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 ひげもじゃ口がそう言いながら、毛糸のハンカチをトランプみたいにならべていく。
 「月子ちゃん、アイルランドってわかるかい。イギリスのとなりにある大きな島。北海道よりまだ北にあるの。アラン諸島ってはね、そのアイルランドの、西っかわにあるゴルウエイ湾ってあたりにさ、ちょちょっと浮かんでるの。これはね、そこで編まれるもようでさ」
 何十枚もならべるのは、けっこう手間がかかる。ひげもじゃは下を向きっぱなしだ。
 (海の男が編み物なんて。・・・作り話しさ)
 「そりゃえらいとこでさ。風がすごすぎて、人間なんてすっとばされちゃう。木も伸びることできないさ。周りの海はって言えば、これがまたね、ぐるっと浅すぎて大きな船なんかちかづけないのよ。どうする?」
 わたしに聞いてどうするんだい。かんけいないよ。ひげもじゃは手を休ませずに、顔だけわたしに向けていた。無視した。
 「うん。カラックっていう小っちゃな舟、使うしかないの。風は海の上でだって、びゅうびゅうさ。波は、ざぶんざぶんさなあ。そういう海でエビやタラをとってくる」
 「そんなんだったら、男は編み物なんかやれんじゃない」
 思わず抗議した。すると、なんでさ。ひげもじゃはうれしそうにわたしを見上げた。それからこくんと下を向いて、つぎのを一枚ならべた。
 「うん。そうなあ。だもんで、たいていはさ、島で羊の番してるときとかに編む。石で囲ったとこに羊をかっていて、その毛を毛糸にする。え・・・と、これでぜんぶ」
 三十枚。わたしとひげもじゃは、三十枚のあっちとこっちに、うんとはなれてしまっていた。間には、ねじねじしたのや、くるんくるんしたのや、いろんなもようがならんでいた。
 「月子ちゃん。これね、一つずつみんな意味があるんだわ。祈りでもあり、願いでもある。たとえばさ、これ」
 よじったみたいなもようのをつまんで、こっち向きにして見せた。
 「『漁師の命綱』。危険のきわでさ、命を守る綱な。大漁を願う意味もある」
 どきんとなってそれを見た。とうちゃん・・・。
 「これは『かもめ』。これは魚をいれる『かご』。これは島の『崖っぷちの道』で、こっちのは『人生のはしご』。永遠の幸せに向かって上るはしごね。この『生命の木』はね、これを着る人が長生きしますように、漁を手助けしてくれる元気な子を授かりますようにって、願いをこめて編むもよう」
 ひげもじゃは一枚ごとに、財産のしるしの『ダイヤモンド』とか、人生を大事にすごせますようにの『砂時計』、飢えずにくらせますようにの『小麦の穂』や『きいちご』や、いろいろ、いろいろ三十枚話した。
 海での安全を祈ったり、家族の幸せを願ったり、着る人がそのもようの意味に守られるように、思いをこめて編むんだって言った。
 海とも、・・・いっぱい、かんけいあった。
 海の男が編み物・・・。とうちゃんなら、どのもようを組み合わせてセーターにしただろう。・・・編み物なんかするわけないけど。
 とうちゃんに、わたしが編んであげられるくらい大きかったら、よかったのに。
 「月子ちゃん、そこでさ、相談なんだけど。夏休みちょっと前と思ってるんだけどね、ここへさ、行こうかと思うのさ。いろんな人に会って話を聞かせてもらったり、昔と今はどんなふうにちがうか同じかとかをね、調べてこようと思ってさ。一か月くらいと思って、」
 「それってもう決めたんだったら、行けばいいさ。なんにも相談じゃない」
 「いや、相談はここから。いっしょに行けないかなあって思うんだけどな」
 わたしはぽかんとなった。
 「かあちゃんは、二人でよく相談したらいいって言うんだけど。どうだろう。あっちの漁師さんちに、泊めてもらうの。十六歳の男の子と、十歳の女の子がいるよ。仲間の知り合いんちだから、なんも心配いらないし。どうだろう?」
