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 サード・トライアングル・レースが終わるとレイデイという休日が一日入る。クルーの疲れをとり、英気を養うことと次のモロカイ・レースの準備をするためだ。
 ハーバーに行って、ヨットの痛んだ部分の修理やセール(帆)の繕い、食事やショッピングに出掛けたり、洗濯や読書をしたり、クルーはそれぞれ思い思いに一日を過ごす。
 小西もこの日は「起こさないで」という札をドアに下げ、寝坊した。
 目覚めたのは十一時近く。レースがないと、どうしても緊張の糸が切れてしまう。
 シャワーを浴び、身支度を整えて、腫れぼったい目を擦りながら、ブランチでも食べようかとワイキキショッピングプラザ方面へ足を向けた。イリカイからは比較的足の速い小西でも二十分以上はかかる。陽差しはすでに強烈。前を行く人の白い背中が眩しい。愛用のストローハットを目深に被りなおし道を急いだ。
 アラモアナ大通りからカラカウア大通りに入る手前で、後ろからの声に気づいた。
 「ニシさん、ニシさんて、さっきから呼んでいるのに、聞こえなかったの?ああ、息が切れたよ、まったく・・」
 振り向くと、汗だくの男が上半身を折り、肩で息をしている。四天王のスキッパー田中眞だった。優勝するまでは剃らないと誓った濃い髭面から苦笑いの表情が見てとれる。
 「何だ。マコさんじゃないの」
 田中は、他の外国人クルーから、「マコ、マコ」と呼ばれ、親しまれている。
 「何だじゃないよ。ホテルのロビーで見かけたんで追っ掛けたんだけど、ニシさん足が速いんだなあ。追いつくのに苦労したよ」
 四天王のクルーは、全員イリカイホテルのコンドミニアムを契約して合宿している。
 「何処かへお出かけ?」
 「いや、自炊の飯ばかりじゃ飽きたから、たまには外の飯食いたいと思ってね」
 交代で飯を作っているが、男所帯ゆえメニューも限られ、二週間余りも同じ飯を食べていると些か飽きてくるという。
 四天王クルーはレース二週間ほど前に現地入りし、トレーニングを積んできている。今回は意気込みが違う、とも言われている。
 そういえば、小西も、もう三週間以上日本を離れている。そろそろ妻や子が恋しくなる時期だが、今回は少し違う気もする。
 「そう。俺も今からブランチ・・。よかったら一緒にどう?」
 「願ったり叶ったりだ。何を食う?」
 田中は、ウエルカム・パーティで、清涼飲料水の会社がサブスポンサーになった記念に配った真っ赤なキャップを被っていた。
 「俺は日本食と思ったけど・・、マコさんがいたんではチョボチョボの飯じゃ賄いきれないだろう。中華でも行くか・・」
 カラカウア大通りを並んで歩きながら、あれこれと店の名前を思い浮かべていた。五回も来て、長期滞在していると、洋食は別として、和食と中華は殆どの店を制覇している。
 「いいねえ。デューティ・フリーの裏辺りにあったよね。安くて旨い店が・・」
 「ああ、あった。そこに行こうか」
 小さな店で、名前は何と言ったか?愛想が悪いせいか、観光客は寄りつかないが、一つ一つ小皿で出す料理は、丁寧な調理に、ハッキリした味で、小西は気に入っていた。
 二人は、仕上げの麺も含め、腹具合に合わせて五品ほど注文し、取り敢えず厚切りの焼き豚を肴にビールを飲みはじめた。
 「今回は優勝狙いだという噂だけど?」
 「マアやるからには優勝を目指すのは当然だよね。それは無理としても、せめて最後ぐらいは悔いのないレースをしたいんだ」
 四天王は、総合成績で3位に上がってきていた。1位とのタイム差も少ない。後三回のレース次第では総合優勝も夢ではない。
 「最後・・?うちはスポンサーを下りるけど、レースはこれからも続くんだよ・・」
 「シャーウッド杯は今度で終わりだろう。後をどこがやるのか分からんけどさ。何れにしろ、あんたはもうやらないんだから・・」
 「まあね・・」
 それを言われると、急に現実に引き戻される。齢五十を過ぎて、会社を放り出される。果して、これからどうなるのか、五里霧中。全く見当もつかない。それを考えると不安が黒雲のように覆いかぶさってくる。
 「それじゃあ意味がないんだよ。俺はどうしても、ニシさんが事務局しているあいだに勝ちたかったんだ・・」
 「嬉しいこといってくれるね」
 「誤解しないでくれよ。俺はあんたに借りを返したいと思っているだけなんだから」
 「借り・・?そんなものあったっけ?」
 「おいおい自分の言ったこと忘れちゃいけないよ、俺にあった最初のときに何て言ったよ。
 モンゴルは所詮アングロサクソンやラテンに勝てるわけがないって。魚や貝を恵んで貰って喜んでいる漁民が、海洋民族だか、バイキングに負けるのは当然だって」
 「ああ、今でもそう思っている」
 「あれで、俺達は発奮したんだ。ニシさんの鼻をあかしてやろうじゃないかって。
 この不景気で、参加艇が減るなかで、ここまでやってきたのは、俺たちの意地みたいなものさ・・」
 レース・ディレクターのサム・ディクソンによれば、かつて、このレースの最盛期には七十艇を超える参加があったという。それがいつの間にか、三十艇を切り、今回は二十六艇に止まった。各企業も個人オーナーも艇の維持費とクルーの人件費の負担が困難になりヨットを手放すところが増えてきた。
 「参加を打診した企業もオーナーも、費用の負担が馬鹿にならないと言っていたなあ」
 「企業の場合はまだいい。部活が殆どだから・・。俺たちみたいに自費参加した連中は大変だ。スポンサー探しから、参加費用の調達まで全部自分らでやらなくちゃならない」
 艇をハワイまで移動させる費用、参加するクルーの人件費と滞在費用、合わせれば数千万円は下らない。それを自分たちで調達するとなれば並大抵な苦労ではすまない筈だ。







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