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◎路地裏でのセッション◎
河野・・・じつはあの時、ぼくはインドは、四度目だったわけなのですが、日数としては最も短い、実質十日の旅行でして、それはもともと彼にとって、インド行きのスケジュールのため、空けた日数だったわけです。山下洋輔の当時のトリオはあの時、ボンベイのジャズ・フェスティバルへ、渡辺貞夫カルテッットと共に、一度は招待されたのですが、上流階級の主催者に、あいつはピアノをぶっ壊すぞという、噂が届いたためかどうか、突然キャンセルになってしまった。インドを楽しみにしていたので、かなりがっかりしていましてね。そこで何ならプライベートに出掛けてみることにしませんかと、彼を誘ってみたわけです。そういう事情を聞きつけると、彼が番組を持っていた某FMラジオ局から、それなら現地のサウンドをいろいろ録って来てくれないかと、性能のいい録音機を貸与させられることになりましたし、私の方は私の方で、ある出版社からの依頼で、何ならその機械も利用して、向こうで二人でいろいろしゃべり、現地の連中にも話し掛けて、河野さん自身が写真も撮って、『インド即興旅行=ヤマシタ・コーノ・ライブ・イン・インディア』という単行本を作ろうという話が、とんとんと決まってしまったのです。
田村・・・ああ、それがあの録音機ですか。いきなりマイクを突きつけられて、私もかなり驚きましたが。
河野・・・あのインタビューも素人写真のポートレイトも、しっかり載せさせていただきました。非常に短い期間ながら、なるべく大地を移動しようと、途中、車をチャーターしたり、ともあれベナレスに到着して、早朝ガートという沐浴階段へ山下さんと二人で出てみると、本職の写真家らしき人物が、三脚などをがっちり立てて、対岸の大砂丘から、昇って来る朝日をじっと待ち続けている。
田村・・・ガンジスは聖なる河ですし、ベナレスはヒンドゥー教最大の聖地で、河の対岸から昇る朝日を、巡礼でやって来たたくさんの信者が拝んでから沐浴する。私はその時間帯に合わせて、何日も河岸に通っていました。
河野・・・じつはあの後、田村さんから、面白い提案を受けたんでしたね。出発直前の時間でしたが、われわれの泊まっていたホテルに、オートリキシャで乗り着けて来て、もし少しでも時間があるなら場所はこちらで案内するから、道端で二人で音楽をやって、そいつを撮らせてくれないかと。
田村・・・観光客はあまり来ないガンジス近くの路地裏です。あの時買ったばかりの笛とか太鼓を持っているのを見てましたから。
ペナーレスの街角で、インド楽器でセッションをするミュージシャンの山下洋輔と作家の河野典生。 楽器売リのおじさんがセッションに加わり、演奏が中断すると楽器を売りつけてくる。
 
河野・・・現地の人がよく戸外で寝ている籐のベッドのようなものに座って、素朴な生木の両面太鼓や竹笛の類を取っかえながら、聞き覚えた民族音楽風のやつをいきなり始めてみたわけです。小生が下手ということもあって、だんだんフリージャズ風になってね。みるみるうちに二、三十人の人だかりです。いきなり私の頭の上から、例の二重音のする蛇使いの笛の音が、ビャーッと鳴ってくる。振りあおぐと、音を聞き付けて来たらしい大量の笛を刀狩りの弁慶のように担いだ笛売りの男でしてね。こっちの方がいい音がするぞと、デモンストレーションで強引に加わって来たわけです。田村さんは人だかりの後ろのリキシャの上に立って、撮り続けていたわけですが、ちょっと演奏がとぎれると、すかさず笛売りの親父は熱心に売り付けて来る。やむなく延々と演奏を続け、結局、三十分近くも、時間ぎりぎりまで続けました。帰国してからいただいたあの時のすばらしい写真は、単行本にも入れさせていただき、文庫版ではカバーにも使用させていただきましたが、じつは、すっかり癖になって、どの町にも数軒固まっている民族楽器製作修理屋の店頭では、かならず、店の連中とセッションをやり、これは出来ればやってみようという当初の目的でもありましたが、アグラとニューデリーのホテルでは、あそこにいるのは日本のフェイマス・ジャズ・ピアニストだがと、私がマネージャー役をやって、客の少ない時間を狙って、突発的な日印ジャズメンのジャム・セッションを決行させてしまいました。帰国後も本来はサックス奏者の坂田明や、評論家の平岡正明などの彼の仲間に、私の家族なども加わって、録音したやつに点数をつけたり、大笑いしたりしながらの民族音楽風フリー・セッションはしばらくの間続きました。
田村・・・何年か後、編集者と一緒に河野さんのお宅に伺うと、応接間には大変な数の楽器類がありましたね。
河野・・・百本ぐらいある各地の簡単な笛、ラッパ類を除けば、弦楽器、打楽器などで五十種類はありますかね。四分の一がアフリカ、中南米、ビルマ、タイなどのもの、残りが主としてバリ島で買ったインドネシアのガムラン音楽の楽器類と、一番多いインド亜大陸各国各地方で手に入れた品々ということになります。ガムランは鉦とか鉄琴風のものが多く、当然重量オーバーで持ち帰る際が大変でね。長さが一メートル三〇もあるインドの高級弦楽器サロッドなどは、機内をずっと抱えて来る羽目になったりもしました。
 
