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朴の木スッポヌケとさわぐるみの皮魚籠(ビク) 秩父山村の樹皮製民具・・・小林茂
◎秩父の樹皮製民具◎
 私の父(小林拠英)は大正十五年頃から民俗資料の収集を始め、戦後はことに系統立った収集に熱心だったので、それらを引き継いだときには数千点に及ぶコレクションになっていた。考古学を学んだ私は系統ごとの整理の必要に迫られ、とりあえず「秩父の山村生産用具」「荒川水系の漁労用具」について目録作成と整理・研究をおこなった。この二つの収集民具は昭和四十二年と四十六年に文化庁より「重要民俗資料」の指定を受けて秩父郡皆野町に寄託し、昭和五十六年にはコレクションを主体とした農山村具展示館と収蔵庫二棟ができ、一般に公開されている。
 重要民俗資料の指定を受けた「秩父の山村生産用具」は主として昭和二十五年頃から四十一年頃までに収集した二三八点で、先山・樵・木挽・植林・木屋・運搬具・筏・木地師・炭焼・木臼彫・木箸屋・板割り・漆・狩猟の一四項目にわたっている。
 この中で今回のテーマにかなう秩父山村の樹皮製民具について調べてみるとわずかに数点しかなく、奥秩父は深い森が連なると言いながら、山村に残る樹皮製民具の少なさにいささかがっかりもした。東北の山村に濃厚に残っている樹皮製民具が、東京に近い秩父山地にはあまり残されていない。
 ただ指定を受けたのちも折りに触れて調査・収集を重ねてきた中に、樹皮製民具の研究に重要とおもわれる事例があったので、これを紹介しておきたい。
 
◎継目のない桶◎
 事例(1)は漆掻きに使われた道具。写真(1)の小さい方が漆テンコで、大きい方が漆桶。漆樹にあらかじめ溝切り鎌で傷をつけておき、数日後、掻き傷から沁みだしている乳白色の液を鎌ですばやくこそげとり、テンコに入れる。一日何十本という木を掻いてまわり、ようやくテンコ一個に生漆が溜まってくる。テンコに入った生漆は帰宅後、漆桶に移す。生漆は空気に当たると乳白色の液が茶色に変わり、しまいに黒くなって固まる。そこで空気に触れさせないように渋紙を生漆の上に貼りつめておく。
 漆テンコ(東北地方ではタカッポなどという)や漆桶は全国各地に残っているが、ほとんどの地域で漆掻きをやめてしまったので数が少なくなった。茶花の花器に転用されて人気が高く、古くて良いものはたいへんに高価だという。岩手県の浄法寺町周辺は現在残された国産漆最大の産地としてしられる。瀬戸内寂聴さんが住職をなさっている浄法寺町の天台寺に行った際、資料館で漆関係資料を見ることができた。とてもよい漆容器が残されていたが、おもしろいと思ったのはその材料が秩父のものと同じ朴(ほう)の木の樹皮を使っていたことだ。各地の漆テンコ・漆桶を見ると、朴の木だけでなくケヤキや杉の樹皮をもちいたものもあるが、多くは朴の木が使われている。なぜ朴の木が多く使われたのか、その時にはわからなかった。
 
写真(1) 
スッポヌケで作った漆テンコ(左)と漆桶(右・小鹿野町倉尾日尾)
 
図(1)漆桶(右・南氏)と漆テンコ(左・長瀞町長瀞)
 
 漆テンコや漆桶でもう一つ、長年わからなかったことがある。多くのテンコや漆桶には器の外周をつくる樹皮に継目がある。幅広く横に剥いだ樹皮をすこし重ねて繋いだのち漆で固めてあるから見えにくいが、よく見るとちゃんと継目のあることがわかる。ところが父が収集した容器のうちに、写真(1)の漆テンコ・漆桶のような継目のないものがあり、どうやってつくったのかが長い間わからなかった。
 平成元年におこなった合角ダム水没地域総合調査の際に、小鹿野町合角の宮本正雄さんから「朴の木のスッポヌケ」でつくるのだとはじめて教えてもらい、長年の疑問がいっきょに解けて目から鱗の思いを深くした。
 深緑の頃の樹幹は、樹皮と芯の木質部との結合が水の吸い上げのためゆるくなっている。とくに朴の木がいちじるしいのだという。そこで適切な朴の木を五寸ほどに輪切りにし、木槌でまんべんなく軽く樹皮を叩いたのち、こんどは輪切りの切り口を木槌でポンポンポンと叩くと、生々しい木質部だけがすっぽり押しだされてくる。木質部を除いた樹皮の輪に、残った木質部で底をつくって嵌めれば、漆テンコ・漆桶のかたちができあがる。接着剤ともなる漆で底を固着し、藤蔓などでたがを捲き、紐で下げられるようにすれば完成である。写真(2)は「スッポヌケ」の作業過程を実演してもらったものである。
 
