日本財団 図書館


 ・・・そうなのだ。勇作たちの学年は、あの戦争が終わったあと、少なくとも一年半以上たってから産まれた子どもばかりなのである。それなのに、父親が戦争で死んだとは、どういうことなのだろう・・・? そんな推量を勇作はしていたのだった。
 幸江は勇作の顔つきから、鋭い勘で自分の失言をさとったことになる。
 「わたしはね、本当はあんたたちより二つ上なんよ。小学校の時から親についてまわって船で暮らしていたようなものだから、学校もあまり行けなかったんよ」
 意外な幸江の告白だったが、おととい担任が教室で皆に言ったことと考え合わせると、あり得ない話ではなかった。ただ、そうして学校に行かない日が多くなると、学年が遅れていくという制度が、まだこの世の中に存在していることが勇作には不思議でならなかった。
 〔落第〕という古めかしい言葉が頭をかすめたが、目の前にいる幸江は、そんな生い立ちとは不釣合いな調子で、なぜ父親が戦争で死んだのかを、淡々としゃべりはじめた。
 本当の父親も・・・、と言っても幸江が生まれる前に死んだということだが、やはり潜水漁師だった。日本の敗戦が濃くなり、アメリカの飛行機による空襲が激しさをましてきた年の五月、幸江の父親らは軍の徴用で、紀伊半島と淡路島の境で敵の潜水艦の進入を防ぐ施設を造る作業に従事していた。運悪く、休憩のために船に上がっていたところへ機銃掃射を受けてしまった。このころ幸江の母は臨月をむかえようとしていた。
 それだけが、幸江の聞かされた父親の死のすべてであった。
 「戦争は大嫌いや」
 幸江が声を高めたのも無理はなかった。これも戦死のうちの一つに違いない。
 勇作の父親も、すでに三十半ばになっていたというのに海軍に招集され、命からがら日本に帰ってきたくちだった。死んでいれば勇作の運命は大きく変わっていた、というより、この世に存在しないわけだが、逆に父親が生きていたとしたら、幸江の場合はどうなっていただろうか・・・。
 自分の生い立ちを語って聞かせた幸江の口ぶりには〔運命〕という言葉の持つ暗い響きはなかった。学年こそ遅れてはいるものの、それを恥ずかしいとか、今の生活から逃げ出したいという悲痛な思いは、みじんも感じられなかった。
 機銃掃射に遭ったとき、同じ船で作業に従事していた父親の従弟と、三年後に母は二人の娘をつれて再婚したのだという。とすれば、幸江は自分のまったく知らないうちに父親が変わっていただけで、生まれてからは同じ生活が待っていたと言えるのではないか。
 棧橋から浜へと歩いていく幸江の後ろ姿を見送りながら、勇作はふとそんなことを思ってみた。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION