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一般化する唐代のろうそく
 ろうそくの灯りを点すことは唐代にはいっそう一般化した。それは当時の文学、絵画作品に現われるろうそくについての多くの描写からうかがい知ることができる。たとえば、ろうそくを歌った詩には、温庭(おんていいん)の「玉炉の香、紅蝋の泪」(『翰林の蕭舎人に投ずる詩』)、皇甫松の「錦筵の紅い蝋燭」、李商隠の「春蚕(しゅんさん)(春に繭をつくる蚕)死に到りて、糸方に(まさに)尽き、蝋炬(ろうきょ)灰を成して、涙始めて乾く」(『無題詩』)などの名句がある。陝西省乾県の唐の永寿公主墓出土の壁画には、侍女が燭台を捧げ持つ場面がある。『開元天宝遺事』(注(5))に「(申王は)毎夜、宮中に諸王、貴戚と與(とも)に宴に聚まる(あつまる)。竜檀を以て独りの鬟(みずら)(角髪。中央から左右に分け、耳のあたりで輪の形に結ぶ男子の髪型)の童子を彫り成し、衣る(きる)に緑の衣袍を以てし、繋ぶ(むすぶ)に束帯を以てし、画燭(絵ろうそく)を執たせ(もたせ)、宴命の側に立て、目は燭奴(しょくど)(ろうそく立て)に対す」とある。馮贄(ひょうし)の『雲仙雑記』「燭囲」に引用する『長安後記』に、「韋陟家の宴は、婢(下女)毎(ごと)に一燭を執たせ(もたせ)、四面に行り(めぐり)立てる。人呼んで燭囲を為す(なす)」とある。
 唐代の燭台は青磁と白磁の二通りに分かれる。河南省陝(きょう)県の劉家渠出土の白磁の蓮弁座燭台は精緻で美しい作品である。高さ三〇・四センチで、灯柱は細長く腰がすぼみ、瓦稜文を飾り、上端に灯盤と円管状のろうそく立てを受け、灯柱の下は浮き彫りの蓮弁の灯座につながり、座底に「永」字の墨書がある。釉の色は純白で潤いがあり、美しい造形である。湖南省長沙窯出土の燭台は、灯座の底に短かい三足の受け盤があり、盤内には花弁を伏せたハスが盛り上がって彫られ、灯柱の頂には仰向けのハスを彫る。湖南省博物館所蔵の長沙窯から出土した青い釉の褐緑色の燭台は、高さ一七センチ、灯の形は塔に似て、底座は透し彫り、上に灯托があり、肩と腹には褐色の如意騰雲文を下絵付けして飾り、造形は実直である。
 
(5)藍褐色の釉を使った燭台
(唐 高さ13.5センチ 湖南博物館蔵)
 
 
(6)青花の香具(中央)と燭台(左右)(伝世 江西省)
 
 
(7)金銀糸象眼の琺瑯燭台
(明の万暦年間 高さ9.6センチ 盤の径18センチ 底の径13.3センチ 北京・故宮博物院蔵)
 
 
(8)錘型の胎部の琺瑯燭台
(清の乾隆年間 高さ47センチ 大盤の径18センチ 足の径13センチ 北京・故宮博物院蔵)
 
