(四)
五日ほどたった土曜の午後、勇作が蛸釣りからもどると、あの〔小屋船〕が久兵衛の棧に横づけになっていた。今日も潜水の漁に出なかったらしく、幸江は学校に来ていた。
そういえば、赤島をまわった外海側は、わずかだが、まだ白波がたっていた。
(風のある日は、船が流されたりして危ないので、潜水は出来んのよ)
何日か前、休み時間に幸江が同級の女の子たちに教室で話していたのを思い出した。年は二つ上といっても、幸江はその女の子たちに交じると小柄なほうだった。
小屋船の上では、幸江の母親が魚を開いて塩水につけては、竹串に刺して干しているところだった。ありふれた漁村の光景だが、そうした干物のなかに、蛸がまじっているのに勇作は目を見張った。
〔ぼん〕と呼んでいる頭が切り開かれ、足は団扇(うちわ)のように竹串で広げられて、風にひるがえっている。さながら、空に上がった凧のように・・・。この若洲湾一帯では、そうして蛸を干すなど見たことも聞いたこともなかった。
(おかしなこと、するもんやな)
勇作がいぶかしげに、風に舞う干し蛸を見やっているところへ、
「どう、ぎょうさん蛸釣れた?」
棧を鳴らして幸江が声をかけてきた。今日も子どもを背負っている。一歳を少し過ぎたと思われるその子は、はっきりとは分からないが、着ているものからして女の子のようだった。
「あかん、この一ぱいだけや」
勇作は小舟の中の桶を指さした。桶の中では、いつもよりは大ぶりなやつが、自分の運命のゆく末も知らぬげに、薄目をあいて水を吐き出している。
「それよか、あの蛸やけど・・・」
勇作は、船に張りわたした竿にぶら下がっている干し蛸に目をやりながら訊いた。
「ああやって干して、何すんのや。ここらでは、あんなことせんで」
「何するって・・・」
悪いことでもしているような勇作の物言いに、幸江はむっとしたらしい。
「きまっとるやないの。焼いたりして食べるんよ」
「ふうん、スルメやあるまいし。旨いんか」
「あんた、勉強はよう出来るし、蛸釣りも上手なくせして、なーんも知らんのね」
幸江は棧の上から勇作を見下すようにして、何年か前に行ったことのある瀬戸内海では、どこでもああして蛸を干すのだと言った。
蛸がたくさん捕れたとき、干しておけば保存がきくから、焼いてもいいし、水に戻してから煮ても旨いのだと、無知な生徒に言ってきかせる教師のような口ぶりである。
勇作は、そんなもんかと思いながら、目をふたたび干し蛸に向けた。その下では、ひととおり魚を捌き終わったのか、幸江の母親がまな板や包丁を片付けはじめたところだった。このまえ幸江を呼びにきた時には気づかなかったが、その腹がいくぶん膨らんでいるのが遠目にも分かった。
勇作はついで、幸江の背中の子に目をやって思わず口をすべらした。
「なんや、また子どもが生まれるんか」
唐突に話の腰を折られたうえに無遠慮なことをきかれて、幸江は不機嫌に黙りこんだ。背中の子が目をさましたのか、手を後ろに回してあやしたあと、仕方がないといった口ぶりで、
「年が明けたら、じきらしいけど、どうせまた女の子に決まってるわ。お父ちゃんは男の子が欲しい言うとるけど」
上体をゆすり、子どもの顔をのぞきこんだりしながら、幸江は言いきった。
「ふうん、順番からすりゃ、男の子でもええはずなのに」
勇作は、ひとの中へ立ち入りすぎたことに気まずさをおぼえ、この話にきりをつけようと、小舟を舫い直した。だが、勇作の背中に向かって幸江は話をつづけた。
「潜水の仕事をしてる男の人にはね、どういうわけか女の子ばっかり出来るみたいなの」
それはたぶん水圧が原因らしいと、ひとから聞いたことだけど、とことわりながら、(どうせまた女の子)と言った訳を話した。
「父ちゃんには男の兄弟が二人いるけど、三人合わせて九人の子どものうち、男の子は一人しかいないんよ」
不思議な話だった。だが、謎めいたものの多い海の中だけに、そういうことがあってもおかしくはないと勇作は思った。
「さち!」
〔小屋船〕から、母親のよく響きわたる声がとんできた。
「火ぃ燃やしてくれん、貝を煮るよ」
男同様、漁にたずさわる者は女でも声が大きい。幸江が背中の子をゆすりながら久兵衛の舟小屋に向かうのを見て、勇作も棧橋に上がった。
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