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海洋文学賞部門佳作受賞作品
中条 佑弥(なかじょう・ゆうや)
本名=中間弥寿雄。一九四六年福井県生まれ。若狭高校から東京大学文学部を経て、出版社勤務。二〇〇〇年「岬の村」で、日本海文学大賞奨励賞。その前年、舞台を同じくした作品で、小説新潮長編新人賞の最終候補になったこともあり、生まれ育ったかつての漁村の原風景を語り継ぐライフワークを軸に、さまざまな分野の〔戯作〕に会社勤務のかたわら取り組み中。
 
(一)
 見かけたことのない形の船だった。
 全長は十二、三メートルほどで、湾内を行き来する延縄(はえなわ)や底引きの漁船と、ほぼ同じ大きさである。だが、エンジン音は喧しく(やかましく)空に飛ぶ焼玉ではなく、海面を響き伝うディーゼルらしかった。
 異形なのは、機関室につづいて舵場を形成する「ハウス」が、艫(とも)の半ばまで覆いかぶさっていることであった。
 ふつう、漁船のハウスは上部が平らで箱型をしているものだが、その船の場合は丈は低いながら屋根のような勾配をもっていた。あたかも、ちょっとした小屋が、船に積まれて海上を走っているかのように見えた。
 勇作は、蛸(たこ)を釣るテグスを掴んだ手を我しらず止めて、その異形の船が自分の小舟の百メートルほど沖合いを通り過ぎていくのを見つめていた。
 空には秋のおとずれが近いことを思わせる筋雲が西から東へたなびき、白頭鳥(ひよどり)の群れが拡がったり窄んだりしながら、海面をなでて飛んだかと思うと、急に向きを変えて高く舞い上がり、対岸の山肌にとけこんでいく。
 その船は、勇作の小舟を廻り込むように通りすぎたあと速度を落とし、前方の赤島と村の者が呼んでいる小島の際に近づいて、急速なゴースタン(後進)の音を立てて停まった。
 ほどなく、水中眼鏡を手にした一人の少女が「小屋」から出てきた。
 勇作が思わず向き直ったのは、その少女が腰のあたりに白い布を巻き付けただけで、あとは何も身にまとっていないことだった。
 遠目とはいえ、その先端がいくぶん空をさした胸のふくらみがはっきりと見てとれた。
 少女が水しぶきを上げて海に飛び込んだすぐあと、舟端に片足をかけて立っていた勇作の体がいきなりぐらついた。船のたてた引き波が勇作の小舟を大きく揺さぶったのだ。不意をつかれた勇作は、手をぐるぐる回して体勢を立て直そうとしたが間に合わず、これまた派手な水しぶきが上がった。
 小舟のへりに手をかけ、よじ上がった勇作が見やると、水中眼鏡をはめた少女が海面から顔を出している。白い歯が見えたのは、勇作の失態を見ていたに違いなかった。
 勇作はこの日の蛸釣りをあきらめ、櫓(ろ)を押しはじめた。足元の桶には海水が満たされ、蛸は大人のこぶしよりも一回り大きいぼんを膨らませたり、窄めたりしながら、薄目を開いて水管から水を吐き出している。
 蟹をゆわえつけたテンヤと呼ばれる蛸釣りの道具で掛けたもので、その扱いは爺さまから教えこまれたものだった。
 夏も終わりに近い昼さがり、日本海に面した若洲湾の奥まった一角は、油をひいたようにどこまでも凪ぎわたっていた。いくぶん秋の気配をたたえた陽光が、わずかな小波に照りつけるなか、勇作の小舟は村落の浜辺をめざして、もったりした揺れを繰り返しながら進んでいった。
 