 唐・宋の時代にはまた、精巧な設計のろうそくを点す灯彩(とうさい)(飾りちょうちん)が現われ、走馬灯とよばれたり、影灯、馬騎灯、転灯、燃気灯などとも称した。『武林旧事』(注(6))「灯品」に記す走馬灯は、「五色の蝋紙あり、菩提の葉、沙戯(すなあそび)の若き(ごとき)影灯、騎馬の人物、飛ぶが如く旋転す」とある。范成大(北宋の詩人)の詩に「光を映して魚隠見われ(あらわれ)、影騎転じて縦横す」とある。姜(きょうき)(南宋の詩人)の詩に「紛紛として鉄馬(鉄のよろいを着けた騎兵)小さく回旋し、曹公(三国時代の魏の曹操)の大戦車を幻出す」とある。走馬灯の構造は、一本の立軸の上部に羽根車を一つ水平に取り付け、羽根車の下、立軸の底部近くに燭座を取り付け、ろうそくが燃焼するときに生じる熱気が上昇して、羽根車を押し動かし、回転を生む。立軸の中部に水平方向に沿って数本の細い鉄線を取り付け(多くは四本)、それぞれの鉄線の外側に紙に切った人馬を張り付け、夜間、ろうそくを点すと、紙に切った人馬は羽根車と立軸の回転にしたがってその影が紙を糊付けした灯壁に投射され、灯画となる。灯内に照らされて浮かび上がった人物故事は、走る馬のように循環して人びとの眼前に繰り返し展開され、生き生きとして趣がある。『燕京歳時記』(清の敦崇の著)の「十月、走馬灯」に「走馬灯は、紙を剪って(きって)輪を為り(つくり)、蝋を以てこれを嘘けば(ふけば)、則ち車は馳け、馬は驟せ旋り(はせめぐり)、団団(回転)して休まず。燭が滅すれば則ち止むなり」とある。科学技術書にも取り上げられ、走馬灯の発明は、「当時の人びとが空気が熱を受けて上昇し、冷たい空気が下に沈む原理<これが今日われわれがいうところの空気の対流である>を利用していたこと物語っており、軸を押し動かすことで紙に切った人馬の回転と連動する。(中略)原理の上からみると、これは現代のガスタービンの萌芽である。ヨーロッパでは、一五五〇年ごろになって中国の走馬灯に似た装置が現われた」と、イギリスの科学技術史家J・ニーダムも著書『中国科学技術史』のなかで、走馬灯は昔の中国の人びとの重要な発明であることを認めている。
 磁器の燭台は明・清代にたいへん流行った。明の永楽年間(一四〇三〜二四)には八方燭台が流行した。一九八三年、江西省景徳鎮珠山の永楽前期の地層から純白の磁器の八方燭台が出土した。高さ二九センチ、燭台の口部と台座はともに八稜形をなす。福建省博物館所蔵の明代の白釉の鉢形燭台は、高さ一三センチ。台身と台座の二つの部分からなり、台身は鉢に似て、鉢の内底に挿管がのびる。下の部分の台座は円形で、座壁は雲形の孔を彫り、器物全体の釉の色はつやがあって潤い、どっしりと落ち着いている。明の正徳年間(一五〇六〜二一)の燭台はよく青花(せいか)(白地の素地に呉須で絵付けし、さらに釉薬をかけた磁器)回文を飾るが、これは仏前に供える仏具である。(写真(6))明の嘉靖年間(一五二二〜六六)の燭台は、幅広の把手と豆形の台がよく用いられた。なかでも明の万暦年間(一五七三〜一六二〇)の燭台がもっとも精緻で美しく、造形は大小二つの受け盤と、支柱および透し彫りの底座からなり、支柱の頂の燭盤内に高く尖ったろうそく挿しがあり、装飾の上では上絵と透し彫りの併用で、かなり込み入ってみえる。台湾で出版された『明磁名品図録』に収載する青花燭台は、高さ二三センチ、座の直径一二センチ。器体は青色を地とし、線で輪郭を描き出した文様を飾る。小さい受け盤の内側に枝の絡まる花を描き、盤の縁の内外はいずれも巻き枝の霊芝を飾る。支柱には蓮弁、霊芝、山石の文様を飾る。大きい受け盤の内側に雲鶴文や、「乾」「坤」二つの卦を描く。盤の縁の内側は道教の八宝文−古銭、火珠、珊瑚、犀角、拍板(三枚の木片にひもを通し、手に握って打ち鳴らす打楽器)、銀錠(馬蹄銀ともいう通貨)−などを飾る。外側に巻き枝の花や葉を飾り、中間に如意棒の頭や花・葉を飾る。透し彫りの底座に蓮弁を一周飾り、さらに茎の絡まる一対のハスや、如意棒の頭、雲文などを飾る。大きい受け盤の下には青花で書かれた「大明万暦年制」の款がある。清の雍正年間(一七二三〜三五)の青花八宝文の燭台は、この燭台と同工異曲の妙がある。
 
(9)双喜字文のろうそく
 
 明・清代には金属製のろうそくを点す灯具も比較的発達した。銅、銀、スズなどの材料でつくったものがあり、景泰藍(けいたいあい)(七宝焼。明の景泰年間につくられ始めたのでこの名がある)でつくったものもある。たとえば北京の故宮博物院収蔵、明の万暦の金銀糸象眼の琺瑯燭台は青銅の胎部に金メッキした、皇帝使用の官造品である。(写真(7))全体の高さ九・六センチ、盤は直径一八センチ、底の直径一三・三センチ、円盤様式で、底のかがまる朝顔型、三つの雲足(くもあし)(雲形にまたがる足)がつく。盤の中心に金メッキの宝瓶が立ち、なかにろうそく挿しが出て、ぐるりは淡い藍の釉を地となし、折枝花文様で飾り、枝の折れた辺りは緑色の釉の地となし、絡まる枝のクチナシの花を飾る。また北京故宮博物院収蔵の清の乾隆年間(一七三六〜九五)製の錘型の胎部の琺瑯燭台もたいへん精緻で美しい。(写真(8))この燭台は高さ四七センチ、大きい盤の直径一八センチ、足の直径一三センチ、青銅の胎部は金メッキ、双盤蓮座様式で、盤、柱、座はいずれも六弁葵花形をなす。錘全体は勾蓮文を用い、淡い藍の琺瑯を埋め、花心は紅珊瑚をはめ込む、この燭台も仏寺の仏具である。
 
(10)二竜戯珠文のろうそく







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