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◎速成ビクの皮包み技法◎
 事例(2)は、サワグルミの樹皮で作った速成の「カワビク」。大滝村栃本の広瀬利之さんが教えてくださった。渓谷や沢で魚を獲る際にあらかじめ魚を入れるビクをもたずとも、サワグルミの樹皮を使って速成のビクがすぐ作れる。速成ビクが魚でいっぱいになれば近くの樹枝の先に吊しておき、さらに沢歩きをして帰りに回収するのだという。昔はよくそんな沢歩きをしたが、今は無断でおこなう樹皮剥ぎはできなくなってきたという。
 速成「カワビク」の作り方はひどく簡単だ図(3)写真(3)参照。あらかじめビクの大きさを頭に描いてサワグルミの幹に鎌か鉈で傷をつけ、必要な樹皮部分だけを剥ぎとる。その剥ぎ方は、横幅がビク底部の長さに、縦がビクの高さの二倍にあたるようにする。横幅もかなり大きいが、縦はさらに大きく、一本の幹からかなりの大きさの樹皮を剥ぐことになる。全体として縦長の樹皮を剥ぎとったら、縦を真二つになるように折り曲げる。すると、二つ折りされたところがビクの底部となり、剥ぎとられた樹皮の両端はビクの口縁部となる。ビクの底部となった樹皮は固定されるが、口縁部となった両端はそのままでは固定されないため、もともと横方向に丸みをもっていた樹皮は口縁部の両端が相互に丸まって縮まり、両端が重なって長楕円形の口縁が自然にできあがってしまう。口縁部がいちばん細丸く縮まり、底部に向かって少しずつ丸みがなくなったビク容器がたちまち形をなす。あとはビク左右の合わせ目をどうやって埋めるかだが、これも簡単なやり方がある。川藻や苔を取ってこの隙間を埋めてしまえば水を入れてもあまり漏れることはないという。剥ぎ取った樹皮を二つに折るだけで、丸みを回復しようとする樹皮の自然な力がそのままビク容器のかたちをつくってしまう。こんな簡単な容器の作り方があったのである。「カワビク」だけでなく、もっと大きく樹皮を剥いで「背負い」にすることもあった。
 
写真(3)
 
図(3)
 
写真(3)図(3)サワグルミの樹皮で作ったカワビク(大滝村栃木)。
この他同じ方法で大きく剥いで背負いにすることもある
 
 これも牧野植物図鑑によってみると、「さはぐるみ」は一名「かはぐるみ」「ふぢぐるみ」。深山の渓間湿潤地に生ずる落葉喬木で、幹は聳立し、大きいものは高さ二七メートル、径一メートルばかりに達する。和名「沢ぐるみ」はよく山間の陰湿地に生ずるより云う、「かはぐるみ」は山中渓流の辺に生ずるをもって云う、「藤ぐるみ」はその果穂が藤の花穂のように下垂しているからである、などと記されている。
 名久井氏の分類にしたがえば、事例(2)は「樹皮剥離法」の(b)幅広く横に剥いだ樹皮の利用に近いかたちだが、幅が広いうえに縦にはもっと長く剥がなければならないから正確には該当しない。また、(a)の細長く縦に剥いだ樹皮の利用でもない。むしろこれらの分類以前の原初的で単純な樹皮利用のかたちである。
 
◎皮を剥ぐ◎
 事例(3)は、「杉の皮剥きの鞘」図(4)写真(4)参照。昭和三十年以前、杉の木材は山で皮を剥いてシラタ(白太)にして製材所へ出した。鎌とへらを差した鞘を腰に下げ、杉の木の皮を剥ぐときに使用する。この鞘を檜皮で作った。図(4)の事例で作り方を示すと、「くそっ皮(表皮)」をそぎおとして内皮(しろっ皮)を表にだす。これを模作図(5)のように折る。皮を四等分に裂き、裏は三等分にする。まわしの皮は幅二センチメートルほどで、本体と模作図のように鎌を入れるところからはじめ、へらを入れる部分は一つ飛び一目くぐりに編む。底の部分で編みおわり、適当に切って表に見えないように差しこんで止める。裏側は中の二本を重ねて差しこむ。上部は紐を通してずれないように結んで仕上げる。
 
写真(4)
図(4)
 
写真(4)図(4)左から鞘、へら、鎌(皆野町日野沢)
 
図(5)鞘の模作図
 
 事例(4)の「負い篭」図(6)写真(5)は藤皮でつくられている。同じく「くそっ皮」をけずった「しろっ皮」が用いられ、底から四ツ目で編みあげ、縁はあらかじめ編んだものにあて縁し藤皮の紐で組みつけるという最も単純な製作法でできている。蔬菜の収穫やキノコ採りや栗拾いに用いる。事例(3)と(4)は、名久井氏の分類では(a)の細長く縦に剥いだ樹皮の利用のうち「組む」の内に納まる技法といえる。
 
写真(5)藤皮でつくられた負い篭(小鹿野町倉尾日尾)
 