写真(2)スッポヌケの作業
 
図(2)スッポヌケの図面
 
 朴の木の季節的な特性をよく観察できていなければ、このような器はつくれない。深緑の山にのぼって朴の木の枝を伐り、輪切りの枝幹を叩くと、皮を取られたみずみずしい裸の木質部が曝される。そこからすっぽりととれた継目のない樹皮の器であり、そこには、自然の性と人間の原始の営みが直截なすがたで形を胎むありようが見えるような気にさえなって、ひどく興奮した。
 朴の木(ホウノキ)は牧野植物図鑑では「ほほのき」とあり、古名は「ほほがしはのき」「ほほがしは」。山地や平地の林中に生ずる落葉大喬木で、幹の高さ二〇メートル、直径一メートルにも達し、直聳して疎らに分枝する。材は柔緻で古来刀鞘に商用し、また版木などに用いられ、葉は食物を包むに使用する、「ほほがしは」の古名は食用に包むところから生まれた名、とある。まっすぐに直聳する大樹で、枝もまっすぐに伸びるから、まっすぐの樹皮部分をすっぽりと叩き出すのにはもってこいの樹木といえよう。どんな樹木も春先から深緑の頃は水をどんどん吸い上げて成長し、樹皮の内側はゆるく柔らかくなっているが、朴の木はかくべつなようだ。各地の漆テンコ・漆桶に朴の木が多いのは、たとえ継目のある事例がほとんどにしても、この朴の木の季節的特性が昔からよく知られたものであったからではないか。この民俗知識を「朴の木のスッポヌケ」として伝承してきた事例ははじめてしられたものであろう。
 
◎樹皮の抜き取り技法◎
 その後、名久井文明氏の「北国の樹皮文化」(一九九一年 岩手県立博物館)、『樹皮の文化史』(一九九九年 吉川弘文館)を知って、同じような「抜き取りの技法」がヤマザクラやオニグルミにもあることを知った。氏による日本の樹皮文化研究はほとんど唯一といってよいほどの仕事であり、考古学者でもある氏にしか為しえなかった優れた労作だろう。これらの仕事を拝見すると、自分が樹皮文化の一端に触れるにすぎないことがわかる。
 名久井氏の論にしたがえば、伝統的樹皮利用法には大別して、(1)樹皮剥離法でえた樹皮の利用技術と、(2)抜き取り法で得た樹皮の利用技術の二つがあり、前者にはさらに、(a)細長く縦に剥いだ樹皮の利用、(b)幅広く横に剥いだ樹皮の利用、(c)螺旋に剥いだ樹皮の利用の三つがあるとしている。これらを並列して大きく四つの樹皮利用法があるといってもよいが、(2)の抜き取り法が特異であるため、大分類の一つとしているところがおもしろい。(2)についてあげている事例をみると、ヤマザクラの樹皮が、牛方が腰に着けた切り刃の鞘・鋤鍬の柄の付け根(輪状の樹皮を別物にはめる)や、やすり入れ筒・塩入れ筒(底を入れて筒状にする)などに使われている。樹皮抜き取り法の実演を川井村の水無辰巳さんにお願いしており、片手で握ることができる程度のサクラの枝先側を鋸で切断し、端から一〇センチメートルぐらいのところを鋸で切りまわす。枝先側の余の部分を左手にもち、切断部から鋸で切りまわしたところまでを台の上に置いて、木の枝で静かに叩いてまわす。まんべんなくおこなったのち、先端部をもった左手と叩かれた樹皮部をもった右手とを、タオルを絞るように逆向きにねじる。叩きとねじりを繰り返すうち、樹皮部だけがスルリとまわって抜けるようになる。説明を私なりに理解すると、このようにおこなうのだろう。
 秩父山地でもかつては、鉈の鞘の製作にサクラの樹皮を使っていて、鞘の寸法に合わせるのがなかなか大変だったと聞いている。鳥居龍蔵の「武蔵秩父地方に於ける人類学的旅行」(『東京人類学会雑誌』一〇巻一一〇号、明治二十八年五月)の浦山村の項に「木の鞘は恰かもアイヌのtashiroの鞘の如く両面より薄き木片を附け合せ、桜の皮を以て綴ぢたるものなり」として図が描かれている。秩父にも名久井氏のいうサクラ樹皮の抜き取り技法があったのであろう。
 秩父の「朴の木のスッポヌケ」が両端を切断しておこなうのにたいして、岩手のサクラの樹皮抜き取り法では片端のみ切断し、もう一方の端は鋸で切りまわして切断していないのが興味深い。オニグルミでもおこなわれるらしいが、「スッポヌケ」のような民俗知識の名称はないようだ。この方法でもう一つ大切なのは、刃の鞘や鋤鍬の柄などあらかじめ装着する対象物の内径が決まっている場合の計測である。あらかじめ対象物に嵌めこむ場所を糸で一巻きして必要な樹皮の輪の円周を計っておき、目星をつけたサクラの枝にその糸をまわしてみて、過不足のない太さの部分を見つけだすのだという。このように装着する対象物があるばあいの抜き取り法は精緻なものであり、継目のないヤマザクラ樹皮で蔽われた刃の鞘はとても美しい。やすり入れ筒・塩入れ筒や漆容器のように樹皮だけで容器をつくるばあいには計測を必要としない。
 名久井氏がこのような抜き取り技法について、「いずれも片手で握ることができる太さまでで、それ以上太い幹から樹皮を抜く例は日本の近現代民俗例には少ないようである」としたのは、片側のみを輪切りにする岩手の技法を全てとみなしていたからであろう。秩父の「朴の木のスッポヌケ」のようなもっと簡単な技法を用いれば、片手で握れる以上の直径の樹皮抜き取りが容易にできることがわかる。ただし、朴の木による抜き取りを深緑時におこなうといった条件が欠かせない。サクラ樹皮抜き取りも春から初夏にかけておこなうというから、この技法には季節の条件が共通に不可欠となっている。また、サクラのように薄いけれどもすべすべとして美しい樹皮には、秩父の技法は適さないのかもしれない。







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