◆東海・北陸
■静岡県
(1)岡村 彰夫
●造船は条件付でできる。テンマなら。
年齢:昭和17年生まれ
経歴: |
中学卒業後、父・岡村末次郎(明治44年生まれ)と藤池久雄(現在80歳くらい)に指導してもらった。父は相良から来た。戦後、松崎で船大工をはじめた。 現在、彰夫は(株)岡村造船所の社長で現場責任者。弟の宗一が専務で設計と営業を担当している。 これまで全国の高等商船専門学校のカッターをはじめ、公的機関の船やイベント、博物館の船など木造にこだわってやってきた。 昭和47年からFRPもやったが、技術的にはいつでも転換できると思い木造にこだわったきた。 |
船種: |
テンマ 漁船(3〜6トン) カッター(全国高等商船専門学校) ほかどんな木造船でも。 |
材料:杉は天城産のもの 釘はもとは地元、その後は尾道
直近造船:昭和58年に木造のカッターを造って終わり。
調査者:石原 義剛
(2)近藤友一郎
●造船できる。
年齢:昭和3年生まれ。
経歴: |
祖父、父親と代々船大工の一家。漁業基地焼津のさまざまな漁船を造ってきた。昭和60年頃から、木造和船の保存および船大工技術の伝承を目指して、近藤和船研究所を設立し、その所長として模型船を100隻以上製作し、焼津市の古式櫓漕ぎカツオ船2隻を建造した。 |
直近造船:平成9〜11年(頃)8丁櫓カツオ船2隻造船。
(3)大杉 豊
●造船はできない
年齢:昭和4年生まれ
経歴: |
昭和21年頃17歳で舞阪造船に就職、5年見習い期間。父親も船大工だったので、昭和35年頃大杉造船を設立して独立した。経験は56年ほど。昭和47年が木造船の最後。昭和48年からFRP船を造る。それまで木造船は100隻ほど造った。 平成14年で廃業の予定。 |
船種:シラス船、チャカ船、ノリ船(海苔養殖船)
材料: |
船材は愛知県北設楽郡田口、静岡県掛川市・島田市 釘は豊橋市 |
調査者:荒熊 元茂
(4)河合 豊
●造船はできない
年齢:昭和15年生まれ
経歴: |
昭和31年頃、中学卒業とともに16歳で、父・権十の弟子になった。FRP船を造るのが嫌で廃業した昭和53年まで、60隻ほど造船した。昭和36年以降の造船を記録した帳面をもっている。以降は注文に応じて和船模型を造っている。 |
船種: |
チャカ船(昭和36年→敷居シキイ20.6尺、幅4尺6寸5分・動力付) カキザッパ船(昭和52年→カキ養殖船) 貸船(昭和53年・敷居シキイ24尺) |
材料:船材・静岡県湖西市鷲津、愛知県宝飯郡 釘・豊橋市
調査者:荒熊 元茂
(5)戸田 成夫
●造船できる
年齢:大正14年生まれ
経歴: |
昭和10年に11歳で舞阪町の渡辺造船に就職し、一時舞阪造船所でも働いたが、昭和41年自分の戸田造船所を設立した。 出身地は磐田郡光明村(現天竜市)。 経験は67年。 最後の木造船は昭和50年頃シラス船(10トン)を造った。 |
船種: |
シラス船(シキイ30尺くらい) チャカ船・遊船(敷居20尺くらい) 櫓と櫂は造らなかった。 |
材料: |
船材は新城市の三井木材 釘は豊橋市 |
備考: |
小型船造船登録証(20歳で一級造船免許)を浜名湖で唯一所持しているという。浜名湖周辺で最古老の船大工。 |
調査者:荒熊 元茂
(6)戸田 正司
●造船できる
年齢:昭和31年生まれ
経歴: |
父親・戸田成夫(上記)の息子。昭和50年、高等学校を卒業後、父の造船所に入った。以降28年父と一緒にやっている。 昭和50年頃、木造船のチャカ船2隻の造船を手伝った。 |
調査者:荒熊 元茂
(7)神田 慶吉
●造船できる
年齢:71歳(平成14年)
船種:タキヤ漁の船(長7.8m、幅1.5m)
直近造船:平成14年に「タキヤ漁船」を造船した。
調査者:インターネット
(8)鈴木 登
●造船はできない
年齢:昭和3年生まれ
経歴: |
昭和18年尋常小学校卒業の15歳で父・弥作(明治17年生まれ昭和42年没82歳)の手伝いをしたが、それ以前13歳から船大工の義兄を手伝っていた。弟子期間は5年。 20歳になったとき、夜逃げのように家をでて、長崎、高知、勝浦、銚子などを船大工して歩いた。小樽、函館、塩釜へも、2〜3ケ月づつで、時には10日のこともあった。 25歳で大須賀町の沖の洲に帰って地曳網船の修理などしていた。 29歳で自分の家を建て、家大工になった。 36歳のとき、ここ(現在地)へきて、4間と9間の小屋を建てて船大工を始めたが、建前の日に父親が死んだ。 |
船種: |
チリメンジャコ曳船(4〜7トン・2〜3隻造船) タブネ(農作業用・3間半・2年半に25隻造った) 漁船(例(漁神丸):7トン・長12.7m、幅2.7m、深さ0.9m)多種多数造船 |
材料:釘は尾道(しまや)
直近造船:昭和50年が木造船の最後。この船はまだ自分で乗っている。
調査者:石原 義剛
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