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 じいが男盛りの凄腕の漁師だったころを知らないのが、哲次には何より残念でならない。舳先に立って風の向きを読んだり、地引き網を手際よく曳いたりするときのじいは、どんなにかカッコ良かったことだろう。マグロ船に乗り組んで、大漁旗立てて、意気揚々戻って来るときなんか、どんなにかカッコ良かったことだろう。
 そんなころのじいを見たこともなければ、知りもしないのに、哲次の目にはじいの勇姿がありありと浮かんで来る。
 老人ホームのベッドの上で寝たきりになっているじいは本物のじいではない、と哲次はおもい、自分に言い聞かせているのだ。
 じいはホームに入る前ごろから、それまでとは打って変わって、いつのまにか偏屈で厭味な老人になってしまった。むかしのカッコいいじいの面影がどこにも探せなくなった。
 哲次にはそれが哀しい。
 人気のない台所で昼飯の茶漬けをかきこんでから、サッカーの部活に出かけようとしていたら、同じ高校へ通っている安雄が家の前を通りかかって、おい、アサリ採りに行こうぜ。おれ、買いたいCDがあるんよと誘ったから、そんじゃあ、つきあうかと部活へ行くのをやめてついて来たのだ。
 こうして磯づたいを冷やっこい波に足元を洗われながらアサリ採りしていると、寄り物を探すじいの節くれた手にすがって、浜辺を歩いた日々がなつかしく胸に甦って来た。
 「むかしは良かったってのが、家のじいの口ぐせだらあ。地引き網ではアジやサバが網からこぼれるほど大漁しとったらしいでえ」
 「だらあ、じいがホームに入る前はむかしばなしをようやりおるじゃん、夜になっても魚の始末がつかんときは、かがり火焚いて水揚げしよったんだらあ」
 「羽振りのよかった漁師たちも、おれらんとこのような網元も大型巻き揚げ船が沖へどしどし出るようになってからは勝てんようになったんだらあ。その上、どえらい台風はおそって来るわ、網や漁具は流されるわしとるうちに今度は何年もつづけて不漁になりよるし、そんで息の根が止められたんだらあ、社会科の平尾がよう言うとったじゃん」
 「ああ、中学のときの平尾か」
 哲次は度の強い丸めがねを鼻の上に乗っけて、いつも学校図書館で調べ物ばかりしていた青白い青年教師の背中を思い浮かべた。
 平尾の家も、安雄の家と同じく元々は、表浜で栄えた地引き網の網元の家柄で、いつだったか平尾の家に連れて行かれたとき、床の間の辺りに、代々の家長が金に飽かして買い集めた骨董の類、掛け軸や茶碗類の箱がうっすらと白いほこりを被った状態で積み上げてあったのを思い出した。
 幾つもある部屋のらん間はどれも古びてはいたがぜいたくな造りで、柱や鴨居の上にはりっぱな髭をぴんと反らした伊勢エビや、でっかい甲羅の海亀やらの剥製が額に入れてうやうやしく掲げられていた。それら全部がむかしの網元たちの羽振りの良さを物語っているように見えたものだ。
 武士ならばちょんまげを結い、腰に大刀をさしていた江戸時代からイワシやサバ、アジなどの豊漁でこの地を潤して来た地引き網漁が衰退してしまうと、漁師たちは陸へ上がり、網持つ手を鍬や鎌に代えて土地を耕し始めた。
 今、渥美半島の夜を不夜城のようにまばゆく彩る電照菊畑の起こりは、食えなくなった漁師たちが陸に上がって農業をやり始めた結果なのだ。温暖な気候を生かしたメロン栽培やキャベツなど、全国に誇る渥美農業の礎は陸へ上がった漁師たちの汗と涙が築いたものだと、鼻から落ちかかる丸めがねを元の位置に戻しながら力説する平尾の言葉を、哲次たちも耳にタコができるほど聴かされたものだ。
 「あいつら、また来よったで、万年初戦負けのたわけらがよう」
 野球部の生徒たちが灯台のある岬をまわって、再び目の前の海岸道路に現われると、安雄がさっそく口汚なく罵りはじめた。
 「けど、やつらは信じてるんよ」
 あるおもいがふっと哲次の口を突いて出た。
 「何をじゃ」
 安雄が怪訝な表情をこっちへ向けた。
 「いつかはきっと一回戦を勝ち抜いてみせちゃるってよ、どの顔にもそう書いてあるだらあ」
 言いながら哲次は波打ち際へゆっくり視線を戻した。潮もそろそろ満ち始めているし、あと少しアサリ採りに精を出してみるかとおもう。大小の石をひっくり返し、そのまわりの砂地をクマデを使って丹念に掘り返してゆく。小粒のアサリならなんぼでも出て来るが、大粒の金になるアサリはそうは見つからない。







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