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 その前提として、レース自体のマスコミヘの露出度が重要として、報道各社のヨットに造詣の深い記者をオピニオンリーダーとして活用すべきことも。
 小西は、スポーツ紙、テレビ局、スポーツ専門誌などの編集局を精力的に回った。
 そこで分かったことは、スポーツ専門誌と雖も(いえども)、まずヨットの担当などいないことだった。趣味として楽しんでいる記者すら稀。
 「えっ、七月末から二週間?冗談でしょ?ヨットの担当?そんなもんいるかよ。他の記者でもいいから?あんたもう少し勉強してから来なよ。プロ野球はペナントレースの真っ只中、高校野球も夏の大会の最中だぜ。遊軍だってそっちに張りついてる。悠長なヨットレースなんか取材している暇はないよ」
 あるスポーツ紙のデスクに笑われたが、これが当時の平均的な反応だった。
 これで逆に小西のファイトに火がついた。何とか、このスポーツをアピールして、野球一辺倒の報道を覆す方法はないものか。
 ヨット誌編集長等外部ブレーンも活用、社内でも議論し、いろいろと考えた末、航空会社がスポンサーだった時代のレースのダイジェスト版のビデオを作成し、マスコミの集まりやすい場所で上映会を催すことにした。
 会場は、丸の内にある日本工業倶楽部。
 各社の広告局を通じて編集や制作に働きかけて貰い、自らも、NHKをはじめ民放各局に出掛けて出席を促した。
 上映時間は午後四時、六時、八時の三回。軽い飲み物と軽食を用意した。空き時間に気軽に立ち寄れるよう配慮したつもりだった。午後四時ちょっと前。二百人は入ろうかという大広間に集まったマスコミはおよそ十分の一の僅か二十人あまり。しかも、名刺受けの所属を見ると、大半が広告関係。
 正直ガッカリした。
 入りの悪い会場を見て会長も仏頂面。小言こそなかったが、予定していた挨拶も取りやめる始末。小西は、早くも首筋に冷たいものを感じたものだった。
 大型スクリーンに流れる、青というより紺碧の海、砕け散る大きく白い波頭、その風と波に艇の折り合いをつけるために、激しく動き回るクルー、その緊迫した息づかいと艇長の厳しい叱咤(しった)の声、艇と艇とのしのぎを削る駆け引き、風下に向かうとき、一斉に大輪の花のように開き、風を孕んで膨らむスピネーカー(補助帆)、波に大きく浮き沈み、陽光にきらめき、傾く船体。あるスポーツライターの表現を借りると、「洋上のアクロバティックバトル」と呼ばれる迫力満点のレース。
 まるで、見る者に挑みかかるような映像が流れていく。しかし、それに迫真力があればあるほど、小西は虚しかった。
 何が悪かったのか。売り込み方か?誘導の方法か?時期か?レースの認知度か?社の知名度か?それとも自分の力のなさか?
 そのことをあれこれ考えて画面がまったく目に入らない。喉はカラカラに乾いていた。
 しかし、映写のため暗くなった会場では、微妙な変化が起こっていた。
 出だしこそざわついていた出席者だが、いつの間にか私語が消え、手に持ったビールやジュースを飲むのも忘れ、食い入るように画面に集中していた。およそ五十分の映写が終わった瞬間、「おうっ」という声とともに期せずして拍手が沸いた。
 十時のあるテレビ局のワイドニュースを担当していた、ヨットが趣味のキャスターがたまたま時間の関係で来ていて、「これは絵になるよ」と言った。ニュースで使えるという意味だ、と後で分かった。
 六時。第二回目の上映。人数は三倍以上に膨らんでいた。一回目の人達がオピニオンリーダーになって、社内の担当に働きかけ、是非見るべきだ、と動員をかけてくれたのだった。
 「ヨットレースって、こんなにスリリングなものだったのか」と誰かが呟いた。
 八時。遂に百人を超える人が集まった。
 口伝えに評判を聞いたマスコミの連中が大挙押し寄せた。まだ、外は寒い季節なのに、会場は人の熱気で汗ばむほどだった。
 会長の顔つきも、部長の口調もコロッと変わっていた。終わると、歓声とも溜め息ともつかない声が沸き起こり、拍手が聞こえた。
 「今回は行けないけど、いずれ現場で観戦したい。レースの途中でも終わってからでもいい。VTRとコメントを纏めた(まとめた)ものをくれる?」
 とあるテレビ局員が言った。嬉しさというより、何かホッとする心地がした。







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