 次の日が二学期の始業式だった。
 講堂での校長の、いつにも増して退屈な訓示が終わったあと、ぞろぞろと教室に入った勇作らが席についた頃、担任が一人の少女をともなって入ってきた。
 教壇に立ったその少女を見たとき、勇作は「あ」と、思わず小さな声をもらした。
 黄色いブラウスに紺のスカートという都会的な服装とはうらはらに、陽に灼けた小づくりな顔はこの漁村の風景になじんで見えた。それはまぎれもなく、きのう、あの異形の船から白い布だけを腰にまとって海に飛び込んだ少女の顔だった。
 「なんや、お前、あの子知っとんのか」
 勇作の声を耳ざとく聞きつけてか、隣席の勝が首をにじり寄せてきた。
 「いや、知らん・・・」
 勇作は、いたずらをこめた勝の口許からわざと目をそらして、顔を壇上に向けた。
 この半農半漁の僻村(へきそん)の、中学三年の教室には生徒が全部で十五人しかいないのだが、何か変わったことがあったときの常で、ほうぼうから小声でざわめきが起こった。それを制して担任が、
 「えー、今日から転校してきた人だが・・・」
 担任の浜崎は手にしたノートを見ながら少女の名を読み上げ、黒板に〔松原幸江 まつばら さちえ〕と、漢字とかなで書き写した。
 そのあと担任は、彼女の一家が潜水の仕事で日本海沿岸の各地を回っており、来年の春先までこの村にとどまる予定だと紹介した。
 「松原です。よろしくお願いします」
 自分の名を区切るように言ったあと、少女は〔転校なれ〕しているのか、中学生にしては大人びた挨拶をすると、あした席がえをするが、とりあえずあそこに、と担任が指示した教室後方の席に向かった。
 自分の横を通りすぎていくとき、ふっと風が舞いおこり、ほのかな匂いが立ったのを感じて勇作はどきりとした。
 勇作は何度か後ろを盗み見ようとしたが、やっとの思いでこらえた。きのう、小舟から海に落ちた間抜けな少年が自分であることに気づいていないか、急に気になりだしたのだ。
 (けっこう離れていたしな。それに海に落ちてすぐ、小舟に這い上がっていくとこで、顔までは見えとらんはずや)
 勇作は自分に言いきかせ、勝手に納得した。
 この日の授業は、宿題の提出や通知簿の返還といった儀式めいた一時間だけで、勇作は帰りの方角が同じ数人の同級生と、中身が空っぽに近いかばんを肩に引っ提げて、東の方へと家路を急いだ。
 東西に細長く伸びた岬の、内海側にそって集落が点在している。海にせり出すように舟小屋が建ち並び、その背後に母屋と納屋、家によっては土蔵がひかえるといった一軒の構成であった。
 昭和三十年代のはじめ、高度成長のうなりを上げはじめた大都会の喧騒など思いもよらない光景が眼前に広がっている。
 勇作の家は、その東西に細長い村でも、いちばん東の村落にあった。
 
 家に帰りつくと、少し早いかなと思ったが、勇作は飯櫃(めしびつ)から茶碗によそい、朝飯の残りの煮魚といっしょに腹にかきこんだ。今日も海は真夏と変わりなく凪いでいる。蛸釣りにはもってこいの日和であった。
 勇作は自家の舟小屋に立ち寄って蛸釣りの道具を三丁ほど手にすると、小舟を舫って(もやって)ある目の前の小さな棧橋に向かった。
 舟小屋は、この村の西方では浜が岩底であるため、海に半分せり出して建てられている。しかし、東端に近いこの辺りは砂地の浜がつづき、その陸方に舟小屋が建っているのだ。浜はきめ細かい砂地で、海水をおびた所は固くしまっており、手ごろな丸太さえ噛ませれば、小舟なら二、三人で小屋に引き入れることもできた。
 棧橋もまた、家ごとに舟小屋の前にしつらえてあった。
 棧橋に足をかけた勇作の目に、あの奇妙な形の発動機船が飛びこんできた。
 その船は勇作の家のものとは一軒分おいた東方の棧橋に艫を舫い(もやい)、舳先は湾の入り口を向いて錨綱で繋がれ、あたかも渚に小屋が浮かんでいるかのように、磯波の揺らぐままに漂っているのだった。







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