図(6)くそっ皮(表皮)をけずって藤皮の内皮を使う
 
 事例(5)は、「フジッカワ(藤皮)のたいまつ(炬火)」。一九七一年に風布の坂本家を訪れた際に項戴したもので、照明文化研究会『会報』第四号に報告しておいた。図(7)の1は棒状に束ねたもの、2は縄状に撚って仕上げたもの。藤皮は三月末から九月末頃までが皮が剥きやすい。その剥き方は鉈鎌(刃の身が厚く重い鎌)でひとまわり傷をつけ、はじめは爪で剥ぎ、両手の力でひっぱるように三〇センチメートルほど剥いでから、つぎに一方を足で踏み押さえてひきたてるように剥く。剥がれた皮はさらに内側に傷をつけ、表層のくそっ皮と内側のしろ皮の二枚に剥かれる。
 炬火はこのくそっ皮でつくられるもので、棒状のものでは芯にヒノキ(檜)のくそっ皮を入れるばあいもある。長さは七〇〜七五センチメートルほどで、太さは屋外で握りやすいものとする。これを五か所で結んで束ね、上部に一〇センチメートルくらいの孔をつけて、掛けて保存しやすいようにしている。藤皮の炬火、とくに縄状のものは火持ちがとてもよく、降雨時でも容易に消えることがない。山仕事で思わぬ驟雨にみまわれ、岩陰や洞窟で火を起こすとき、檜のくそっ皮をよくもむと繊維がのこる。マッチ一本でもかならず点火でき、火種が作れると坂本さんから聞いた。
 
図(7)藤皮の炬火
 
図(8)藤皮のワラジ
 
 事例(6)は「藤皮のワラジ」図(8)。これはくそっ皮を採った残りの「しろっ皮」でつくる。藤皮でワラジをつくるには、藁よりもさらによく叩いて「しろっ皮」を柔らかくするほうが作業性もよく、仕上がりもきれいになる。なお、藤の「しろっ皮」でつくる縄は極細のものから太めのものまで自在に撚れ、丈夫で事例(1)の漆テンコの手提部などもこれでつくられている。
 
写真(6)新聞に掲載された藤皮製の「秩父古来の勢古姿」
 
 事例(7)は「藤太布(ふじたふ)」写真(6)。この写真は父のスクラップに貼られた新聞記事のもので、実物はない。新聞記事の年月日が不明なのが残念だが、昭和一桁代のものとおもわれる。写真に写っているのは、三峰口に在住し「萬屋引受所」の異名をもっていた菅原一氏。奥秩父の山々を渉猟する登山家であるとともに、埼玉県考古学の草分けの一人として「遺跡地名表」などを発表しているが、同時に秩父鉄道を影森から三峰口まで延長する事業に身命を賭すなど、地域のあらゆる面倒事の仲立ちを果たしたといわれる人だった。その山歩きの出で立ちが藤皮製の「秩父古来の勢古姿」として残されていた。新聞の記事には「勢古姿」としかないが、菅原氏を知っていた父から「これが藤太布だよ」と教えられた。
 文政二(一八一九)年に津田大浄が著わした『遊歴雑記』の現・大滝村の「井戸地」という集落の記述をみると、「此所重々たる山の谷間にして低く外ミな山にて取廻し空をみる事もわつかなれハ 井の中に入るか如くゆへに井戸地といへり 男女ともに藤の皮を水にさらし撚て織たるものを裾みしかに着せり 蝦夷の産のアツシに似て 地合のあらあらしきもの也」とあり、先述の鳥居龍蔵の報告にも「二、三十年以前までは浦山村一般に男女は衣服として藤太布を着用せり」と記されている。かつては秩父の奥山でも、このような藤皮の太織布を常用していたことがわかる。
 このほか秩父で見かけたものに「ケデエ」(シュロの皮でつくられた雨除けの蓑)などがあるが、樹皮製民具で特に注目されるものは他に見当たらない。
 
◎縄文から旧石器時代にまで遡る樹皮採取技法◎
 樹皮製民具の利用は、本来的にいえば山が共有されていて私的所有による制約があまりなく、自由に樹木を利用できた時代に伝承技術として完成されたものとみなされるだろう。名久井氏のいわれるごとく、日本の伝統的樹皮採取法と加工技術の体系をまとめてみると、そのほとんどが縄文の樹皮製遺物にも認められる。ということは、樹皮技術の体系が縄文時代にほとんど完成しており、それ以後はこれを精緻にすることと、新しい用途の登場にみあった技術の適用しか生み出さなかったことを意味している。
 東北のカバ細工のように樹皮をもちいた製品が産業として維持されたところでは長く樹皮製民具が残ったが、樹木の近代所有権が明確となり、樹皮以外の木材利用が主となったところでは、藤蔓などごく一部の樹皮利用だけが残された。
 縄文の樹皮採取技法のなかで未だ発見されていないのは、私がここであげた事例(1)、名久井氏のいう「抜き取り技法」であり、もう一つは「螺旋剥ぎ技法」だという。後者の技術はすこし高度だからなんとも言えないが、「スッポヌケ」「抜き取り」の樹皮技法はかならずあったに違いない。樹木の種ごとの個性と季節的な特性といったものを見つめる始原的な人類のまなざしには、われわれの及びもつかない繊細で鋭い観察力が備わっていたとおもえるからだ。
 長年民具を見つめてきた確信からいえば、竹・蔓・樹皮の組みや編みをふくむ利用技法、獣皮・魚皮などの利用技法のほとんどは縄文時代(新石器時代)よりさらに遡って後期旧石器時代に一次的に完成に達していたのではなかろうか。そんなことを思う。
・・・〈民具学・考古学 埼玉県文化財保護審議会委員〉







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