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自然と文化 72号

 事業名 観光資源の調査及び保護思想の普及高揚
 団体名 日本ナショナルトラスト  


二、漆蝋の製造工程
(一)江戸時代の製造工程
 会津地方における江戸時代の蝋生産は、前述したように年貢蝋として強制されたもので、明治以後はその重労働から解放され、廃止する農民が多かった。これまで釜屋での共同による蝋生産から、個人により行うようになった。ドウ(胴)とかフネ(槽)と呼ばれる蝋絞り器を、かつての仲間から譲り受けるような形で使用してきた。会津地方では、昭和三十年代前半までは各地で蝋を絞り、蝋燭を作る人がみられた。しかし、耶麻郡高郷村小ヶ峯において釜屋での蝋絞りが昭和三十七年を最後に、会津地方の長い漆蝋生産の歴史が終った。この時点でも、本州最後、本邦最後の漆蝋の生産地であった。
 なんといっても会津の蝋といえば、近世における年貢蝋の生産が最盛期であった。当時の漆蝋製造の工程を記述した史料はほとんどない。文化四年(一八〇八)の『五目組風俗帳』によると、漆の実から蝋を絞る工程を簡単に記している。五目組は、現在の耶麻郡熱塩加納村と喜多方市の一部である。昭和二十年代まで熱塩加納村赤沢では、蝋絞りと蝋燭造りが行われていた。また同村の村杉には、蝋絞りを行った釜屋が近年まで牛小屋に改築されてあったが、現在は焼失したという。
「漆木実年に寄り石数にハ多少御座候、取候にハ稲上ケ仕舞候て、一ト房ツゝ落し、板へ縄を巻付候ものにて揉落し、夫より臼へ入つき、木実種子ヲ除ク大キ成ル釜鍋へ木を並べ、其上へ糸にて釜鍋のなかに丸くあミ候物を敷き、其上へのせふかし油どふの如き成ルどふ二而絞り、それを釜鍋にいれ、湯にいたし、二、三尺計の箱の蓋の如き物へ入堅メ候を、又小桶へ移し替へ、蝋湯を入堅め候を湯抓蝋といふ、是を十一月中蝋御蔵へ納申候」
と、江戸時代における漆蝋の製造工程が記載されている。(注(8))これらの工程は、明治以後もほとんど変ることなく行われてきた。
 ここに記載された製造工程を、用具の図と解説をつけて記載したものに、明治二十一年に著述された初瀬川健三著の『漆樹栽培書』がある。ここに記述されている内容も『五目組風俗帳』とほぼ同じであるが、時代からいって江戸時代の製蝋方法を示す史料に相当するものであるので、紹介しておく。
「漆の実は十月二十日ころより成熟す。よって十一月初旬より方言木の実採り鎌と称するものにて突き落とし、晴日に乾燥し、漆もみと称する器械にてもみ、粒となし、一室の内へ屏風(びょうぶ)を立て、紙帳(しちょう)(これ、蝋粉の飛散を防ぐためなり)その実を臼にてつき、皮肉となりたるとき万石簸へ掛け、核を去れば蝋粉となる。これを蒸し麻糸をもって製したる袋(充分に詰め入れ再び蒸し、蝋胴と称する器械にて搾る)、これを打ち落ち蝋という。また湯かきと称し、この蝋を砕き鍋へ入れ、煮ざるよう文火(炭火)にて徐々に箆(へら)をもってかき回し、溶解したるとき布袋を入れ、他器へ漉し泡を去り、再び浅き箱に入るれば冷え固まり蝋となる。」(注(9))
また、この記載で重要なものに木の実(漆の実)の数量についてのデータである。房木の実一貫目で粒で六升五合、粒実一升で量目百二十匁、粒実一升で粒数六千九百五十四、粒実一升で蝋粉四合、同じく核子(たね)三合五勺、蝋粉一升から滴蝋十三匁ないし十八匁、同じく蝋搾り粕三合とある。この記載は、蝋絞りを行った人がほとんどいなくなった現在、貴重な資料である。なお、蝋絞りの作業風景や蝋絞り用具の図については、製造工程のなかで紹介していきたい。
 
(3)製蝋用具コレクションの展示(会津民俗館)
 
 
(4)蝋絞りの再現(大沼郡金山町下栗山 平田春男撮影 2002年10月)
 
 
(5) 『漆樹栽培書』初瀬川健三著より 第一図・木の実採り鎌 第二図・木の実採り(明治農書全集第五巻 農山漁村文化協会より転載 以下第十七図まで同様)
 
 
(6) 第三図・木の実もみ 第四図・矢 第五図・槌 第六図・形 第七図・形の裏面 第八図・蝋胴
 
 
(7)ジャバラによる実落し(山口弥一郎撮影)
 
