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◎三、縄文時代の樹皮文化◎
写真(75)
 
写真(76)
 
(75)縄文時代の樹皮製品断片(是川遺跡出土)
(76)縄文時代の樹皮製品(押出遺跡出土)
 
 植物性素材で製作された遺物は全国各地の遺跡から発見されているが、樹皮製の遺物となるとほとんどが断片の状態でしか見いだされず、全体の形状が判る例はまことに少ない。そんな制約の中から、かろうじて知られる当時の樹皮利用の文化を探ってみよう。
 
[1]幅広く取った樹皮の利用
 
 是川遺跡(青森県)から発見された「朱漆文様入り樹皮製品残欠」は元の形を推測するのが難しいほど細かくちぎれている。その中の五破片の直線的な縁辺に整然と並んで残っている貫通孔は綴り合わせた痕跡と考えられている。すなわち是川人が幅広く剥いだ樹皮を綴り合わせ、何らかの器物を製作する技術を持っていたことは間違いない。そのことは同遺跡から出土した「樹皮製品残欠」写真(75)からもいえる。押出遺跡(山形県)からはやや幅の広い樹皮を二つ折りにして一部分を綴った小型の樹皮製品が発見されている写真(76)。チカモリ遺跡(石川県)から発見された小さな樹皮製品からは、幅のある樹皮を曲げて輪にする技術がうかがわれる(図(1))。忍路土場遺跡(北海道)から発掘された樹皮製容器は、長方形のやや幅広い樹皮の木口側の両端にひだを作る形で角を引き寄せ、上に起こして製作されている写真(77)。なおこの遺跡からは「カンバ類の樹皮」が相当数発掘されており、中には八五センチの長さの筒形に丸まったものもあるという。
 以上の例から縄文人は横剥ぎ型剥離法によって幅広い樹皮を手に入れたことが判る。彼らはそれを綴って器物を作ったし、樹皮の丸まろうとする性質も利用した。樹皮の一枚皮に手を加えて水の漏れない容器も簡単に作ることができたのである。
 
[2]細長く取った樹皮の利用
 
 鳥浜貝塚(福井県)からは石斧を柄に固定するために使われた樹皮テープが残る石斧柄写真(78)や、半分に割いた細いタケかカヤのような材を束ねるように樹皮テープを巻いたものが発掘されている写真(79)。さらにこの遺跡からはさまざまな太さの糸、縄類が出土しており、その中には樹皮を素材とした例があるらしい。中山遺跡(秋田県)からは湾曲した細い木にスギの樹皮を螺旋に巻いたものと、枝付きの葉を束ねるようにしてスギの樹皮を巻いた鍋敷き状の製品が発掘されている(図(2))。是川遺跡からは「樹皮製撚糸」のほか「樹皮製編み物」とされる断片も発見されている。チカモリ遺跡からはいかにも巻き取られた状態の帯紐状の樹皮が発掘されている(図(3))。
 これらの例から縄文人は縦剥ぎ型剥離法によって細長い状態の樹皮や蔓皮を得たことが判る。彼らはそれを対象物に巻いたり、撚って糸や縄にしたりしたほか、編み物の材料にした。
 
図(1)
 
図(2)
 
図(3)
 
写真(77)
 
写真(78)
 
写真(79)
 
写真(80)上
 
写真(80)下
 
図(1)縄文時代の樹皮製品(チカモリ遺跡出土)
図(2)縄文時代の樹皮製品(中山遺跡出土)
図(3)縄文時代の樹皮素材(チカモリ遺跡出土)
(77)縄文時代の樹皮製容器(忍路土場遺跡出土)
(78)樹皮を巻いた石斧柄(鳥浜貝塚出土)
(79)樹皮を巻いた束(鳥浜貝塚出土)
(80)カールしたヤマザクラの表皮(上・是川遺跡出土 下・実験的に剥いだ例)
 
[3]サクラの樹皮テープの利用
 
 亀ケ岡遺跡(青森県)から発見されたサクラの樹皮テープが巻かれた石棒は古くから有名である。樹皮を巻いた弓は全国各地の縄文時代の多くの遺跡から発見されているが、その樹皮の多くはサクラだったようである。弓に巻かれたサクラの樹皮の肌はたいていきめが細かいから比較的若い幹や枝から剥がれたことがうかがわれる。前にも書いたようにサクラの樹皮は縦に剥ぐことができないものだから、比較的若い幹や枝から少しでも長く樹皮を取ろうと思ったら螺旋に剥ぐしかなかったはずである。
 縄文人が螺旋剥ぎ型剥離法で樹皮を剥いだ確かな証拠を得たのは岩手県宮古市内のある発掘現場での実験からであった。発掘予定区域内に生えているために伐られることになったヤマザクラがあり、その樹皮を剥ぐ機会を得た。若い枝に螺旋型剥離法を試みたところ剥いだ端から樹皮がカールした写真(80)下)。どのような条件下でカールするのか判らないのだが、断言できることはテープ状に採ったサクラの樹皮がカールするのは細い枝の表皮を螺旋剥ぎ型剥離法によって剥いだ場合に限られるということである。カールしたサクラの表皮が螺旋に剥がれたことを証することは今も昔も変わらないはずだから、もしも遺跡からそんなサクラの表皮が出土したら、それは当時の人がそれを螺旋剥ぎの技法で得たことを物語る証拠にほかならない。そこでこれまでの出土例を確かめてみたところ是川遺跡から発見されていることが判った写真(80)上)。この物証により縄文時代人がサクラの表皮を螺旋剥ぎ型剥離法で獲得する技術を身につけていたことが初めて明らかになった。
 
[4]樹皮を輪の状態で獲得する抜き取り法
 
 抜き取り法が縄文時代にも存在したのかどうか、私が目にした範囲内では確認できていない。もしも直径の小さな対象に巡らされた樹皮に継ぎ目がない遺物が検出されたら、その樹皮は抜き取り法によって獲得された可能性が大きい。
 以上のように見てくると縄文時代の樹皮採取法には「縦剥ぎ型剥離法」、「横剥ぎ型剥離法」および「螺旋剥ぎ型剥離法」があったことは間違いない。すなわち近現代民俗例と比較してみると、現在のところ「抜き取り法」が確認されないだけで他はよく類似しているのである。縄文人の生活カレンダーの中にも民俗例のように樹皮を剥ぐ季節があり、彼らもまたどんなものを作ろうとするかによって樹種や樹皮獲得の方法を決めたのであろう。またそれぞれの方法で獲得した樹皮の性質をうまく利用することも民俗例とよく共通しているようである。縄文時代と近現代民俗例との間にみられる、このような樹皮獲得法や利用に関わる共通性についてはどのように理解したらよいのだろうか。
 このことについて述べる前に、現代の樹皮利用例を見ておこう。







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