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◎ダライ・ラマの求心力◎
野町・・・ダライ・ラマにインタビューをさせてもらおうと思い、今年一月ブッダガヤに行ってきましたが、残念なことに法王が体調を崩し会えませんでした。カーラチャクラ大法会があって十数万人集まっていましたが法会はキャンセル、一年先に延期されました。大半はチベット人ですが、近隣では、韓国、ロシア、台湾からの参加者も相当いました。それに白人が三千人くらい。今では西欧で仏教といえばチベット仏教なんですね。中国に侵略されたためにダライ・ラマがインドに逃れ、そこからチベット仏教は世界に拡がったわけです。ダライ・ラマの魅力が大きなキーになっていると思います。チベット的価値観を結集した輪廻転生を地で行っているダライ・ラマが、世界に受け入れられている。今、宗教家でこれだけの人間的魅力を発している人はいないんじゃないのかな。ローマ法王にしても、二千年続いた権力の項点ですからまた別のものでしょうね。精神性という面ではダライ・ラマでしょうね。環境問題などでも頻繁に発言していますが、ほんとうに説得力がある。チベットという極めてデリケートな自然のなかで培われた生命観が、彼の言葉のバックボーンなんでしょうね。
北村・・・ダライ・ラマ、一九八九年に亡くなったパンチェン・ラマ、数年前インドヘ亡命したカルマッパ一七世にしても、転生霊童ですよね。先代の生まれ変わりとして小さい時に選ばれ、徹底した英才教育によって育てられた。カルマッパ一七世は、中国とダライ・ラマの両方に初めて公認された活仏だったわけですが、就任して一年目の一九九三年の夏に、チベット高原で会いしました。眼光が鋭く、聡明な印象はありましたが、まだ粗野で草原を走り回っていた方が似合うような遊牧民アプガ君という感じでした。その彼に周辺の僧侶がいろんな教育をしていました。それから六年後に、亡命したインドでインタビューを受けている姿を見たら、ほんとうに立派に、凛々しく育っている。
野町・・・カルマパもブッダガヤに来ていました。年とともにカリスマ性が身についているという印象でした。
北村・・・ダライ・ラマも二歳の時、霊童捜しの高僧からテストを受けた。一三世の生まれ変わりとして四歳半で正式に認定されると徹底的に教育を受けます。彼が世界を語る時の全体を見据える知と力にびっくりします。
野町・・・私もダライ・ラマの生まれたアムドの村に行きましたが、乾燥した黄土高原の山の上です。当時とほとんど変わらない寂れた村です。まったく未知数の農民の子を、生まれ変わりと認知して英才教育であれだけの人格に創り上げてしまう。その文化の蓄積たるや凄いことですよ。
北村・・・野町さんは、ダライ・ラマにインタビューまでしていますが、お会いになった感じはどうですか。
野町・・・彼は実にチャーミングです。そして率直ですね。霊童認定に際して、先代の持ち物と偽物を目の前に並べられテストを受けたときの思い出など聞いてみたんですが、幼少のこととて一切覚えていない、ただ一三世の精神的継承者であることはつねに自覚している、という話でした。
北村・・・ダライ・ラマは、チベットの歴史そのものを深いところで体現した人です。だから世界に向けてメッセージできる。しかし、彼の体現と行動は、彼個人の力だけで熟成されて出てきたものではない。たとえば、一九五九年にラサから逃げるときに、ネチューンというシャーマンの神託を受けています。ネチューンは、チベットという土地の精霊、土着神です。ダライ・ラマを守る護法神として常に一緒にいます。ダライ・ラマは、重要な決断が必要なときは、神懸かったネチューンの意見を聞くのです。ネチューンはダライ・ラマと一緒に亡命しましたが本人は亡くなり、今は次の世代に転生して引き継がれています。私は若いネチューンに会いましたが、亡命の時の話は、まったく自分の体験のように話してくれるのです。シャーマンとダライ・ラマとの結びつきは、一見奇異に思えるのですが、ダライ・ラマは、チベットの土地の精霊を自分のなかに受け入れているのです。だから、判断できるのです。ダライ・ラマは、チベット自身です。チベットの光の部分と闇の部分、人間の不合理な部分と合理的な部分の両方を兼ね備えた存在です。
