日本財団 図書館


樹皮容器と土器の文化・・・黒川亮吉
オロチョン族の祭祀で、削りかけで飾られた熊頭骨
(旧モスクワ民族誌博物館蔵)
 
 中国民俗学会副理事長の宋兆麟氏は、四〇年以前に大興安嶺オロチョン族自治区の民俗調査をおこなった。 その成果が昨年(二〇〇一年)七月に『最後の捕猟者』という書物にまとめて公刊されているのを最近入手した。 北京大学で考古学を学び、民俗学と考古学という二つの分野の田野調査にもとづいたその考察には、独自な視点がいくつもふくまれている。
 オロチョン族は新中国となってからは梅花鹿ほかの養鹿場をもち、白菜などの野菜栽培をおこなうなど定住化したが、かつては大興安嶺の林海を遊動して暮らす採集狩猟民だった。林海の獲物は、梅花鹿、ヘラ鹿、ノロ、キバノロ、貂、熊、野猪、狼、オオヤマネコ、カワウソ、野鶏など虎を除く豊かな獣鳥であり、また魚獲りも盛んにおこなった。オロチョン族民具で大切な素材となっている獣皮・魚皮はこれらの獲物からえられたものだが、もうひとつが樺の木の樹皮で、大興安嶺の樹皮民具といえばほとんど樺皮製。あらゆる容器に使われ、家を覆う葺皮にも、川を移動する皮舟にもなる。
 樹皮布の呼称として東南アジアではtapa系の名辞が分布していて、中国の古典にも「榻布」「答布」「都布」などの名称がある。凌純聲『樹皮布印文陶與造紙印刷術発明』(中央研究院民族学研究所専刊之三、民国五二年〈一九六三〉)によれば、tapa系の名辞は苗族語にその根源があるとしている。一方、樹皮布にkapa系の名辞をもつものがあり、Laufer氏はこれを突厥語系とするが、凌純聲氏はkapa系はタイ族語あるいはヤオ族語に根源をもち、古典にも「布」「構布」「穀布」の名であらわれ、すなわち日本の「楮拷布」がこれにあたるとしている。樺は中国標準語ではhuaで、日本語のように「カバ」とは呼ばない。オロチョンなど北方狩猟民が樹皮布をどう呼んできたかをしらないので教えてほしいが、「楮拷布」とともに「樺布」もkapa系の樹皮布呼称だったのではなかろうか。そうであれば、Laufer氏が突厥語系としたのもあながち誤りではなく、樹皮布呼称に南方系とともに北方系ないし西方系の言葉があったことを示唆するかもしれない。言語学の専門家の考察をぜひ聞きたいとおもう。
 敲打して仕上げられた樺皮は軽くて運ぶに容易だから、獣皮・魚皮とともに林海を遊動する人々にとっては最適の素材であった。移動にも便利な金属の鍋が入ってきて煮炊容器に用いられるようになったが、それ以前の生活では煮沸に欠かせない土器(中国では陶器と呼ぶ)は使われなかったという。サンカの焼石風呂と同じように熱した石を樺皮容器に入れて煮沸するのが彼らの方法だったから、重くて壊れやすい土器を必要としなかった。
 土器は新石器時代の草創期、およそ一六、○○○年〜一二、○○○年前頃の間に誕生したことが、日本、シベリア、中国などの発掘調査からしだい明らかになりつつある。樹皮容器にくらべたとき、陶器は直接煮炊具として火の上に載せられる。粘土の可塑性と焼成後の保水性・耐火性が陶器製作の発見と利用を促したいちばんの特性といえる。欠点は樹皮や獣皮にくらべて重くて壊れやすく、移動に用いにくい点にある。粘土の安定した採取もあわせると、定住民の生活用具として最もふさわしいものだった。
 後期旧石器時代に獣皮・魚皮、樹皮の利用法はすでに完成していたが、北方の遊動採集狩猟民は新石器時代に入っても長いあいだ土器製作に携わらず、樺皮容器などをもって足りるとしてきた。アムール川流域の遺跡から出土した世界最古クラスの土器文化はおよそ一三、○○○年前に遡り、漁労民の生活用具だったとの解釈もされている。だが歴博国際シンポジウムに出席したセルゲイ・V・アルキン(ノボシビルスク州立大学考古民族研究所)の講演にしたがえば、アムール川流域が最古の土器文化の中心であったとは言いがたいという。土器が生まれたのは定住の初期農耕文化の中心地においてだったはずであり、その中心地は中国東北部南部から華北にかけてだったのではないかとする。河北省于家溝遺跡で約一一、○○○年前に遡る土器が発見され、日本列島と同じく大陸でも土器草創期の文化が面としての広がりをみせはじめてきたからだ。
 宋兆麟氏の著作にもどると、中国におこった最初の陶器(土器)文化はすべて平底で、煮炊に用いるには炉に三つの石を置いた「三足炉」であったろうとする。のちに三足・三袋足が陶器についた鼎・鬲などが造られ、各地に波及するようになった。樹皮容器は陶器製作に先立つ「最古老の文化」であり、樺皮容器の形態を模した陶器や、樺皮に施した文様を写した陶器などが東北部の考古文化にはみられるという。このあたりをもっと深く追尋してみると、採集狩猟民の文化と初期農耕民の文化との接点がもっとわかるようになってくるだろう。
 北海道では世界最古とされる九〇〇〇年前の漆遺物が出土しており、樹皮だけでなく初期的な樹液の利用は旧石器時代に遡るとさえ考えられる。日本の縄文文化は長いあいだ採集狩猟民の文化とされてきたが、ほとんど遺物として残らない樹皮・樹液文化の豊富さがうかがえる一方で、世界でも稀にみる大量の土器製作をおこなったことのわかる考古文化が出現している。縄文期にこの二つの文化が、生活民具の機能としてどのような相関の構造をもったのかについてこれまで十分な検討がなされてきたといえるのだろうか。宋氏の本を見ながらそんなことをおもった。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION