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海の子ども文学賞部門大賞受賞作品
可瑚 真弓(かご・まゆみ)
本名=辻 真弓。一九四九年東京生まれ。大学卒業後、旅行雑誌編集部勤務を経て、フリーライター。現在は主婦業兼務。二男児の母。朝日新聞創刊百周年記念論文優秀賞、第一回カリヨンコンクール優秀賞、第七回いろは文学賞佳作、第四回海洋文学大賞佳作、第十七回毎日小さな童話大賞佳作、第四回日本児童文学奨励賞佳作等を受賞。東京都多摩市在住。
 
 猫なで風がふいていた。魚市場ちかくの道はどこもまだらに見えた。にぎやかだった朝の水気がかわき切っていなかったから。
 からっぽの魚市場はだだっ広くて、そのむこうに海がすっぽりと見えた。
 ビニールのサンダルが、道にぺったりぺったりとひっついてははなれて、また足にひっついた。
 このあたりのボス猫の片目のクロが、魚市場のわきからのっそりとあらわれた。
 クロとのきょりがだんだんせばまる。
 (ばあちゃんのとこへ行くんだから、どいて)
 ばあちゃんのお墓はこの先の高台にある。
 クロは歩きながら金茶色の片目で、わたしを真正面からちろうりと見た。
 気がついたら、わたしは道をゆずっていた。
 クロは立ち止まりもせず、歩き方もぜんぜん変えずに、のっしりのっそりとそのまま船溜まりの方へ向かって、行ってしまった。
 (へーんだ。えらそうに・・・さ)
 しぼみそうになる気持をやっつけて、思いっきりあごをつき出しなおした。風が、やわやわとわたしのあごやほっぺたや髪の毛をなでる。
 (猫なで風なんか、優しぶってさ。・・・大きらいさ。ムムッウの真夏風のがなんぼかましだ。ぴゅーぴゅーの冬の風なら、もっとすき、さ。・・・猫なで風なんて、はやく行っちゃえ)
 わたしは、どんどん歩いた。どんどん、どんどん。ぺたぺたぺたぺた、行く。
 堤防がじゃまで海が見えないんだよ。
 堤防は道にそってどこまでもじゃまをする。
 道に堤防の影がおちる。道は、こい灰色とうすい灰色との、染め分けみたいになっていた。その境目をまたぎながらじぐざぐに歩いた。
 かげぼうしが二色をぬいあわせるみたいにじぐざぐ写る。
 堤防のおしまいがこの道のおしまいで、みかん山に突き当たって終わる。行き止まりだ。
 このてっぺんに、ばあちゃんがいる。
 墓地からは、ほんとうによく海が見えた。
 ばあちゃんはしょっちゅうここへ来て、お墓のじいちゃんと話しをしていたっけ。
 ばあちゃん・・・。
 「月子や、オメさ、まーた、ふくらがってまって。まんまるおっ月さんだなー。めんこいことなーあ。ふっはは」
 ばあちゃーん、言うよね。いつだって、こう言ってくれたのに。いま、言ってほしいさ。
 ばあちゃんは、しーんとしている。
 ばあちゃんが言ってくれないと、わたしはどうやってヘヘヘってもとにもどったらいいんだかわからないさ。
 泣きっこないよ、あたりまえじゃないかい。
 でもさ・・・ばあちゃん、ばあちゃんはなんだって猫なで風なんかすきだったんだい。
 優しぶった猫なで風になでられると、わたしはわたしがすごく優しくない人間みたいな気持がしてきて、泣きたくなるんだのに。
 ばあちゃん・・・。
 あんな人をかあちゃんは、とうちゃんってよべって言うんだよ。
 男のくせに海にも出ない。漁協にも魚市場にもかんけいない。
 まいにちまいにち・・・。男のくせに・・・編み物ばっかりやっている。
 そんなのなんて・・・男じゃないよ。とうちゃんだなんて、はずかしくってよべないよ。
 そうでしょ、ばあちゃん。
 とうちゃんなんか、嵐のときにも船守るために荒れた海へ船出しにだって行った。わたしに遠泳だって教えてくれた。
 とうちゃんはいくらだって泳げた。海であお向きに浮いて、海と空とおひさまと、そうだよ・・・とうちゃんとなら、いつまでだって浮かんでいられた。わたしはイルカの子みたいになっていられた。
 とうちゃんがいたらこわいもんなんか・・・なんにもなかった。
 とうちゃんが、病気に勝てなかったことは、とうちゃんのせいじゃない・・・よ。
 ばあちゃん、かあちゃんはなんだってあんな人を、すきになっちゃったんだろう。わかるのかい。わたし・・・ぜんぜんわかんないよ。
 きょうなんか、
 「月子ちゃん、これ、おみやげさ」
 ばあちゃん、なんだと思うかい。編み棒と毛糸だよ。なんでわたしが編み物なんかしないとなんないのさ。しかも、これからずんずんあったかくなるっていうのに。信じられないさ。でしょ?
 かあちゃんがわたしをちらって見て、泣きそうな顔をする。かあちゃんはずるいよ。いつだってちゃんと言葉でなんか言わない。
 ただああいう顔をするんだよ。なんか言ってきたら、わたしにだって言いたいことあるんだってこと、言い返せるのに。
 かあちゃんを泣かせるわたしばっかが悪いみたいな気持になる。ずるいよ・・・。
 ばあちゃんのお墓はあったかいね。おひさまがよくあたるからだね。
 わたしはばあちゃんのあったかな墓石によりかかって海を見下ろした。
 広ーくって広くって広ーい海だった。雲の間からくっきりまっすぐ三本、光のすじが海におりていた。
 わたしは〈この世の中でたった一人の九歳〉みたいな気持がした。だれにもわたしの気持なんかわからない。そう思った。
 学校がまいにちまいにちこのまんま創立記念日で、ずーっと休みになっちゃえばいいのに、と思った。そうしたら学校にも行かなくていい、時間気にして家にかえらなくってもいい。ずうっとずっと、わたしはばあちゃんとここにいる。







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