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中国伝統のろうそく文化・・・孫建君 翻訳・岡田陽一
ろうそくの使用
 ろうそくの使用は世界のどの国にもながい歴史がある。中国の先秦時代の事物を記した文献で、「燭」字がしばしばさすのはたいまつのことであり、現在人びとがいうところのろうそくではない。たいまつは、マツの枝、アシ、ニンジンボクの枝、タケやアサを束ねてつくった。燃焼時間を延ばすために、たいまつには各種の油や蝋も注いだ。
 本当の意味でのろうそくは、いつ中国に出現したのだろうか?いまのところはまだ大きく議論の分かれるところである。
 秦漢の文献の『神農本草経』(注(1))や晋代の『博物志』(注(2))には、いずれも蜜蝋や蜂蝋についての記事がある。蜂蝋は黄蝋ともいい、働きバチの腹部の蝋腺から分泌されるものである。してみると、中国ではおそくとも漢代に蜂蝋を使ったことがわかる。ほかにイボタロウムシから分泌された白蝋もあり、それが使われた時期はやや遅く、これも中国初期のろうそくの原料であった。人によると、蝋は膏(あぶら)の代わりとしただけで、蝋を灯盤のなかでとかして軟膏として使用し、細い柱状のろうそくはつくられなかったとされる。しかし、前漢代の逸話や伝聞を記した小説『西京雑記』にはすでに、「・越の王は高帝に(中略)蜜燭二百枝を献ず」とある。『急就篇』(注(3))にも「蜜燭」の記事があり、この「蜜燭」はおそらく蜂蝋からつくったろうそくであろう。
 考古の発掘でも実証されており、中国ではおそくとも前漢初期にはすでにろうそくを燃やす燭灯があった。一九八三年、広州の象崗の前漢の南越王墓から数件の青銅灯が出土した。この数件の青銅灯の共通する特徴は、いずれにも直筒状の挿座があり、これらの挿座はあきらかに油灯の灯盤と異なり、おそらくはろうそくを挿すのに用いたものであろう。出土した実物と『西京雑記』の記事とはたがいに証拠となり、中国南方の広東一帯では、はやくも前漢初期にはすでにろうそくを使用していたことを示している。広州や河南省霊宝市張湾の後漢晩期の墓からも一群の陶器の燭台が出土している。ただ、漢代のろうそくの使用はまだ一般的ではなかったために、漢代の燭台はあまりみられない。晋代以後になると、ろうそくはしだいに中国に普及しはじめた。
 
燭台の造形
 三国、両晋、南北朝の時期にはろうそくが徐々に広まることによって、灯具の造形にも大きな分化が生じ、油灯と燭台が両立し、当時の灯具の二通りのおもな形式となった。晋代の文献には、ろうそくについての記事が少なからずある。『世説新語』「汰侈(たいし)」には大富豪の石崇(せきすう)が「蝋燭を用いて炊ぐ(かしぐ)」とあり、身分不相応のぜいたくぶりが記される。ろうそくを歌った詩となると、その例はざらにある。簡文帝(南朝梁の第二代皇帝)の『燭に対する賦』、庚信(ゆしん)(北朝北周の文人)の『燭に対する賦』、王(おういん)(南朝梁の文人)の『蝋燭の詩を咏う(うたう)』及び劉孝綽(りゅうこうしゃく)(南朝梁の文人)の『棋(ごばん)を照らす燭(ともしび)の詩を賦う(うたう)』などがある。三国、両晋、南北朝時代には、青磁の燭台がたいへん流行った。これらの燭台の共通の特徴は、いずれも一本ないし数本の円管状の燭柱(燭管)があり、ろうそくを挿すのに用いた点である。燭管の数によって、単管と多管の燭台に分かれる。単管の燭台には二通りあり、一つは燭台がまるく広く開けた口の平底の盤につくられ、盤の中心に高くない燭管がある。たとえば湖南省出土の単管の燭台は、手の込んだ造形で、全体が上下二層に分かれ、下層には蓮弁の台座があり、盤を受けてつながっている。上層は小さな盤で、中心に円管状の燭柱が立ち、全体の高さは一七センチ。もう一つは羊形、獅子形、熊形など、動物の形を造形とする。三国時代には羊形の燭台が流行り、西晋では獅子形の燭台が盛行した。羊形の磁器の燭台は、羊の額部にまるい孔が一つ穿たれ、ろうそくを挿すのに用いた。獅子形の磁器の燭台や魔除けの燭台は、(写真(1)(2))その背の部位に管状のろうそくを挿す座が一つ立つ。獅子形の磁器の燭台は型押しの方法で成形されているため、器体は重厚で、内壁は凹凸があり平らではない。(写真(5))獅子の背に人が乗るものがあり、頭に管状の高い冠を戴き、ろうそくを挿す器座とし、造形はたいへん巧妙である。多管の燭台には、二管、三管、四管に分かれ、一度に数本のろうそくを点すことができる。浙江省紹興出土の南朝の獅子形燭台のように、獅子の頭が左上方を振り返え望み、尾は上にもたげ、四肢は地に伏して、背部に方形の座を負う。(写真(4))(注(4))座の上に長方形の隔板を担い、板面に並列する三本の燭管を取り付け、造形は生動的で趣がある。燭台の底座が逆さのハスの花托の形をしたものがあり、外側に伏せたハスの花形を刻み、上には水平に隔板を置き、四本の燭管を立てる。福建地方で出土した南朝の燭台は地方色が備わり、灯盤に円形の柱を一本立て、柱の両脇に各一つの輪があり、その下にさらに各一つハスの花の形の物があって、ろうそく受けとし、柱の根元は円錐形の器をなす。福建省政和の南朝墓から出土した青磁の盤形の燭台は、直口方唇で、浅い盤の中心にまるい台が突き出て、灯心を置いたりろうそくを挿すのに用い、盤の縁の一方に把手があり、把手は鳥尾形もしくは圭形をなす。
 
(1)獅子形燭台(清代 山西省)
 
 
(2)獅子形燭台(伝世 河南省)
 
 
(3)猫形の燭台(伝世 山西省)
 
 遼寧省博物館収蔵の東晋の顧之(こがいし)の『洛神賦図巻』(宋代の模写本)には、画面に人が一人碁盤の上に坐り、碁盤の側に燭台を一つ置くのがみえる。燭台は高い足の盆形で、盆のなかには二本の細長いろうそくが並んで立ち、ろうそくの心のところに火の穂がゆらいでいる。この燭台の造形は簡単だが、二本のろうそくのほうは際立っている。この盆形の燭台のろうそくを挿す方式からみると、一つの燭台に同時に二本のろうそくを置いて、明るさを増し、空間も省ける。この時代の青銅の灯具も油灯と燭台の二通りに分かれる。青銅の燭台は比較的新味に富む。河北省曲陽県の北魏墓出土の青銅の燭台は、高さ一一・五センチ。円形の盤の中央に八角形の空心の灯柱を置き、柱の上端に左右対称の二つの輪を設ける。柱の両側に各一つふねがあり、左右二つの小さなまるい皿が置かれて、ちょうど青銅の輪と垂直をなし、小皿は随意に上下移動ができる。使用時にはろうそくを青銅の輪に通して、小皿の上に置き、ろうそくの燃焼にしたがって、小皿をだんだんに上へ移す。この燭台の設計は巧みであり、使用に便利である。
 
(4)獅子形燭台
(南朝 高さ14.4センチ 浙江省の紹興市文物博物館蔵)







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