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 家に戻って風呂の炊きつけをしたあと、勇作は小舟に蛸釣りの道具を置いたままなのを思いだした。使い終わったあとは、真水で洗って鈎(はり)先をよく研いでおかないと、掛りが鈍くなってしまうのだ。
 勇作が浜に戻ると、久兵衛の舟小屋の前ではドラム缶からさかんな炎があがり、その上にかけた釜から湯気が立ちのぼっていた。脇に立った幸江が缶の横に開けた切りこみから、しきりに木くずを投げ入れている。背中の子はすっかり寝入っているらしかった。
 燃えさかる火に近寄ってみると、笊(ざる)が砂浜の上に無造作に置かれ、そこに鮑が山盛りになっていた。勇作が目を見張ったのは、そのどれもが、これまで見たことのない大きさだったからである。
 「ごっつう大きな鮑やな、これどうすんのや」
 漁師の子がそんなことを訊くのは恥だとは思いながら、勇作は笊の鮑に手をやって幸江を見上げた。
 「これか、ゆがいたあと、かちかちになるまで干すんよ」
 見ると、棧橋に筵(むしろ)が敷かれ、茹であがったばかりの鮑が並べてある。勇作の常識では、鮑は生のまま薄く切るか、せいぜい味噌汁に入れて食うぐらいのもので、茹でたあとで干すなど、思いもよらないことであった。
 「ふうん、そんなことしたら、よけい固うて食えんやないか。あの蛸とおんなじか」
 勇作は、船の上で風になびいている蛸を見やったあと、煮えたぎる湯の中で剥き身になった鮑がおどっている釜を覗きこんだ。
 幸江は、笊から鮑を取り出しては、杓子のような竹べらでしきりに鮑を殻から外して、肝を切り分けている。それは海水を張った桶に放りこまれ、あとで苦汁のある部分を除いて塩辛にすると高く売れるのだと言った。
 ひととおり鮑を剥きおえてから、では当て外れな質問に答えてやるかといった仕種で勇作に向き直った。
 「あんた、勉強はよう出来るけど、知らんこともいっぱいあるのね」
 (また、それか)と思いながらも勇作は、幸江が棧橋に敷かれた筵へ足を向けた後ろをついていった。
 「これはね、高級な中国料理に使われるんやって」
 幸江は〔こうきゅう〕というところに特に力を入れたあと、話をつづけた。
 「かちかちに干したものなら、何年も腐らんでしょ。料理する前に二日も三日もかけて水でもどすと、柔らこうなるんやて。日本にはそんな料理はないらしいわ」
 実際、勇作には初めて聞くことだった。鮑がそんな使われ方をすると知ったのは、ずっとあとになって都会へ出てからのことで、この時は思いもよらなかった。
 「こんなに大きな鮑ばっかりなのはね、普通に食べてもあんまり旨くないらしいわ。そやから、こうして干すんやって」
 「ふうん、わしも夏には潜って栄螺(さざえ)や鮑採るけど、こんな大きいのはあんまし見たことないわ」
 「そりゃ、そうやろね。こんなんは、二十メートルよりも深いとこにおるんよ。素潜りではちょっと手がとどかんわ」
 幸江は、自分が潜るわけでもないのに、少しばかり得意げな口ぶりで、筵の鮑を並べかえした。そうした物言いや、さっきの鮑を殻から外す手つきを見ても、やっぱり幸江は同級生でありながら確実に年は上なのだと勇作は思った。幼な子を背負いながらの一連の動作にも無駄がなかった。
 青いしごきの帯を胸前で襷がけにしているのだが、その帯にせり立てられた形のいい二つの盛り上がりが目にとまると、勇作は何日か前に小舟の上で遠目に見たものが瞼の奥によみがえってくるようだった。
 「いやだ。あんた、どこばっかし見とるん、いやらし!」
 幸江は切れ長の目尻を下げて、ぷっと吹きだして叫ぶと、くるりと勇作に背を向けた。







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