 そんなこと言われたって。
 「かあちゃんも行くの?」
 「いや、今回はおれと月子ちゃんで、」
 「行かん!」
 「ちょっとだけかんがえてもらえん?」
 「学校ある!」
 「夏休みの前、三日だけ休めんかな。おれが三日ずらせればいいんだけど、外国の先生たちとの勉強会があるもんで。かあちゃんに聞いたら、学校は半日だっていうし、あとは大そうじと終業式だけだって聞いたもんで、」
 「ダメに決まってる! ズル休みなんかしたことない。ぜったい行かんから、わたし」
 こんどこそわたしはサンダルをつっかけて、外へ飛び出した。
 (ひげもじゃと二人だけで、なんで知らない国へ行かないといけないんだよ。学校だってあるよ)
 堤防まで行くとまだクロがいた。すこしだけはなれて座った。猫なで風は、わたしにもクロにもおんなじようにふいていた。
 水平線に小さく二つ、うすむらさきにかすんだ船が見えた。まっ白なかもめが、点々に空に散って見える。とんびの鳴くヒューイヒューイという声が、聞こえる。
 (行くわけないよ。かあちゃんはまた・・・なんにも言わないで、あの顔をするんだろうか)
 辺りはどんどん薄ぐれてくる。ばあちゃんのとこへ行きたくっても、山の方はもう黒くこんもりとなっていた。家にもかえれない気持だった。
 「月子ちゃん」
 ひげもじゃだ! ひげもじゃはわたしのとなりにのぼってきて座った。
 「急ぎすぎたよな、さっきの話し。ごめんな。・・・いい風だ」
 クロ、まだ、いるのかな。目のはしっこで見ようと思ったけど、もう辺りはくらくってわからなかった。
 「おれね、ほら、さっきのもようね。意味は前から大体知ってた。でも自分で編んでみてさ、あのもようを一目ごとに編んでいく気持がわかったさ。編んでみてよかったさ・・・」
 なぜだか、かあちゃんの泣きべそ顔が浮かんだ。なんか言わないといけない気がした。
 「『かもめ』と、『生命の木』が、すき、さ」
 「そうかい。うん。そうね、『かもめ』ね」
 「そう。・・・かあちゃんは、どれだろ」
 「月子ちゃん。いっしょに行くチャンスは、これからだってまだまだあるもんな。こんどは一人で行ってくるさ。毛糸だって、いっぺんにぺたんっ!てセーターになるわけじゃないもんな。一目ずつ糸かけて、一目ずつ編んでいくもんだわな」
 ひげもじゃはちょっとしょぼんと、でもすぐにニッとしたひげもじゃ口になって言った。
 「さあ、かえるか。かあちゃんがじょうずにまんじゅう作ってきてくれたよ」
 「・・・うん」
 ひげもじゃは、ときどきわたしをふりかえりながら、ゲタをかららん鳴らして歩いた。大きな背中だなあと、わたしは思った。
 猫なで風がしめった海のにおいをさせて、道も石段もわたしの髪もなでてふいていた。 かあちゃんのまんじゅうは、おいしかった。とうちゃんの仏壇にはもうおそなえしてあった。安心して二つ食べた。ひげもじゃも、おいしそうに二つ食べた。
 
 ひげもじゃは一人で、アラン島へ出かけて行った。
 ばあちゃんのいる墓地から海が見える。クロがめずらしくわたしのあとをついてきた。
 猫なで風は夏の風にかわって、海はきらきらうねうねとまぶしい。入道雲はどこまでも高く大きくふくらんでいく。
 ばあちゃん、手紙と包みがきたさ。毛糸のセーター。夏なんだよ。おかしいさ。羊の番の手伝いしながら編んだんだってさ。セーターには『かもめ』と『生命の木』も入ってた。
 【月子ちゃん、元気かい? こっちは夏なのに朝や夜には、寒くて暖炉をたきます。セーターを編みました。この毛糸は波をかぶってもぬれません。強風も通しません。月子ちゃんを守ってくれるように願って編みました】
 ばあちゃん、ひげもじゃのこと、どう思う?







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