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 「その理由って何ですか・・?差し支えなければ話して貰えませんか?」
 「ちょっと今は勘弁してください。時期が来ましたらお話することもあるでしょう」
 笑顔が少しだけ曇った。しかし、それも一瞬のこと。すぐに日焼けした屈託のない表情に戻った。
 「そうですか。ところで、あなたは四天王のクルーとは何時も別行動なのですか?」
 「いえ、意識的というわけではありませんが、結果的にこうなってしまうのです・・」
 「レースが終われば、別に何をしても構わないのでしょうが、やはり、チームワークが大事なようにも思いますが・・」
 ヨットのチームの場合、特に初心者が一人加わると全体の和が崩れがちになると言われる。同じリズムを刻むのに慣れていないからだ。たった一人の船酔いが出ても、チーム全体がガタガタになり、勝敗どころではなくなる例も多い。五回にわたる事務局の経験のなかで幾度もその怖さを知らされている。
 「仰るとおりです。でもチームの連中も大人ですから、私のことを理解してくれているのではないでしょうか」
 理解するしないではなく、チームの一員としての姿勢の問題ではないのか。他のクルーはそれこそ大人だから、そこまでとやかくは言うまい。要は本人の自覚の問題だろう。
 「なるほど。明日はレース中盤のサード・トライアングル・レースですね。ご健闘を祈ります。もう一杯いかがですか?」
 殆ど空になったグラスを見やりながら、小西が顎を杓った。
 シャーウッド杯レースは、全部で六レース行われ、その総合成績で優勝が争われる。
 四回のトライアングル・レース(三角形の位置に置かれた浮標を回る)とモロカイ・レース(オアフ島からモロカイ島までの往復)それに、カウラ・レース(ハワイ北西端のカウラ岩を回って帰る)である。三回目のトライアングル・レースを終わると、丁度レース中日を迎える。クルーの疲労の蓄積はかなりのものになる。よく事故が起こるのも、この後のレースあたりだ。事務局の緊張が高まるのもこの時期である。
 前々回の事故もモロカイ・レースの時に起きた。このレースは全艇一斉ではなく、一艇ずつ、五分置きにスタートする。
 モロカイ島は、スタートのオアフ島のすぐ隣にある細長い島。それを一周して戻ってくる。およそ十六時間余りのレースだ。
 最初の艇のスタートは午後六時だった。
 問題の最後の艇、話題の女性だけのクルーが乗り込んだ「クイーン・ビー(女王蜂)」が出発したのは午後八時を回っていた。
 そのスタート直前をスコールが襲った。しかも、かなりの強風。この季節のハワイは、午前中は穏やかだが、午後は海からの吹き上げるような貿易風が寄せ、海は一転荒れ模様になることが多い。この日もそうだった。紺碧というよりどす黒い海に鋭く立ち上がるような白い波頭が激しく揺れていた。しかし、「クイーン・ビー」は躊躇(ちゅうちょ)することなく、大きく震える帆を傾けながらダイヤモンド・ヘッドめがけてスタートしていった。
 小西は、それを観戦艇から見送りながら、何かしらイヤな予感がしていた。
 女性だけの「クイーン・ビー」を、なぜ最後にしてしまったのか。日本では有数のヨット・ウーマンばかりが乗り組んでいるとはいえ、所詮(やはり)女性である。しかも、初参加。ハワイの海の経験者がいるとはいっても、こうしたチームとしてのレースは初めてだ。加えて出発は夜。ハイテク機器を搭載しているが、結局、海図と星が頼りのレースだ。
 小西は、「クイーン・ビー」が視野から消えるのを確認し、観戦艇がヨットハーバーに着くと、徒歩で事務局のあるイリカイホテルに向かった。この最上階が宿泊先でもある。
 頬を打つ風が痛いほどだった。どうも前二回の時とは気象条件が違いすぎるように感じられ、小西は思わず顔をしかめた。
 夜のヨットハーバーは、レース中とはいえ閑散としている。参加艇とクルーはレースで出払っているし、他のヨットは参加艇のために、他に移動してしまっている。観光客は出入りできないから、街灯が風に鳴りながら、ポツリポツリと灯っているだけ。
 ホテル一階の事務局に寄ると、現地のボランティアの連中がノンビリとコーヒーを飲んでいる。小西は少しだけホッとした。
 「今夜は風がきついね」
 「そうだねえ。これだとファーストホームのタイムは早まるかもね」
 そういう会話を交わしたのを覚えている。
 つまり往路は追い風気味になるからスピードが増す。朝は凪になるのが通常だから、復路はいつもどおりになったとして、フィニッシュのタイムはかなり短縮されるだろうという読みらしい。
 「タイムの早まるのは結構だけど、事故が起こらなければいいが・・」
 「ツトム。忘れていませんか。こういうレースの基本原則。スタートするかしないか、あるいはレースを継続するかしないかを決めるのは、それぞれのヨットの責任である」
 レースに参加していて危険が起こりそうなとき、参加者は、主催者の意見や責任によることなく、自分で判断せよ。それが間違って最悪な結果を招いても自らの責任である。
 競技規則の冒頭にそういう意味のことが書いてある、とアンおばさんは、立ち上がって腰に手を当てながら言った。
 アンは、ボランティアでは最年長。航空会社がスポンサーの時代からの古手でもう二十年近く手伝っているという。こうした百人を超えるボランティアの手助けでレースは支えられてきた。経験と知識、それに衷心からの奉仕の精神。彼や彼女らのサポートなしにレースの運営は一日たりとて成り立たない。
 まさにアンの言葉通りだが、いくら自己責任とはいえ、いったん事故が起これば、事はそう簡単ではないだろう。
 「分かっているよ。しかしねえ・・」
 「ジャパニーズは常にペシミスティック。もう少しオプティミイスティック(楽観的)に考えるべきよ」
 アンの言葉に促されて、小西は自室に戻った。寝つきが悪く、ナイトキャップにABCストアで買ったブランデーを少しだけ飲み、ベッドに入りウトウトしかけたときだった。







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