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 「オーナーがいたんじゃなかったの?」
 「前回まではね。しかし、今回はヨットは貸すけど、維持費その他はお前らで調達しろって・・」
 「それで、船体にイタリアのアパレルのブランドがでっかく書かれているのか」
 「おいおい、今頃気がつくとは・・。事務局としては怠慢だぞ」
 運ばれてきたロブスターのチリソース炒めに食らいつきながら、顔は笑っている。
 「いや、エントリーしたときのオーナーの名前も、船籍も参加クルーの名簿も前回と殆ど同じだったので、見過ごしていた・・」
 「まあいいよ。そういうわけで、クルーの連中も自費参加なんだよ。会社勤めで長期休暇とれた奴はまだいいけど、休暇がとれなくて、会社辞めちまったのがいるんだ。レース終わったらどうするつもりなんだって・・」
 「じゃあ、次のチャンスと言っても・・」
 「そうだネ。もうスポンサーが代わった後は参加できないかもしれない。ラスト・ランならぬラスト・セイリングになる可能性が強い。終わる日が来るのが怖い」
 「一日一日が身の縮む思いというわけ?」
 その意味では自分もまったく同じ立場だ。
 「まあな。それほど深刻じゃないけど」
 「ところで、今回、佐橋という、新人を参加させたね。彼はどういう経緯で来たの?」
 「さっきの話のように、自費参加を呼びかけたら、様々な理由で欠けるメンバーが出てきた。欠員募集したら、彼が来た」
 九州の漁村の出身で、下関にある水産大学を出て、現在は、東京のある水産加工会社に勤めているという。
 「でも、初参加だろう?大丈夫なの?」
 「さあ・・。でも今のところは無難にこなしている・・」
 過去の三つのレースでは、技量は他のメンバーとまったく遜色なかったという。
 「ヨットの経験は・・?」
 「大学まで部活でやってたと言うんだ。それから暫くは会社勤めでやめてたって。
 だけど、湘南でのテストでは、腕は確かだった。かなりのテクニックを持ってる」
 「チームワークの上でどうなの?先日も、クラブハウスで一人ぽつんと酒飲んでた。パーティでも孤立してたし・・」
 言うべきかどうかは迷ったが、率直に聞いた。こういう行動に対して、田中がどういう感触を持っているか興味があったからだ。
 「知ってる・・。でも、チームに入ったからってベタベタ、ペコペコする必要はないんじゃないの。お互い大人だからね。いざというときチャンとやってくれれば・・」
 「そういうもんかね?」
 「そういうもんさ。それにね、ショーヘイ(佐橋)ら新入りを何人か参加させることでレース戦略上は面白くなるんだよ」
 こういう国際的なレースで、名のあるヨットマンが集結すると、レベルの高いレースにはなるが、逆に、相手のレース運びがある程度読めてくるという。いろんな機会を通じて戦っているから、誰がどんなやり方で攻めてくるかが分かるのだとか。つまり、相手の顔を見れば癖が分かり、どういうテクニックを駆使してくるかが予測できる。しかし、見知らぬメンバーが入ると、どういう仕掛けをするか読めないから、相手は不気味に思う。それが狙いだと。
 「大きな賭だね」
 相手は不気味に思うかもしれないが、それは味方も同じこと。いい方に転べばいいが、足を引っ張る方向になればチームワークは乱れ、惨敗もあり得る。一か八かだろう。
 「それは覚悟の上さ。覚悟の上で、ショーヘイらの噛みつき(仕掛け)に懸けているんだ。
 彼らは、相手がデニス・コナー(米国の著名なヨットマン)であろうと誰であろうと知ったこっちゃないからね」
 そこにしか勝機は見いだせない、といつの間にか、小西のバイキング優位論を肯定するような言い方になっていた。ベテランだけに日本人クルーの限界は承知しているようだ。
 「まるで昔の特攻隊みたいだね」
 「ニシさんも古いねえ。俺は、そんな時代知らないけど、まあ、そんなもんかもな」
 出てくる皿出てくる皿を殆ど一人で平らげながら、田中はニヤリとした。
 「俺だって、そんな時代に生まれてはいないよ。聞き伝えさ」
 「分かってるよ。ところであんた、これ終わったらどうするの?」
 「俺はこれでクビだ」
 ちょっと自虐的な口調で言った。少々卑屈になっていたかもしれない。
 「それは聞いたよ、アンおばちゃんに。漸く理解し、冗談を言い合える間柄になったのに、ツトムと別れるのは辛いとさ・・。そうじゃなくて、会社クビになった後のことよ」
 「何も決めていない。今は、このレースが無事に終わるのを祈るのみだ」
 「何か不安があるみたいだね」
 「レースに関してということ?」
 「まあ、それも含めて・・」
 「いや、別に・・」
 それを言ったところで始まるものでもないだろう。予感なんて、所詮、心配性のなせる業。単なる取り越し苦労の場合が多い。
 「アンおばちゃんの話だと、ニシさんの予感は当たるって。よかったら話してよ」
 田中は気になると見えて、聞き出そうとする。やはり、佐橋ら初参加の連中のことが心配なのだろうか。
 「いや、止めとこう。こないだはアンに言っちゃったからホントになった。だから、縁起かついで今度は言わないでおくよ」
 「そうか。まあ無理に聞き出して、それがホントになるとイヤだから、敢えて聞かないよ。ところで、ここの勘定・・」
 急にソワソワしはじめたと思ったら、その事が気にかかっていたと見える。
 「いいよ。俺が持つよ。それぐらいの金は自由になる・・」
 「そうかい。じゃ御馳走になるよ」
 待ってました、とばかりに、小西に向かって、両手を合わせた。思わず苦笑いだ。
 「はなっからその積もりなんだろう?」
 田中を殴る格好をしながら、小西がビル(勘定書)を自分のほうに寄せた。
 「ホテルのロビーで見かけたときに、第六感てやつで、シメタ、一食助かるってね」
 「まあったく・・。タイミング良すぎると思ったよ。声かけられたとき、ドキッとしたもんね。お蔭でえらい散財だ」
 小西は財布を振ってみせた。コインがパラパラと落ちた。それを一つ一つ丁寧に拾いながら「恩に着るよ。優勝したら奢るからさ」と田中が片目をつぶってみせた。
 「頼むよ。日本勢では唯一優勝の可能性のあるチームなんだから・・」
 本音だった。優勝して、日本のマスコミが騒げば、会社の上層部も、このレースの存在価値を再認識してくれるのではないか。
 儚い望みかもしれないが、それが小西のせめてもの願いであった。







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