 
(8)木の実搗きのシチョウ(会津民俗館蔵)
 
(二)会津の製蝋用具コレクションと蝋釜屋
 猪苗代町の野口英世記念館わきの財団法人会津民俗館には、「会津の製蝋用具コレクションと蝋釜屋」(九六八点と一棟)が国の重要有形民俗文化財に指定・保存され、一般に公開されている。会津地方の漆蝋の製造工程とその歴史を物語る貴重な資料である。この資料は、南会津郡を除くほぼ会津全域から収集したものである。内容は、蝋絞り用具のほかに蝋燭製造用具と絵蝋燭製造用具と、製品及び材料などである。注目すべきものとして、蝋絞りを行った釜屋と呼ばれる製蝋小屋の移築保存である。(3)これは高郷村小ヶ峯で、数人により共同で使用されていたもので、その内部にあったドウと呼ばれる蝋絞り器はじめ、釜や鍋など附属用具も一緒に保存できたことである。また、釜屋の移築とあわせて、小ヶ峯地区の製蝋用具をほとんど収集・保存できたことである。(注(10))幸い小ヶ峯地区には、最後まで蝋絞りと蝋燭造りを行った佐藤留久氏(大正十一年生れ)が健在であり、当時の様子や製蝋工程を聞くことができる。また昨年(平成十四年)より犬沼郡金山町小栗山地区では、かつて行われていた蝋絞りや蝋燭造りを再現し、その記録保存に努めようとしている。会津で漆蝋製造が、四十年ぶりに再現された。(4)小栗山地区の製蝋用具も会津民俗館に収蔵されており、再現にはこれらの用具を複製して行っており、漆蝋の復活のきっかけとなれば喜ばしいことである。
 
(三)原料(木の実)採取と加工
 会津地方における村には、「蝋燭屋」と呼ばれ蝋燭を作っている家が一、二軒あった。この家では畑の土堤や屋敷まわりに漆の木を植え、堆肥などの肥料を施し、大切に手入れを行い、漆の実を採り、蝋を絞ってきた。漆掻き職人が来て、漆掻きをして液を売ることもあったが、木の実のなりが少なくなるので、あまり掻かせなかったという。会津藩では、他国から来た漆掻きを禁じたこともあった。村人は漆の実を採取し、蝋燭屋に渡し、後に蝋燭と交換し、燈明用の蝋燭として一年間使用したという。
 木の実は、晩秋の初雪の降るころに採取する。実は大豆ぐらいの大きさで、房状になる。これをカマザオ(鎌棹)とかツキ(突)と呼ぶ、鎌の上の方に刃があるものに、二間ほどの長い柄をつけて、下から突き採る。(5)採った木の実は、束ねて乾燥しておく。次に、実落しといって、房から実を脱粒させる。、ジャバラ(蛇腹)と呼ばれる丸木を割り、その表面に蛇の腹の模様のように溝をつけ凹凸状にしたものに、房についた木の実をこすり落とす。(7)また、板上に丸棒をのせ、それに藤つるをからませ、そこに房をこすり落とす。またイカダ(筏)と呼び、細木を筏のように組み、その上に房の木の実をあげ、ミオトシボウ(実落し棒)で打ち叩き落とす方法などがある。『漆樹栽培書』では、「漆もみ」といい、「第三図 木の実もみととなえ、長さ九尺くらいのはしごへ径一寸くらいの丸竹を長さ二尺五寸に切り、二つに割り二か所編みてはしごへ結いつけ、その上に房木の実を盛り、双方より押してすりつけ、粒実となすの具なり。」と説明をしている。(6)(注(11))粒々にした木の実は、トーシ(通し)などでチリを取り除き乾燥させる。
 次に、木の実搗きといって、臼と杵で搗き表皮と種子、蝋粉とに分ける。搗くと木の実が、飛びはねるため、シチョウ(紙帳)と呼ばれる和紙製の蚊帳をつり、その中に臼を入れて搗く。(8)シチョウは八畳敷ぐらいで、高さは三メートルぐらいある大きなものである。臼の下にも筵を敷いた上に、フスマ(襖)と呼ぶ和紙を貼り合せ柿渋を塗った敷物を敷く。木の実搗きは、全身が蝋粉となるので、和紙製の帽子状の被り物を頭にかぶり、その上に手拭いをかぶって行う。布は蝋粉が織目より通してしまう。蝋粉のついた作業着等は、アク(灰)水で洗うと、よく落ちる。搗いた木の実は、フルイ(篩)やマンゴリ(万石)で表皮と種子・蝋粉とに選別する。種子(核子)はオカメとも呼ばれ、馬のえさに与える。油気があるため、馬の毛並みがよくなったといい、馬喰(ばくろう)や馬車引きの人たちにあげたという。







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