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(二)
 「どうしたん、その蛸?」
 夕方近く、勇作はこの日釣れた三ばいの蛸を箱の生け簀に入れ分けていた。箱はいくつかの小部屋に仕切られている。一緒にすると蛸は友喰いをしてしまうのだ。しつこく腕に絡みつく吸盤との格闘で、勇作は初めはその声に気づかなかった。
 蛸を入れる桶に栓を打ち、やれやれという思いで小舟の中で腰を伸ばしたとき、目の前に少女の陽灼けした顔があった。
 蛸に手こずっていたのが可笑しかったのか、少女の顔は笑いくずれており、頬にえくぼがくっきり刻まれている。
 今朝の転校生、というより、きのう裸に近い恰好で海に飛び込んだ幸江であった。
 長いまつ毛の、ひと筋ひと筋が見てとれるほど間近に少女の顔があることに勇作は一瞬うろたえ、上体を反らしたあと、舟端にかがんで、棧橋の下に浮かべた箱に手をやった。
 (何か訊かれたようだな・・・)思い返して勇作は、下を向いたまま、それでいて自慢げに、これは自分が釣ったものであること、こうして活かしておいて十ぱいほどになったら漁業組合の船に頼んで、対岸の中浜市の市場に売るんだと、まるで海面にでも喋るように遅い答えを返した。
 「あそこの船やけど・・・」
 ひととおり話し切ると、動転していた気持もやわらぎ、舟梁(ふなばり)に腰をおろして(あの船)を指さした。
 「あんたとこの船なんやろけど、変わった恰好しとるな」
 おそらく行く先々で同じようなことを訊かれてきたのだろう。〔見れば分かるのに〕と言いたげな、いささかうんざりした口ぶりで幸江は話しはじめた。棧橋のへちに腰かけ、両足をぶらぶらさせながら・・・。
 「船の中で寝泊まりできるようになってるんよ。うちら潜水のもんは、ここみたいに家が借りられるとこだけやのうて、離れ小島みたいなとこに何日もおることもあるしね」
 ついで幸江は、この村の海では十月末までは鮑(あわび)を、そのあと年内は海鼠(なまこ)を採る許可を、県と組合からとってあるんだと言った。
 「そしたら、春まで漁は休み。いくら潜水服でも真冬の仕事は無理なんよ」
 幸江は少しばかり嬉しそうな口ぶりで言ったが、その意味はあとで分かったことだった。
 このとき、幸江の名を呼ぶ、よく響くが間のびした女の声が聞こえてきた。見ると、あの船を繋いである棧橋のたもとで、子どもを抱いた女がこちらを向いて手を振っている。
 「あ、お母ぁだ。いけない、晩ご飯の支度をしなくちゃ」
 ペロっと舌を出して、はじかれたように幸江は立ち上がった。
 「うちら、あそこの舟小屋を借りてるんよ」
 棧橋と、その上方にある舟小屋は久太夫のものである。一階は砂まじりの土間で、網などさまざまな漁具が吊るしてあって、小舟も格納できるようになっている。二階は急ごしらえで人が住めるように改造したらしい。そういえば数日前、大工が板を運び入れて鉋をかけていたが、幸江の一家が来るのにそなえていたのか・・・。
 幸江はスカートの尻をはたきながら、かたかたと音をたてて棧橋を跳び歩き、子どもを抱いた母親に駆け寄って行った。
 いつの間にか、浜辺には暮色がただよいはじめ、西の山ぎわに没したばかりの夕陽の残照が、渚にのたりと寄せては返す波を鋼色に染めていた。
 勇作はゆっくり立ち上がると、小舟の舫いを確かめ、舟と棧橋の間をまたいで自家の母屋に向かった。
 
 幸江は、はじめの三日間はつづけて学校に来たものの、あとは来たり来なかったり、あるいは昼前になると帰ったりと、不規則な登校になった。
 転校してから十日余りたった九月なかば、一時間目の授業で幸江が欠席しているのを見知った担任が、みんなに聞いておいてもらいたいんだが・・・と、彼女が欠席がちな訳を話しはじめた。もともと十五人しか生徒がいないから、わざわざ出席をとらなくとも、ざっと見わたしただけで誰が休んでいるか、すぐに分かってしまうのだ。
 「最初の日にも言ったことだが、松原のとこは一家で潜水の仕事をしとる。ほら、潜水服を着て、海底の鮑なんかを採る仕事だ」
 (ごっつう儲かるんやろなぁ)と誰かがまぜ返したが、担任の浜崎はかまわず続けた。
 「潜水の仕事は、船の上に二人はおらにゃならんそうだ。船を動かす者がおって、もう一人は潜水夫に空気を送るポンプを見張りながら、合図があった時に綱をウインチで引き上げる。ひとつ間違うと命にかかわることなので、これより少のうてはいかんらしい」
 幸江には母親と、三つ上の姉がいる。子守りを幸江か姉がしなければならないので、海に出られる日は学校を休むしかないのだという。
 担任の浜崎は、おそらく前もって幸江の両親から話された事なのだろう、一家の事情をひととおり生徒たちに説明して聞かせたが、それらは、あらかた幸江本人から勇作が聞いていた事だった。
 勇作は自分だけが知り始めたと思っていた彼女にまつわる〔秘密〕が、いとも簡単に白日のもとにさらけ出されてしまったことに、少なからぬ落胆を感じていた。
 幸江のような出稼ぎの一家がこの村にやってくるのは、さして珍しいことではなかった。何年か前に若洲湾で赤貝と鳥貝が豊漁に沸き返った時には、この岬の村にも、加工業者が数家族でやって来たことがあった。勇作たちのクラスに転校生として入って来た子もいたが、やはり幸江と同じように学校は休みがちだった。わざわざ担任から説明を受けなくても、そうした家族の事情は、この村の子らには自然にのみ込めていることだった。だいいち、かれら自身も、学校そっちのけで漁の手伝いに駆り出されるのは、この当時としてはさして珍しいことではなかったのである。







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