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「聴いたか、おい、藤村のやしの実が、とうとうこの渥美の浜に流れ着いたらしかよ」
 野呂邦彦が、昼あとになっても二日酔いのおさまらない頭を両手のなかに抱え込んで、資料の山積みされたデスクに突っ伏していると、渥美町観光協会事務局長の浅田守照が興奮しきった面持ちで飛び込んで来た。
 渥美町観光協会は、渥美町役場の三階の小部屋に発足当初から半世紀あまりも間借りしている。予算と言えるほどの大がかりな予算はないから、日ごろは町役場から出た企画物のイベントや何かのお先棒を担ぐのがせいぜいである。事務方の書記は建前では五人いることになっているが、二人は町役場の産業課から、もう一人は総務課からの出向で補い、それも二、三年に一度は顔ぶれが替わる。年間を通してこの部屋に詰めているのは、この十年のあいだ邦彦一人なのである。つまり、望むと望まざるにかかわらず、この部屋の主は邦彦自身ということになる。
 今、部屋へ飛び込んで来た事務局長の浅田は、ホテル旅館組合の長とこことを兼任していて、この部屋へは日に一度顔を出すだけである。何のイベントも会議もないときはそれさえも疎かになって、電話連絡のほかは何日も顔を見ないときがあった。
 その浅田がめずらしく血色のいい顔色をてらてら光らせて現われたかと思うと、
 「放流から十四年目にして、初めての快挙なんだで。石垣島の沖で毎年流しよる、あのやしの実が、この渥美町の浜にとうとう流れ着いたぞね」
 「それ、本当っすか」
 邦彦は一瞬、わが耳を疑った。
 土曜の夜、同窓の仲間らと名古屋で久しぶりに逢って、居酒屋からカラオケバーまでつき合わされ、深酒がたたって日曜日は一日ゴロゴロ寝ていた。
 週明けの月曜は出勤して来てもまだ頭の中には牛乳色の深いもやがかかっていて、何一つまとまった仕事もできそうにないから、邦彦はデスクに突っ伏したまま頭を抱えていた。
 そこへどえらいニュースが飛び込んで来た。愛知県のこの渥美町からはるばる海を越えた、沖縄県の南の端−−千六百キロも離れた石垣島の沖合い二十キロ地点を流れる黒潮本流ヘチャーター船を出して、この十四年間、邦彦たちは毎年欠かさず、やしの実を流しつづけて来た。
 名も知らぬ遠き島より、の〈島〉を石垣島に見立てて、年に一回の観光イベントとして流しつづけて来たやしの実である。
 今年も六月二十四日に渥美町観光協会の関係者ら十人がわざわざ石垣島を訪れて、あちらの観光協会の方々といっしょに船に乗り、黒瀬川とも呼ばれる壮大な流れの本流に漕ぎ出して、九十六個のやしの実を次々と海中へ投げ入れた。
 <波に乗せ、想いははるか恋路ケ浜>と刻んだ金属プレートを取り付けて、去年も今年も、いやいや、この十年間、一度も欠かしたことなく野呂邦彦自身が石垣島の沖でそのうちの幾つかを流して来たのだが。
 今年流した九十六個のココやしの実の一つが、念願叶ってとうとうこの渥美町の伊良湖岬へ流れ着いたというのだ。
 「君、やったぞ!、やったじゃないか。今、町長がやしの実を拾ったという高校生二人に逢っておられるから、君もすぐ来なさい」
 六十過ぎてますます腹の出っ張って来た禿げおやじのしょぼくれた目に、思いがけない涙が光っている。
 二日酔いのもやのなかで、邦彦はしばしキョトンとしていたが、じわじわと胸に込み上げてくるものをかんじて、慌てた。こんなことでこの俺が泣いたりするかよ、と顔を禿げおやじの方からそむけ、涙腺を止めにかかろうと努めた。こんなことぐらいでうれし泣きする純情青年ではなかった。
 観光協会書記という尤もらしい肩書を武器に、豊橋や名古屋のいろんな場所でいろんなタイプの女を言葉巧みに誘うのが得意のすれっからしなのだ。面白おかしく人生を渡ろうじゃないかというのが邦彦のモットーだから、仕事が五時で終わればあとはさっさと帰って、無理を承知で手に入れた愛車のソアラをかっ飛ばす。誰にも邪魔されない自分だけのたのしみを持ちつづけているのだ。
 そうは言ってもイベントの準備や期間中は人手が不足し、残業手当もないのに、夜の十時十一時まで居残りすることも年に幾度かはあった。それと、この観光協会という役所は、日曜に限って仕事が生まれるところなんだ。その点を文句垂れつつも辞めないでいるのが、自分でも時折、不思議におもうことがある。
 滅多にないことだが、もしかしたら俺、この仕事が好きなのか、気に入ってるんだらあ−−東の空が白々と明けるころ、疲れてへたり込んだ事務所のソファで目が覚めたりしたとき、邦彦の頭をそんな冗談のようなおもいがふっと掠める。気恥ずかしいおもいを打ち消すため、一人苦笑いするときがあった。
 長兄の邦男は大規模ハウス栽培でマスクメロンとキャベツと、あと電照菊栽培も手がけている専業農家だ。収入も多いが借金もこれまた大きくふくれ上がっている。それでも三男の邦彦のために、結婚のときは一戸建を新築してやるぞねと豪語している。
 「嫁こを早く見つけてやりんよ、クニー、母ちゃんらがおっ死んでしまわんうちにな」
 このごろは口癖のようにそう言っている。
 次男の武邦は町役場の建設課にいる。
 元々、邦彦は地元の高校を卒業した後、働きに出た豊橋の自動車メーカーを大した理由もなしにぷいと辞めてしまい、二、三年ぶらついていたのを、当時まだかくしゃくとしていて、三期目の町議をやっていた新六叔父の口利きで、渥美町観光協会書記の椅子に収まったという経緯がある。
 自分からえらんだわけでなし、無理やりやらされた仕事であっても、やっているうちには愛情の一欠けらぐらい湧いて来るものなのか、何百通というイベントの案内状を大汗掻いてつくったりしたあとの充足感、釣り大会で記録破りの大物カレイやクロダイが揚がったとき。ありがとう、ありがとうと邦彦の肩を叩いて、顔を真っ赤に日焼けさせた釣り客たちが満足そうに帰ってゆくとき。やしの実流しのために組んだ交流団を引率して、石垣島に着いたあと、待ち構えていた島の人たちの不器用だが温もりのある歓迎ぶりに接したとき、この仕事を十年もやりつづけていて良かった、とおもうことがある。だから、「邦彦は協会の主だぞね、もう手放すまいね」いっしょに人に逢っている席で、浅田のおやじさんに言われたりすると、嬉しくないこともなかった。







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