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 ハーサーチャーアーアー オーシュンデー ハーエーエー ヤーンヤー
 歌に合わせて右足を高く上げたり、優雅に手を顔の前でかざしたりをくりかえす。
 時どき、「ヒーヤー」、「ソーリャ」と、掛け声のような短い歌詞が入る。
 聞き覚えのある歌詞、リズムとテンポ。
 そうだ、唐子踊りの後ろで鳴る小太鼓と横笛、歌に似ているのだ。美麗は、ぼくの鼻先に広げた扇子を突き出したり、自分の顔を隠したり、体をすりよせたりしはじめた。
 「踊ろうよ。私が踊っているのも、唐子踊りと同じヒウハという三拍子の歌よ。朝鮮人は、踊りが大好きなの。バスの中でも踊るわ。健は、唐子踊りをしてよ、さあ!」
 ぼくの手を取って、美麗が笑った。
 ワー シュウンレー
 楽しそうに踊る美麗を見ていると、自然と体が動きだした。彼女の歌に合わせて、ぼくは唐子踊りの仕草でひざを曲げ、手をくねらせ、太極拳のようにゆっくりと片足を上げる。「この歌の意味、わかる?」
 美麗が、ぼくの目を見つめてたずねた。
 思わず目をそらせてだまっていると、「オーシュンデーは、韓国語のオーシンダーがなまった言葉で、「来られまして』っていう意味。王様が来られましたって。シューウンレーは、シンダという言葉から来てるの。王様が民衆のために懸命に働いてくれるから、私たちは、平和で幸せに暮らせるって、感謝してお祝いする昔の歌。調べてるのよ、今」
 頭がカーッとなるほど、恥ずかしかった。
 踊り子に選ばれたくせに、ぼくは、意味を考えもせず、知ろうともしなかった。
 ただ、秋になれば、近所からも遠い親せきからも、そしてマスコミからも注目を浴びて、スターになった気分でいただけだった。
 外国は、よその事。ぼくには、関係ない。
 踊れば、お小づかいがもらえる、何を買おうかな、なんて考えていたんだ、毎年。
 「唐子踊りの歌の意味も知りたいわ。ねぇ、今年もお化粧するの? 踊るんだって?」
 美麗は、クルリとつま先でターンした。
 ぼくは、頭の先から足の指まで電流が走ったようにビクリとして棒立ちになった。
 「母ちゃん、しゃべったな・・・」
 ボソッとつぶやいたぼくに、美麗は扇子で口元を隠しながら言った。
 「いいじゃない。現代版朝鮮通信使みたいで」
 「それがイヤじゃ。この町は、外国のつぎはぎだらけじゃ。海があるからダメなんじゃ。こんな自分らしさのねえ町、大嫌いじゃ」
 ぼくは、はきすてるように叫んだ。
 美麗も、父ちゃんと同じだ。がっかりだ。
 「来て! わからず屋の健に教えてあげる」
 美麗は、ぼくの自転車にまたがった。扇子をたたんで前のカゴに放りこみ、
 「私のカバン持って、走って付いてきて!」
 「ぼ、ぼくの自転車だぞ。おりろ!」
 彼女は、背中で返事をした。
 「自転車の暴走族には乗せられません!」
 彼女こそ、暴走族だ。はかまがひるがえるのを気にもせず、全速力で自転車をこぐ。その後ろをカバンを抱えたぼくが走る。フェニックスの植わった歩道の観光客が笑いながらぼくたちを見ている。なんて格好悪い光景!
 「オンマ、健ちゃんを連れてきたよ!」
 玄関前で赤いはかまのすそをたくしあげ自転車からスルリと降りた美麗は、家の引き戸を開け、大声を張り上げながら入っていった。
 オンマとは、韓国語の母親という言葉「オムニ」の幼児語らしい。お母さんをタータンとか、かーちゃんなどと呼ぶのと似ている。
 以前、美麗が教えてくれた。
 「まぁ、久しぶり。ええところに来た。味見してみられ、あんたの母ちゃんが作ったよ」
 白いかっぽう前かけをした美麗のオンマが、手招きしながら台所から出てきた。
 「キムチを作ったんよ」
 オンマの後ろから、母ちゃんも手招きした。
 「うわっ、真っ赤じゃ」
 ぼくは、皿にもられた白菜やきゅうりの漬物を見て、ジワッとツバが口の中へ広がった。
 「牛窓は、オキアミいう小さなエビや、イカがとれるから、塩づけして入れたんじゃ。本場韓国では、忘れちゃいけん材料なんよ。早く言えば、かくし味みたいな物じゃな。ハンメが、韓国ではおばあちゃんのことなんじゃけど、明治時代に来た私たちの祖先も、キムチの材料が豊富じゃから、ここに住み着いたのかもしれんて言っとったわ。健くんちのは、唐辛子の量を減らしとるから、心配せんでええよ」
 オンマはニコニコしながらぼくに、キムチをのせた小皿を差し出しながら、
 「お礼にな、たくあんの作り方を教えてもらったよ。健くんのお母ちゃんにな」
 と、裏口に置いた青いポリバケツを指差した。
 「気取って言えば、日本と韓国の食文化の交流みたいなもんじゃな。エッヘン」
 赤いエプロンをつけた母ちゃんが胸を張る。
 「ただ、お互いマネとるだけじゃ」
 ぼくが小声で言ったのを耳ざとく聞きつけ、
 「マネだけじゃねえよ。わが家流にもち米や砂糖、人参を入れてアレンジしたんじゃから」
 母ちゃんは、ムキになって言う。
 「父ちゃん、腹すかして、怒りながら待っとるから。ぼくと口げんかしとんじゃ、今」
 不機嫌なまま、ぼくが返事をすると、
 「じゃぁ、私が、和風キムチチャーハン作ってあげる。仲直りできるように、健のお父さんにも、持って帰ってあげてね、いい?」
 やさしい声に振り返ると、美麗だった。







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