野町・・・ネチューンは今も行動を共にしているんです。ブッダガヤでの法会中止も、最終的にはネチューンの忠告だったと聞きました。
北村・・・五〇〇〇メートルの峠を越え、ダライ・ラマに会いに行く人がいますが、今でも人をひきつける力は何でしょうか。
野町・・・ダライ・ラマはチベットの聖なるもの、悲劇もすべて体現しているわけです。チベット人たちは亡命チベット政府が流すラジオ放送を聞いていますし、法会のテープなども秘密に行き渡っています。中国がなんと誹謗しようが、誹謗すればするほどダライ・ラマの存在は大きくなっていく。ブッダガヤで倒れましたでしょう。彼がチベット民族の重荷を背負って一人で歩いてくれていた。誰もがそれに甘えていたということにみんな目が覚めたはずです。ダライ・ラマが亡くなったとすれば、中国は、次のダライ・ラマ転生者がカリスマ性を得るまでの、その先二〇年間のブランクを利用してチベット懐柔にかかることは目に見えています。亡命チベット社会は、世界で一番成功した難民社会といわれています。確かにダライ・ラマという中軸があったからです。
北村・・・野町さんは、チベット以外の興味はどこですか。
野町・・・最初にサハラから取材をはじめたんですが、私には乾いた土地が合っているようです。アフリカも南の熱帯地方はあまり興味ないですね。農民よりも遊牧民の世界ですか。どちらかというと閉鎖的で、自然と対時してギリギリのところで生きているその生き様に惹かれるんです。私たちの世代は、古い日本的なしがらみをどんどん捨てて、効率よく経済を伸ばしてゆけばその先にパラダイスがあるみたいな価値観で走ってきたわけでしょう。それが幻想に過ぎなかったとわかって今振り返ってみても、もう帰るべき場所はなくなっている。中高年の、年間三万人以上の自殺という現象が象徴的だと思うんだけど、変わらない頑固な社会を撮ってゆきたいという願望の背景には、根無し草になっていった日本社会があるのかと思います。
北村・・・野町さんの写真で感動したのは、大草原で祭りに来た二人の親子が、野宿しているところを撮ったものです。過酷な自然の中で生きているにもかかわらず、明るい顔、深刻じゃない、自然の中で生きている明るさです。その表情に痛く感動します。厳しいところで生きている人間だからこそ、見えてくるものがある。
野町・・・写真家としてチベットになぜ惹かれたかというと、なんといっても絵になるんですね。遊牧民たちは、テントという一枚の布で仕切っただけで、荒涼たる自然のなかほとんど丸裸で生きている。生きている凄みが丸出しなんですね。イスラームなんかも日本とはまったく対照的ですよね。あそこにはもっと強い束縛があります。精神面では変われないという。それが逆にユニークなんですよね。
北村・・・イスラム圏とチベットには共通性がありますか。
野町・・・イスラームでは聖も俗もひっくるめて、すべて神の被造物なんですね。チベットにも通じることでしょうが、人間の力を越えた何者かに対する畏敬の念というものが、社会に浸透している。どの社会にも様々な問題はあるんでしょうが、人々の心の安らぎという点では、信仰の生きているところは懐が深いように感じられます。
 
野町和嘉(のまちかずよし)
 一九四六年高知県生まれ。写真家
 一九六八年、杵島隆氏に師事し、一九七一年よりフリーランス。以後アフリカ、中東、チベットなどの厳しい自然と人々を撮り続ける。
 一九八五年、土門拳賞。九〇年、芸術選奨文部大臣賞新人賞。九三年、講談社出版文化賞二〇〇二年、大同生命地域研究特別賞他を受賞。
北村皆雄(きたむらみなお)
 一九四二年生まれ。ヴィジュアルフォークロア代表・映像民俗学。一九八七年よりヒマラヤ・チベットに取材。TVドキュメンタリーを作る。チョモランマ遠征三回、カイラス巡礼二回。中国、インド、朝鮮半島、日本とアジアを中心に作品を作っている。







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