◎ガンガーの写真◎
河野・・・ところで、あの時の田村さんは、ガンジス河をテーマにした写真集の取材中でしたね。あれはすばらしい作品集で、ガンジス河の源流から、中流のベナレスを経て、河口付近の大中州の島に百万人前後もの信者が集まる祭り、ガンガ・サガール・メラの圧倒的な迫力の光景まで、すべて見事に捉えられています。インド人の写真家ラグビール・シンの撮った『GANGA』という同じような企画の写真集も持っていますが、あれはもちろん御存知ですよね。
田村・・・もちろん、あれは有名ですから。彼はフランス人と結婚して、香港をべースにインドをテーマとする仕事をやっていた人物です。じつは彼と同世代のラグー・ライという写真家がいますが、二人はインドの二大巨匠。二人ともドキュメンタリー志向の写真家ですが、まったく違ったインドの捉え方をします。
河野・・・そうですか。その作品はぜひ見たいですね。じつはシンの話をしたのは、やはり田村さんとシンの写真集が、最初は似通っているように見えながら、はっきり異質の印象が残る。そのことに興味があったからです。河口付近のページに至ると、シンもやはり圧倒的なサガール島の大群衆を撮っています。しかし同時に突然のように、巨大都市カルカッタのハウラー大橋のラッシュアワーの大俯瞰写真が出てくるのです。百年後のレインボー・ブリッジのような古びた鉄骨の橋に、バス、トラック、リキシャなど、あらゆる乗り物と歩道部分の大群衆がひしめいています。まさしく、これも現実のインドですが、われわれの関心はそういう日々移ろう現実の様相にはなく、もっと別のものを見ようとしてるんですよね。使用カメラや印刷など技術面を別にしても、田村さんの写真集は、同じ場面を撮っていても圧倒的に鮮明であり、構図の方も力強い。いつだったか、写真家助手としての出発をされる以前は、画家志望だったと伺いましたが、砂の上で占い師と向き合って座る人と、背後を歩く人々がぶれて映っているベナレスの写真(19)、あれなどはまさしく絵画であって、そういう田村さんの作家性を、改めて強く感じたのは、やはりおよそ十数年前の大々的な写真展『ヒマラヤ曼茶羅の道』でした。
田村・・・あれはチベット文化圏テーマの作品展で、インドのラダックから、ネパール、シッキム、ブータンと、ヒマラヤに沿っての取材でした。
河野・・・いわゆるチベット仏教教圏ですよね。同じ仏教系でありながら、大きな仮面をかぶった祭りとか、女たちの衣装とかアクセサリーとか、色彩の力がじつにすばらしいですよね。世界の少数民族にじつは共通することなんですが、苛酷な自然に対抗するにはこれしかないのだといわんばかりに、強烈な原色の衣装や大量の装飾品を日常的に付けてますよね。そこにある根元的な力を田村さんは的確に捉えている。写真家の仕事は一瞬を切り取ることで、そこで凍結された時間を、見る者がそれぞれのイメージによってそれぞれのかたちに解かして行く。東松照明などはそういいますが、今では寺院の奥にしまい込まれて、弱々しい灯明の光などで、くすんだかたちでしか見られない古い宗教画などを、強い照明や発色の技術によって、それが描かれた時代同様に、むしろそれ以上、強力なものとして、見事に蘇らせているでしょう。つまり時間を停めるのではなく、何百年、何千年もの時間を一挙に現代に引き戻してしまう。そういう作用も、写真家は作り出すわけですよね。ラダックのリキル寺院の十一面観音曼茶羅図を鮮やかに蘇らせた写真を、そのままのかたちで杉浦康平さんデザインのポスターにしたやつ。あれは、いまでも、私の家に飾ってあります。近くのピカソのリトグラフなんか、すっかり色槌せて見えてましてね。
田村・・・昨年二〇〇一年に、十年ぶりにインドに行ってみました。都会ではピザハットやマクドナルドが出来、若い娘のジーパン姿などが見られましたが、農村社会は全く変わらず、何となくほっとしました。相変わらず祭りは年中やっていましたね。河野さんも十年ほど、行かれていないとのことでしたが。
河野・・・そうですね。遠目に見れば、その間も、国家としてのイン・パ両国は、相変らず核やミサイルで対峙してますし、ネパールでは、マオイストのゲリラが出没する現実がありますが、派手な祭りの音楽のある、田村さんのお好きなケララ州などの南インドと、ネパール、パタン・シティの舐園祭の原型のような、巨大な針葉樹を立てた山車の出る、「ラト・マチェンドラ・ナート」といいましたか、あのすばらしい祭りの雰囲気、それらはぜひ、もう一度体験してみたいですね。日本の神社仏閣の幽玄とか、痩せこけたキリスト像とは対極的な、力強い神と人間との交流が、そこにははっきりとありますからね。ま、岡本太郎のようなことをいっているわけなのですが。(笑)
 
◎構成・・・河野典生
 
田村仁(たむらひとし)
 一九四二年、群馬県生れ。写真家。三十数年に亙りアジアの全域で宗教美術や生活文化の写真取材を続けている。第三回アジア・太平洋賞受賞。著書に『ヒマラヤ仏教王国(全二巻)(三省堂)『密林の王土・アンコール』(恒文社)など多数。
河野典生(こうのてんせい)
 一九三五年生まれ。作家・代表著作『殺意という名の家畜』(推理作家協会賞)『明日こそ鳥は羽ばたく』(角川小説賞)『ペインティングナイフの群像』ほか。







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