する。日本では本州以西、四国、九州の山野に多く植生している。
原産地はヒマラヤ、マレーシア、インドシナ、インドあたりかといわれている。和名のリュウキュウハゼは、琉球を経て渡来したから。
葉状は、四〜七双までの奇数羽状複葉で、長さは二〇〜三五センチになる。革質の小葉は、短柄で全緑、裏面は緑白色で互生の着生。花は、五月〜六月に開花し、緑黄色である。枝先に葉液に円錐状の花を群生させ、黄緑色。五弁の小花で直径は二ミリ程度。雌雄異株で、雄木の花の方が黄色で濃く小型である。果実は、核果でやや扁平。直径六〜一一ミリ。最も大きなブドウハゼ(ハゼノキの地方種)で長径一一ミリ、短径一〇ミリ、厚さ七ミリ。淡黄色で無毛、光沢。中果皮に蝋分を含む。十月から一月ごろに結実。竹内虎太郎による樹木種子の重量粒数表(昭和五十)によれば、千粒あたり四六・九グラム、一リットルあたり六三〇グラムで一三八○○個、一キログラムあたり二三四〇〇個一キログラムあたり一・六九リットルの平均値である。
我が国に採蝋植物のハゼノキが渡来したのは定かではないが、各地にその一端を知らせる記録が残っている。「草木六部耕種法」(佐藤信淵・一八三二)には、正保二年(一六四五)桜島に漂着した異国船より黄櫨の実と採蝋の方法を受けた記録がある。この薩摩藩からリュウキュウハゼを移入した藩は多数有る。
ハゼノキ
ハゼノキの果枝と花枝
ハゼノキの葉、果枝及び花
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