(9)釜屋内部 ドウやアサブクロ等が移築後に展示(会津民俗館)
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釜屋内部 フカシガマや木の実ふかし用具が移築後に展示(会津民俗館) |
(四)木の実ふかし
搗いた木の実は、絞るためにいったん蒸す。これを「木の実ふかし」と呼んでいる。小ケ峯の釜屋を例にとると釜屋には、「ふかし釜」と呼ばれる石を組み丸く粘土で造りあげた竈がある。(10)竈には大釜をしつらえ、その上に箱で枠を組み、釜の上には二本の棒を渡し、その上に割竹を麻縄や縄で編んだ簾(す)をのせ、その上にシキノウ(敷布)と呼ぶ麻布に包んだ木の実を入れて蒸す。ふかす時は、前に詰めた麻袋を一緒にその上にのせてふかす。『五目組風俗帳』や『漆樹栽培書』では、ふかし釜には丸型の円座のようなものをのせ、蒸すとあり、その図および解説がある。『五目組風俗帳』の文化年間と、『漆樹栽培書』の明治二十一年当時の釜の構造はほとんど変らないことがわかる。このふかし釜の図及び解説は、近世における会津地方の蝋絞りの技術を伝える貴重な史料といえる。
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『漆樹栽培書』より 第九図・蝋袋 第十図・蝋袋へ蝋粉を詰め込む 第十一図・蝋粉を詰める棒 第十二図・蝋粉をすくい詰める箆 第十三図・蒸籠の底(円座) 第十四図・蒸籠 第十五図・蒸籠の蓋 |
(12)第十六図・釜で蝋粉を蒸す 第十七図・蝋絞り
「第十三図 わらにて円座のごとくつくり、第十四図の格子の上へ据へ、蒸籠(せいろう)底となす。
第十四図 蒸籠にして、けやき等の皮にてつくり、釜の上へ据え、周囲を竈へ塗りつけて蒸籠となす。桶および箱製のより蒸れ早し。第十五図 わらにてつくり蒸籠の蓋にするなり。第十六図 釜にて蒸すの状なり。」
とある。(注(12))
釜屋で蝋絞りを行うのは、藩政時代から共同で行う場合である。明治以後は、個人で一人か二人で行う場合は、小さな竈にデドリと呼ばれる鉄瓶や端釜をあげ、その上に桶型のフカシオケ(蒸し桶)をのせ、木の実ふかしを行う場合が多かった。フカシオケの底には、麻糸製の網を張ったものが多い。またブリキ製品の筒に縄を巻いたものなどもある。ふかしあがった木の実を、アサブクロ(麻袋)とかシメブクロ(絞袋)と呼ばれる麻製の袋に詰める。釜屋で使用するものは、ナガ(長)と呼ばれる細長い型のものである。フカシオケで使用するのはカブト(冑)と呼ばれる冑型のものである。木の実を袋に詰めるときは、ヨナカラと呼ばれる房を入れ詰める。詰めるときは、詰棒や箆を用いて押し詰め、入口を強くしばる。『漆樹栽培書』の解説には、
「第九図 蝋袋と称す。蝋粉を入れ圧搾するの具にして、麻にて編みたるものなり。
第十図 蝋袋へ蝋粉を固く詰め込む。上を糸にて結いしめた図なり。 第十一図 蝋袋へ蝋粉を詰め入るの棒なり。 第十二図 木製の箆にて、蒸したる蝋粉をすくい袋へ入れ、また柄の元は袋へ詰め込む両用具なり。」(11)
とあり、明治期の木の実ふかし用具の具体的な使用方法が記述されている。(注(13))
(13) |
蝋絞り器・ドウと生蝋 中央部にカタ・アサブクロ・ヤが組まれる(会津民俗館蔵) |
(五)蝋絞り
蒸した木の実は、さめないうちにすばやくドウ(胴)と呼ばれる絞り器に入れて絞る。ドウは、約一間ほどの欅(けやき)やミネバリなどの堅木で作ったもので、中央部が刳り(くり)抜かれており、そこにカタ(形)を入れ、左右二つのカタに木の実を詰めた麻袋をはさみ、そのわきにヤ(矢)とかシメヤ(締矢)と呼ばれる木のヤを打ち絞る。最初は、軽く左右対称に打ち込み、カタが安定したら強く打ちこむ。カタやヤは、山桑を多く使用する。『漆樹栽培書』には、これらの用具を次のように図および解説文を付している。(9)(12)(13)
「第四図 矢と称するものにして、斧折(オノオレダケカンバ)、やまくわ等にてつくる。 第五図 槌と称す、斧折、やまくわ、山梨等にてつくり、矢を打ち込む器なり。 第六図 形と称す。けやき等にてつくり、胴の穴に入れ、蝋袋をはさむものなり。 第七図 形の裏面なり。 第八図 蝋胴と称するものにて、けやきにてつくり、形矢を穴へ入れ、蝋を搾る打つ器なり。」、「第十七図 圧搾をする状を示す。」(注(14))
ドウの下は地面を掘りこみ、そこにタメバコ(溜箱)と呼ばれる絞られた蝋を受ける箱をすえておく。絞られた蝋は、キロウ(生蝋)ともいわれる。タメバコは、底部がせまい逆台形型で、蝋が冷えかたまると、逆さにして抜きとれる。『五目組風俗帳』や『漆樹栽培書』では、このあと「湯抓き蝋」といって再度、鍋であたため布で漉し泡をとり、小桶や箱に入れかためたとある。昭和三十年代当時においては、この方法は行わず、保管した。蝋燭を作るときに、湯抓きを行った。
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